18.呪い 3
跳んできたジギエッタが一瞬だけこちらを見た。
地に足先が触れるやいなや、残像を残してまた跳ぶ。それを追う影もまた動きを追えないほどの速さで飛び跳ねる。ていうか追えない。どこ行った。
もうそこからはわからない。あっちからと思えばこっちから、カキンコキンと何かがぶつかり合う音が響き回り、ときどき強い衝撃が届く。どうやらどちらかが木の幹を蹴りつけて、折れそうなほど揺れた。葉や小枝が散る。
どうしたもんかと馬車を下りたところ、ちょうどわたしが座っていた場所に剣閃が走る。遅れて白髪っぽい影と未だ謎の影が頭上を通り越していき、さらに遅れて座席が弾け砕ける。横にいたパテリコはたまげて落ちた。馬は逃げた。
「み、御使い様が……どうする?」
「どうって、りょ、領主様に知らせねぇと」
「呪いが、呪いがぁ」
随伴していた案内役の村人たちが、混乱しながら来た道を逃げ帰っていった。とりあえずわたしたちのことは頭に無いらしい。
助かるけど、これはこれでどうしよう。
御使い、だとか言っていたのはこの辺りに散らばる猿もどきのことだろう。つまりこいつがクロワルチェの使いを騙っていた妖魔であると。
はた迷惑なやっちゃなぁ、と転がる首を眺めていると、降ってきた何かに潰されてさらに散った。ぎゃー! グロい!
降ってきたのはジギエッタだった。振り下ろされた剣を、掲げた左腕で受け止めている。
「お! ちょっと手応えが違うネ! やっと刃が通ったカ!?」
その剣に全体重を乗せるようにして、会心の笑みを浮かべる――少女。
あ、これははっきりわかった。外人だ。だって日本人っぽいアジアンなお顔。やっぱり日本とか中国的な国もあるんだろうか。耳の伸び方がちょっと低い。へーやっぱり人種的な違いが出るのかな。
青みがかった黒髪を――なんだっけあれ、お団子みたいな袋。えーと……あ、シニョンキャップ――まとめた、切れ長の目をした女。これでスリットの入ったドレスでも着たらそれっぽいけど、その身は帷子のような服に包まれている。
ただ――額から右目を通って、首の下へと入れ墨のような模様が入っている。たぶん身体まで。奇抜なファッションね。
「でもォ……通ったなら、ワタシの勝ちヨ!」
とん、と軽い音を立てて、女は大きく後ろへ跳んだ。それを追おうとしたジギエッタの様子がおかしい。
左腕を上げたままにしている。いや、自分で不思議そうにその腕を見た。指先まで固めたように動かそうとしない。動かせない?
「む」
「アハー!」
甲高い嬌声――なんだか叫び声なんだか――を上げ、女が着地。したところは見えなかった。地面を蹴った跡だけが残る。
次に現れたのはジギエッタの背後だった。傍から見てるわたしにも急に出てきたようにしか思えない。なにあれどうやってるの。
背後から横薙ぎにされた剣を、結局ジギエッタは右手で無造作に払う。左手はやはり微動だにしていなかった。
手のひらに剣筋が残ったのがわかった。そして、その右手まで動かなくなっていることも。
「むむ」
「ダメダメー、動かせないヨ。この剣で斬ったものは何でも停まっちゃうんだからネ」
「そうなの?」
「そうヨ! ワタシとっても頑張って創ったネ! でもアナタすごいネー。一太刀いれるのにこんなに苦労した相手は今までふたりしかいなかったヨ」
「へー強いんだねー」
「当然ネー! 魔剣のニエンシャとはワタシのことヨー! ワタシより強い剣士なんてまぁちょっとはいるけどそんなにいないヨー!」
「割といるんだ」
「う。せ、世界は広いシー、ワタシまだ修行中だシー、まだまだこれから伸び盛りだから――ン?」
そこでようやく女はこちらに気付いた。
自分の首元に突きつけられている短剣の切っ先にも。
「あ、動かないでね。勢い余ってチクッといっちゃいそうだから」
「……ンン?」
「ジギエッタ大丈夫ー?」
左腕と右手が固まった変な恰好でぼんやりしていたジギエッタが、モジモジと身を捩らせる。
パチン、と弾けるような音がして、彼は両腕をぶらぶらさせて見せた。
「子細ない」
「だろうと思った」
「ちょっと待つネー!? なにコレ!? ワタシの剣がそんなあっさり解かれるのも納得いかないけど、コイツなにコイツ!? ワタシが気配を読めないなんてあるワケないヨ!?」
「あー、ほらわたし昔から膝カックンとか後ろからほっぺ突くのとか得意だったから」
「ワケわかんないし超絶に納得いかないネ!?」
騒ぐせいで短剣が刺さりそうになる。危ない危ないちょっと静かにしてよこれ軽く引っ掻くだけでも危険なんだから!
