17.呪い 2
パテリコはわたしの護衛役ということになった。
であるからして、夜間には客室の前で立ち番をするのが正しいスタイルである。
「なんでこんなことをせんとならんのだ……!」
「そう言われてもねぇ。あー快適ー」
扉から首だけ差しこんで恨めしそうな顔をする彼女に寝床の具合を報告してあげる。もうちょっと煽ると殴りかかってきそうなくらいには怒った。心配しなくてもそこまでいいベッドじゃないよ。
それにほら、寝てる間に簀巻きにされて出荷準備をされちゃうかもしれないし、見張りは大事。
「で、どうするんだ。明日には無理にでも連れ出されそうだぞ」
室内と廊下へ首を行ったり来たりさせながらパテリコが聞いてくる。
見張り大事とは言ったけど、正直なところ使用人の数も少ないんだしそこまで警戒しなくても大丈夫じゃないかなー。まぁでもせっかくの生贄材料だしどこかで監視してる可能性もあるか。
「ジギエッタが行ったし、おいしく召し上がられる心配は無いと思うけどね。問題はその後か」
「あいつ本当に大丈夫なんだろうな」
「……たぶん?」
「聞かれても」
「少なくともその、なんだっけ、妖魔さんはどうにかすると思うよ。どうにかするって言ったし」
「……結局あいつはなんなんだ。少なくとも『人狩り』の一員とかではないんだろうし、そもそも偽物にそんな凄腕の護衛がつく理由が無い。イロってわけでもなさそうだし」
「イロ?」
「情夫」
「ぶほほほほほパテリコさんぬほほほほほ」
「とんでもなく気持ち悪い笑い方をするなお前な」
「ぶっちゃけわたしもわかんない。どこだかって国に連れていきたいんだってさ。どうせ行く先も無かったからちょうどいいかなって。便利だし」
「怪しい話だな……いやしかしこんな女を売ってもしょうがないか。なんだろうな。呪術の儀式に首やはらわたでも使うのか?」
「呪いはもういいっちゅーの」
とはいえ今まさに悩まされてる問題のひとつでもある。
クロワルチェの呪いねー。たしかに呪えそうだけどさー。こんな辺鄙なとこ呪ってどうすんのよ。そんなに大した因縁も――
…………
「なにしてるんだ」
「んー、ちょっと――あ、やっぱりいた。見張られてる」
窓の角から目だけ覗かせて外を窺うと、屋敷の門あたり、陰になるところにこちらを見ているような人影。
小雨の降る夜、屋敷の灯りも届かないような場所なので姿形もおぼろげではあるけれど、たぶんあのお爺ちゃん執事さんだと思う。こんな時間にご苦労様です。
「よくわかるな」
「うーん。左目ずっと塞いでたからかなー。なんかこう、暗い所でもよく見えるというか、夜目が効くというか」
「逆に弱りそうなもんだが……」
さて、正面が見張られている。逆に言えば、窓からだろうが玄関からだろうが、とにかく外に出ることだけを警戒されていると考えていい。
つまり、敷地内ならそこそこ動けるんじゃないかな。
「ま、さすがに身元不明の客を入れてるんだし、向こうも見張りは置いてるんだろうけどー。んん、やっぱり鍵かかってるかぁ」
客室の向かいにはもうひと間、客室があるそうな。窓の位置はちょうど裏手側になるはず。
遠慮なく廊下に出てノブを回し押した。ぎしりと引っかかる。
「だからさっきからなにしてるんだ」
「ねー、これ開けれたりしない?」
「開けれるが」
「そうだよねー都合よくそんなことできるわけできるの!?」
思わず声が少し大きくなってしまった。慌てて口を押さえて廊下を見渡す。誰かが様子見にやってくる気配は無い。
「なんだ。金目の物でもかっぱらって逃げるつもりか」
