27.反逆 3
「チョットー、少し寝てる間にナンで隣に男がいるネー。しかもアイツ座ったまま微動だにしないカラ逆にコワイヨー……ナニしてるノ?」
パテリコとふたりで必死こいて窓を塞いでいると、ニエンシャが寝ぼけまなこで部屋にやってきた。
どうやらこの邪霊とかいう靄はベッドのシーツや毛布でちょっと押さえたくらいじゃ防ぎきれない。だって他に塞げる物が無いんだもん。鎧戸の隙間から滲んできていたのが、どんどん部屋の中に漏れ出てくる。
「に、ニエンシャー。たっけてー」
「もうダメだぁおしまいだぁ穴という穴から血を噴いて死ぬんだぁ」
んー? としばらく状況を把握できずにぼんやりしていた彼女だが、おもむろにわたしたちを退かすと、やはりおもむろに窓を開けた。
当然、それまで以上に黒い靄が部屋へ広がる。
「ぎゃー致死量!」
「うわすご。火事みたい」
燃える屋敷の中もこれくらい煙ってたなぁ。嫌なこと思い出しちゃった。でも外から室内に入ってこようとはしないか。変なの。
それはともかく、ニエンシャがすっかり靄に飲みこまれている。上半身がもはや見えない。大丈夫なんだろうか。真っ先にベッドの陰へ転がりこんだパテリコは置いておく。
「アラー、ナンも見えないネ困ったネ。トリアエズこのへん」
靄の向こうから彼女の声と、なにやらコチンと叩いた音。
途端、窓から起こっていた邪霊の噴出が止まる。わたあめが千切れたかのように中空へ漂った靄は、壁を伝いながら部屋の入口へゆるゆると流れていく。
窓の前では、刃がガタガタになった剣を持ったニエンシャが、煙たそうに顔の前を手でパタパタ扇いでいた。
「その剣、メイリーンに使ったやつ?」
「ソウヨー。すっかり劣化しちゃったケドこれくらいはまだ余裕ネ」
「てことは、止めれば止まるんだ邪霊って」
「というかコレ自然に湧いた禍じゃないネ。今日は月も出てるシ、窓の外に暗がりも無いヨ。こんなオカシな動き普通はしないヨ」
前にニエンシャに聞いた時も『クシャ』って呼んでたんだよな。ややこしい。彼女の国の言葉じゃ邪霊のことをそう言うって程度に受け取っておこう。
とにかく、自然に湧いた――その状況自体を見たことが無いけど――ものではないというならば、これはなんだという話になる。
靄はとっくに廊下へ出て、どこかへ漂っていったらしい。
なんとなく空気の流れに乗って逃げてくれたのかと思ったが――
「もしかして、そういう魔法もある?」
「先帝の時代に砦を覆われて敗れた将軍がいたッテ昔話を聞いたコトがあるネー」
「邪霊を操るなんて禁呪中の禁呪だぞ。二島協定でも封じられているし教会に知られたら一族郎党生きていけなくなるやつだ」
頭を上げたパテリコがそう言うのと、遠く廊下の向こうから悲鳴が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
どうやら邪霊が湧いたのはわたしたちの部屋だけではない。城の各所から黒い靄が噴き上がり、ゆっくりゆっくり室内を浸食している。
そして厄介なことに、この靄は明確にどこかへ向かって動いていた。わたしたちの部屋から出た千切れ雲のようなひと塊さえ、空中で拡散することもなく廊下をずるずる這っている。うーん、名状しがたい。
使用人たちが逃げ惑い、衛兵がどうにか食い止めようと試みている。聞けば邪霊は水気に吸われる性質があるらしく、手に手に桶を持って水を撒いているけど、いまいち効果が薄いようだ。
小火騒ぎどころではない混乱ぶり。お客さんである当方としてはあまり手伝えることもないし、下手にウロウロすべきでもない。
「ニエンシャどうにかしてあげれるんじゃない?」
「ワタシの剣はあくまで停めるダケだからネ。コーいうの苦手なノ。入れてもらえる場所も少ないだろうシ、ドレだけ湧いてるかわかんないしでキリもないヨ」
というわけで、使用人の皆さんが避難している広間のほうへ向かう。誰か迎えに来てくれたわけでもないが、それどころではないのだろう。勝手に動いても文句は言われまい。
あ、ジギエッタ忘れてた。まぁ大丈夫だろう。
この混乱に乗じて城を抜け出すべきか。いやこのタイミングで出たらわたしたちのせいだと思われない? なんてことをパテリコと言い合いながら廊下を進んでいると、地下へ続く階段から駆け上がってくる人影。
「――貴女がたは!?」
「あ、タルシュ君」
やべ、君とか言っちゃった。
肩で息をしている彼の耳には入らなかったようだ。数人の衛兵を引き連れ、こちらの顔をさっと確認してきた。
そういえば街中で別れたっきりだったけど、城に戻ってたんだね。でもこんなとこで何してんの。
「ご無事でしたか。どうしてここに?」