「とりあえず降参してもらっていい?」
「納得いかないヨ……」
クシャクシャに表情を歪ませて、彼女は剣を落として両手を上げた。
「で、ジギエッタ。この子誰?」
「知らん。ここにいた」
両手の先を糸でぐるぐる巻きにされて正座する少女を前に、とりあえず聞いてみた。予想通りの答えが返ってくる。
「それでなんで戦ってんの」
「知らん。襲われた」
「ワタシの獲物を横取りしたからヨー。三日も山の中を追いかけっこして、やっと首を獲れるネーってところでコイツがあっさり真っ二つにしちゃったヨ」
獲物。
振り返る。バラバラだった妖魔はもはやほとんどが煙と化して風に消えていた。
「獲物って、この妖魔さん?」
「当たり前でショー。山の神様なんて胡散臭いと思ったけど、やっぱりだったネ。ただの悪鬼だったヨ。くだんないネー」
「ん、山の神様? ってそれ、もしかして領主さんに言われた? ということは――わたしたちの前に生贄にされたのって、あなた?」
「ソーソー、領主サンにはご飯いっぱい食べさせてもらったヨ。なーんか怪しかったから出ていこうかと考えたんだけどネ。せっかくだし悪鬼退治してあげようっテ。もし強かったら腕試しになるしネ。でも弱かったヨ」
「ねぇねぇ、そいつクロワルチェがどうとか言ってなかった?」
「言ってたネー。知らない人の名前を出されてもワタシ困るヨ。問答無用で斬りかかったら逃げられちゃったネ。嘘でした許してとか会ったこともないとかゴチャゴチャ言ってたカナ? 追いかけるのに苦労したヨ」
「やっぱ騙りだったかぁ……」
つまるところ、わたしたちがあれこれ考えなくても生贄問題は解決していたかもしれないのか。
うーん……いや、結果オーライ……うーん。
「おい、もう出ても大丈夫か?」
ふと見れば、半ば削れて倒れかけた馬車の陰からパテリコが顔を出している。すっかり忘れてた。
騒ぎの間ずっと身を潜めていたくせに鷹揚に近寄ってくると、足元に座る女を見下ろす。
「それで結局、この東陸人はなんなんだ」
東陸人。想像通り、やっぱ東だった。
当たり前のように言うあたり、海の向こうとも人の行き来ってけっこうあるのかな。いやでもパテリコって妙にいろいろ詳しいしなぁ。
「トーリクジンなんて知らないヨー。二度とそう呼ばないでほしいネ。ワタシはれっきとした陵人ネ。カハンは西原、ユーヨーカクのハイ・ハ・ニエンシャ。都会人なんだからネー」
知らない単語がマシンガンのように飛んできて頭が停止する。横を見てみればパテリコもよくわからない顔をしていたので、外の国にそこまで詳しいわけではないようだ。
「お前の出身の話なんてしてないんだよ。東陸人がなんでこんな所にいて、なんで妖魔の相手をしに来てるのか聞いてるんだ」
「二回目ネー。陵人は心が広いから三度までは許すネー。ワタシは単に修行の旅の最中ヨー。剣を完成させないと師姐に顔向けできないネ」
「剣って、その剣? そういえばジギエッタがなんか変になってたっけ」
「アナタの持ってる短刀も不思議な気配がするネー。ワタシとっても興味が引かれるヨー。見せテ」
「え、危ないからダメ」
「残念ネー」
つまり、あれかな? 本当にただの旅の武芸者、的な?