「いやそうじゃなくて。いやていうかできるの? 鍵」
「まぁ見てろ」
パテリコはそう言うと、鎧の肩口あたりに手を差しこんだ。出てきたのは少々太めの針金。
しゃがみこんで鍵穴を覗くと、その針金を突っこんでこちょこちょし始める。うわー凄い、泥棒の人がよくやってるやつだ。実際にやってるのか知らないけどそういうやつだ。
コチン、と小さな音がして、緩やかに扉が開く。振り向いたパテリコはこれでもかというほどドヤ顔だった。
「パテリコってさ」
「うん?」
「そんななんちゃって騎士みたいな喋り方より、『でゲス』とか語尾に付けたほうが似合いそうだよね」
「鼻の穴の通りもよくしてやろうか」
頭を鷲掴みにされ目の前で針金をくりくり回される。あー、やめてください、美声になってしまいます。
「で、なにがしたいんだよ」
「ちょっと探検してくるから、誰か来たらうまいこと誤魔化してね」
「はぁん? どこへ」
それは当然――
敷地の隅にある離れである。
昼間の豪雨はどこへやら、夜の空から落ちてくる水滴はすっかり小さくなっていた。
正門からの視界に移らないよう、こそこそ身を低くして塀まで辿り着く。目と鼻の先には屋敷本館を三分の一くらいに縮めたような離れ。
入口からカンテラの灯りがほんのり漏れていた。やっぱり誰か番を置いているようだ。メイドさんあたりかな。
気取られないよう壁に張りつき、外周に沿う。パテリコをコソ泥のようだと言った矢先に自分も同じような事をしている。参ったねこりゃ。
領主マルコフからは、特にどこそこへ近づくなとは言われなかった。本館の中をわざわざうろつくつもりは無かったものの、少なくともあの中ではさして動きを制限されなかったのだ。
そして、妹の存在にはけして言及しなかった。
メイリーンがいるとしたら、この離れしかない。
例えばの話。
もしもクロワルチェの呪いが実在するとして、呪う者がいたとして。
じゃあそれは誰だと問われればそりゃもういっぱいいる。たくさんいる。数え切れない。場合によってはこの世の全てなのではとすら思える。ごめんなさいわたしは呪わないで。
で、まぁシルウィールちゃんとかユニウス君とか真っ先に呪いそうな相手はとりあえず置いておいて、ここに居る者なら誰か、といえばステンダム・カーソンだった。
フラムンフェド、ひいてはクロワルチェへ反旗を翻した者。娘を切り捨てられ、自分も辺境に追いやられ、結果、彼女の悪行を公家へ証言した人。そらそうよ。自業自得だぞクロワルチェ。
彼は死んだという。娘であるメイリーンもその呪いに苦しんでいるという。さらにはこの地で彼に親しかった者にまで被害があった。
……いやー、わたしはね、自慢じゃないけどクロワルチェのことよく知ってるよ。はっきり言ってね、カーソン男爵とか木っ端も木っ端だよ。下手すりゃ顔も名前も忘れてたよ。メイリーンちゃんまで忘れてたけど、あれ半分くらい素だよ。
言ったらあれだけど、こんなつまらん場所のつまらん相手のことなんて気にしなさそうなんだよなぁ。
なのでメイリーンちゃんの様子が見たい。
その呪いだかがどんなものか、というのも気になるけど――純粋に、彼女がどうなってしまったのかも知りたかった。怖いけど。
いや怖い。ほんと怖い。だってあんなさー、犯罪者と犯罪者が住んでて残りも犯罪者、あと酷い目に遭う人、みたいな場所にポーイって捨てられてさー、ヤダー考えたくないー。
でも生きていて、そして呪われているという。
確かめなければならない。
いくつか窓の隙間を覗いていくと、ひとつだけ燭台に火が灯った部屋があった。たぶんここかな?