「えーと、部屋に邪霊が湧いたんでとりあえず避難しようかと」
「……なるほど」
目を細めて少し間を置いてから、彼はひとつ頷いた。
これはやっぱり怪しまれてたな。最悪、この状況を引き起こした犯人だと疑われていたかもしれない。さっさと逃げずにここでのんびりしているのを見てとりあえず飲みこんだみたいだけど。
ところでタルシュ君が手に持っているのは何だろう。小さな燭台みたいだけど、三叉の先にある皿には蝋燭じゃなくて宝石のような石がはまっている。そのうちひとつは黒く染まっていた。
もしかして彼らが持つ邪霊掃除の道具ってこれのことだろうか。どうやって使うんだろう。
「貴女たちだけですか? 若――デュータス様をお見かけは?」
見てねぇっす。
そうだ。今のこの城の主は無事だろうか。こんな状況だし彼こそまず一番に安全を確保しなければならないのだが、そういう人じゃないよなぁ。どこかで靄を相手に格闘してるかも。
「くっ、やはりまだ上に――急ぐぞお前たち!」
言うや否や、タルシュ君はまた駆けていった。衛兵もそれに続く。
上? あぁ、そりゃ城主の住んでるのは上だよね。側近なんだし真っ先に向かいそうなもんだけど、なんで下にいたんだろう――あ、そっか。邪霊掃除に走り回ってたのか。あの道具そんなに数がないのかな。
「上?」
「どしたのパテリコ」
「そういえば邪霊が流れていったのも上だな」
……あー。そういうこと。
「お城を丸ゴト巻きこむとは豪快ネー」
要するに、この騒ぎ全てデュータス君狙いの一環かぁ。もう暗殺もクソもない。とんでもないことするなぁ。
「どうする?」
「変にウロウロしないほうがいいと言ったのはお前だろう」
「そうなんだけどさ」
「お礼が増えるカモネー。ちょっぴりヤル気が出てきたネ」
「お礼っていうか……できれば保身をしておきたいというか」
「私は嫌だが、あの腹心からの嫌疑は晴れるかもな。私は嫌だが」
なんせお世話になった途端にこれだもんね。やはり変な目で見られるのは避けたいところである。
ここは一発、協力してさしあげよう。といってもできる事ってニエンシャを突撃させるくらいしかないけどさ。
デュータス君の居室がある三階はちょっと凄いことになっていた。たっぷりの黒い靄に覆われ、階段あたりからすでに床が見えない。
が、タルシュ君も凄かった。
「【月ニ閉ジヨ】!」
手にした燭台もどき、その三叉の枝を回転させ――回るんだそれ――ると、呪文のらしきものを叫ぶ。
すると周囲の靄が燭台にぐんぐん吸い取られていった。おー、凄い凄いめっちゃ強力な掃除機みたい。
廊下の靄の中には何人か逃げ遅れたらしき使用人や衛兵が倒れていた。息はあるようだけど、口や目から邪霊が溶けこんだような黒い血を流している。ちょっと甘く見てたけどこれはなかなかおっかない。
ともあれ人間掃除機と化したタルシュ君のおかげで進むのに問題は無くなった。彼はなぜかついてきているわたしたちに少し眉をひそめたが、今は主の元へ向かうことを優先させたようだ。
そしてなにより――先ほどから、何かがぶつかり合う音が奥から届いている。金属同士がぶつかる音。戦っている音だ。
「若!」
ひときわ大きな邪霊の塊を吸い散らし、その奥にあった扉を蹴り開けタルシュ君が叫んだ。
広い部屋――というよりも、おそらくサロンか、もしくはやたらでかいリビングのたぐいだろう。とにかくそこにデュータス君はいた。
「タルシュ、来たか! だが待て、危険だ!」
軽装のままだが、剣を手にしたまま身構えている。傍らに衛兵やメイドさんが数人。倒れている者もいた。
そしてその目の前では――
「なにしてんのジギエッタ!?」
「む」
相対する影が振り下ろす剣を手のひらで弾き、身を翻した白髪男がこちらに気付いた。部屋で大人しくしているかと思ってたのに、ほんと何してんの。いや状況的にナイスなんだけどさ。
ていうかやっぱ襲われてたよ。邪霊だけかと思ってたが、そう甘くはなかった。
ジギエッタに向き合っていた黒衣がこちらへ振り向く。
黒衣。黒衣? んん、ちょっと待ってその恰好はよく知ってる物だなぁ。
「――おや」
黒い鎧、黒い剣、黒い外套――『人狩り』の姿をした男が、軽い仕草でフードを跳ね上げる。
イスカハ君にもうはや追いつかれたか、と一瞬ほど思ったが違う。ダズー君でもない。背格好も髪の色も違う。
しかし残念ながら、クロワルチェと共に長い付き合いのわたしだ。ばっちり知っている顔だった。
そして、であるなら――向こうも気付くかなー。気付かんかなー。どうかなー。
「これはこれは、このような場でお会いできるとは――」
しっかり顔を見られた。頑張れ仮面。
「――姫様」
バレバレでした。