これわたしたちは本当にタイミング悪かっただけだなぁ。ほうっといてもこの子が妖魔を倒してだいたい解決――
「しないよ!?」
「なんだ急に」
「パテリコどうしよう!? 村の人たち帰らせちゃった! この妖魔がいなくなったってわかったらあの村どうなるかわかんない!」
「べつにいいだろ、少なくとも生贄なんてもの出さなくてよくなったんだから」
「いや、そりゃそうだけどなんの解決にもなってないじゃん! せっかく呪いを止められたと思ってるのに、これでもしまた誰かに被害が――」
「いやだから、べつにいいだろ。私たちがそんなこと心配してどうするんだ」
……いや、まぁ、そうなんですけど。
なに言ってんだこいつという顔のまま、パテリコは続ける。
「なにができるわけでもなし、このまま逃げるのが得策だろうに。というか私は逃げたい。逃げる」
ぬぬぬ。そうなんだけどさ。そうなんだけども。
本当ならわたしだって一も二も無く逃げてるんだけども。村が呪いに! ご愁傷様です! お大事に! ってなもんなんだけども。
メイリーンの顔がチラつく。
あれが呪いであると半ば受け入れ始めているのも、彼女を見てしまったからだろう。
だからといって、何かできることがあるかと言われれば、まったく思いつかないのも事実なんだけど――
「ところで、ワタシはどうなっちゃうのかナー?」
両手を拘束されたままのニエンシャが頭を揺らしている。あ、そうだった。この子どうしよう。
「もうジギエッタに斬りかからない?」
「エー、勿体ないヨー。もうちょっと試させてヨー。先っちょダケ」
「ジギエッタ、先っちょだって」
「少し嫌だ」
「ダメだってさ」
「縦耳はケチが多いネー」
唇を尖らせながら、彼女は両手を包むグルグル巻きの糸を腰のあたりで擦った。
ばらり、と糸が解ける。切り裂かれていた。ジギエッタの目がいつもの二倍くらいに広がった。パテリコは馬車の裏に逃げた。
「ジャ、また今度にしておくヨ。それでヨロシ?」
剣を拾ってあっさり立ち上がる彼女、というよりも地面に散らばった糸をジギエッタは凝視している。彼の使う変な糸、包帯代わりになったりもするけどめっちゃ頑丈なんだよね。どれだけ引っ張っても切れないくらい。
まぁ納得いっていない彼は置いといて、わたしとしてはニエンシャがこちらに危害を加える気を無くしたならそれでいい。
「あなたはこれからどうするの?」
「ン? 村に戻るヨ?」
え。
「それは――ちょっと、やめといたほうが」
「ナンデ? よくわからんけど、戻らなきゃならないヨ。試作品の剣を何本か置いてきちゃったからネ」
「そ、そっか……」
手をひらひら振りながら、「オニーサンまた斬らせてネー」と言って彼女は去っていく。村の方角へ。
多分だけど、彼女に危険は無い。
ジギエッタと戦える人間だ。もし妖魔を斬ったことを村民たちに糾弾されたとしても、軽く逃げおおせる。止める必要も無ければ、心配する必要も無い。
いやそもそも、ニエンシャのことを心配する義理は無いのだ。今ここで会ったばかりの相手なのだから。
村民や領主への義理が無いのと同じように。わたしには誰にもそんな義理は無いはずだ。
……はずなんだけどなー。
「戻るよジギエッタ」
「わかった」
「はぁ!? ちょっと待てお前なに考えてんだ!?」
馬車の陰から悲鳴が飛んだ。
まぁそうね。なに考えてんだろうね。
「パテリコは付き合わなくていいよ。ていうかさっさとどこかに行くって言ってたじゃない」
「いやだからってお前、こんなタイミングでお前、ひとりっておま――」
小走りで追いかければ、ニエンシャはまだ山道をのんびりと歩いているところだった。
◇
ぶつくさ言いながら結局ついてきたパテリコは、早速だが後悔したようだった。
昼間だというのに相変わらず村の中には人の気配が少ない。みんな家の中に閉じこもっているのだろうか。
それでも、外には何人かの村民を見かけた。
髪を黒く染め、道の真ん中や家の軒で倒れている。
「アラー、これは大変ネー」
「……さすがにこれは予想してなかったかな」
「お前が戻るって言ったんだからな、お前のせいだからな」
足早に領主の屋敷まで辿り着く。
門の手前に、やはり誰か倒れていた。山を案内してくれた村民のひとり。意識を失っていた。髪はやはり――元は薄い茶色だった――黒い。
「これも排除するのか?」
ジギエッタが、なんということもないように呟く。
屋敷から――屋敷の離れから、異様な空気が流れてきているのが、わたしにさえわかった。