にじりにじりと窓の下で姿勢をずらし、中を窺う。
燭台の蝋燭は一本。ほの暗い室内には小さな椅子がふたつ、テーブルひとつ、棚には調度が整い、水差しも置かれている。
けどそれだけ。殺風景だ。
それと――小さなベッド。けしてそのへんの安宿に置いてあるような粗末な物ではないけど、貴族の邸宅にあるにはシンプルな代物。
そこに、目を閉じて横たわる女。
女――? いや女。少女と言っていい。なのに一瞬、老婆のようにさえ見えてしまった。今まさに臨終を迎える寸前の。
あー。あぁ……あー。
メイリーンちゃん……あんな美人だったのに。クロワルチェと似たような振る舞いをするもんだからいつも意地悪な顔ばかりだったけど、本当は笑顔のかわいい子なのに。
ひどく痩せこけている。腕も細い。ふっくらしていた頬がすっかり削げて、骨が浮いている。
あー。もー。あー。
そして髪。確かに髪が黒い。元々は明るいブラウンだったはず。話によれば白髪になってしまっていたというが、今は黒。まるでクロワルチェの――わたしの髪と同じような色。
うーん。どうなんだろう。正直、髪の色が変わるからなんじゃい、としか思えないんだけど、そこから死ぬかそうなってから死ぬかみたいな話らしいしなぁ。
やはり覗き見るだけで彼女の容態がわかるもんでもない。なにかもうちょっとないだろうか。
と、小雨とはいえ当たり過ぎたか、仮面の左目につるりと水滴が落ちてきた。視界は広がったものの、やっぱりちょっと不便ね。
今は誰に見咎められるわけでもなし、ちょっと外しておこう。
面を外し、髪をかき分けて顔を上げた。
メイリーンが、目を見開いてこちらを見ていた。
◇
山道はかなり幅が広い。元々は山菜や果実の採取に人がよく行き来していた道なのだという。
小さな馬車くらいなら十分に通る。
パテリコとふたり、小さな座席に尻を詰めるようにして並び、ことんことんと揺れている。
馬車の周りは村の案内役が五人、固めている。案内だけにしてはちょっと多いですね。
「……で、ここからどうするんだ」
一夜明けて、朝。雨は止んだが、空にはまだ雲がぶ厚く残り、お天道さまの姿は見当たらない。
結局、領主の強い勧めで山の神へお詣りをすることになった。つまり、ドナドナである。
小声でパテリコが耳打ちしてきた。
「なんか知らんが泣いて帰ってくるもんだから、碌に打ち合わせもできなかったじゃないか。何があったっていうんだ」
「だって」
「だってなんだよ」
メイリーンは結局、こちらへ目を向けた以外の反応は見せなかった。声も上げなかったし、身体を起こすこともなかった。
でも半ば腰が抜けたままどうすることもできず、客室へ戻って怖いよーとか言いながら寝た気がする。対応もクソも無いまま今日を迎えてしまった。
朝に会った領主の様子では特に変わったところも無かったし、何も伝わっていないのだろうか。そもそも伝えられるのか? ともかくメイリーンについてはそれっきり。
あるいは、山に消える連中がうろちょろしたところで気に掛けることでもない、ということだろうか。
「ま、まぁ大丈夫。連れてこられはしちゃったけど、生贄に出される先が無いんだから。ジギエッタがなんとかしてれば」
「……してなかったら?」
「……さ、最悪の場合はこれで」
懐にしまっている短剣をちらと確認する。
「……妖魔なんて大概、獣か獣以上の身体能力だぞ。やれるのか」
「……パテリコやって?」
「バカおまやめろ呪具なんてこっちに寄越すな怖い!」
狭い座席の上でわちゃわちゃやっていると、馬引きに怪訝な顔で見られた。ついでに馬も振り向いた。ごめんねうるさくて。
「妖魔がなんとかなっていたとしてもだ。周りに五人だぞ。こいつらもどうにかしないと。言っておくが私は相手にできてせいぜい三人だ」
「なんでそんな自信満々に弱気なの……待って、ちょっと考える」
とは言ってもどうしよう。ジギエッタ早く戻ってこーい。
なんて思っていると、遠くからなにか軋んだような音がかすかに聞こえた。
耳を澄ます。金属音だ。金属が硬い何かにぶつかる音。
「なんだ?」
ちょうど木々の開けた場所に出た。そこで、案内の村人たちも音に気付いたらしい。
それと異様な景色にも。
「こ、これは!」
「御使い様!?」
猿。おそらく猿。猿とか狒々とかゴリラとか、とにかくそんな感じの何か。
だってでっかいんだもん。三メートル近くあったんじゃない? 多分。
なぜ多分かと言えば、バラバラだからである。
はっきりわかったのは首と足だけだった。あとは、きっと手の先かなーとか、きっとお腹のどこかかなーとか、そんな部品がそこら中にバラバラと。うえぇ。
その散らばった猿らしき諸々が、グズグズと黒い煙になって溶けかけていた。なんじゃこりゃあ。
そして金属音。すぐ近くから。
木々の中から飛び出してくる影。白い頭。あ、おかえり。
ジギエッタを追って、ふたつめの影も飛び出した。
「アハー! こんなに強い相手は久々ネー! とても楽しいヨー!」
どちらさまで。