16.呪い 1
こんな村はさっさと出よう。
ということで意見の一致を見たわたしたちは、ひたすら濡れっぱなしの服をぺしぺし叩いていた。
幸い、雨音は小さくなってきている。服から滴らない程度に水が抜けたらとっとと着替えて出発したい。洗濯が遅くて生乾きの服を着たことなんて何度もあるもんね。平気よ平気。
「ふと思ったんだが」
ブレーの裾を絞りながらぽつりとパテリコが言う。
「そいつ、『人狩り』を相手にできるくらいなんだから妖魔もどうにかできるんじゃないのか」
顎でしゃくるのは、相変わらず小屋の隅でじっとしているジギエッタ。
たしかにその妖魔だかモンスターだかさえ追い払ってしまえば、生贄云々という危険は無くなるかもしれない。
ただ、村の皆さんがはたしてどう思うだろうか。もちろんクロワルチェの呪いなんて与太話ではあるんだけど、生贄のおかげで村を襲う謎の病気が止まっているという点は信じているようだし。
変にちょっかい出したら面倒になりそう。
でもなー。どっちにしても村の人から狙われるのに変わりはないんだよなー。直近の危険を片付けられるならそのほうがいいのかな。
「うーん。どう? ジギエッタできそう?」
「…………」
「おーい。死んだ?」
「雨は止んだろうか……」
生きてた。
「止んでないけど、ドシャ降りではなくなってきたよ」
「止んでほしい……」
「そんなこと言われても。で、どうなの。どうせ聞いてたでしょ」
ぱちりとジギエッタが目を開く。本当にどこ見てんのかわからんなこいつ。
「魔族の気配は薄いな。若いようだ」
「まぞく? よーまじゃなくて?」
「妖魔のことだ」
「どっちやねん」
なぜかぜんぜん水気を含んでいない白髪を揺らして、彼はなにやらきょろきょろと遠くへ視線を飛ばす。なに、なんかいるの。
「その者だけか?」
「なにが?」
「その者を排除したいという意向だったと思うが」
「あ、うん。まぁそうです」
「ならば行ってくる」
「おい妖魔だぞ。そんな気軽でいいのか」
「今さらじゃないかなぁ」
体育座りから反動もつけずににょっきり立ち上がると、一歩。一歩だけ踏み出して彼は止まった。
「誰か来たようだが」
「え」
振り返ると、馬小屋の入口から覗く外、遠くからカンテラらしき光が近づいてくる。
いかん狩りが始まったか!? 手に手に武器やら農具やら持った住人の皆さんを幻視したが、近づいてくる光はひとつ。
現れたのは、初老の男だった。雨除けの外套の下はそこそこ小奇麗な服装をしている。
「失礼、こちらに――おっと」
小屋の中に顔を覗かせると、彼は表情こそ変えなかったものの大きく首をのけぞらせて外に身を翻す。
「大変失敬」
なんのこっちゃ。と思って自分とパテリコの姿を確認する。身体のところどころに藁クズがひっついているだけの下着姿。あらいやん。
「パテリコさんおケツが出てますよ」
「お前そのズロース穴が開いてるじゃないか。なんだ痴女か」
「おわーぜんぜん気づかんかった」
ひんやりしっとりした服をいそいそと無理やり着る。うーん冷たい。
外からこほんと咳払いが響いた。
「――領主、マルコフ・カーソンの使いでございます。村への訪問者を是非とも歓待したいと我が主が仰っておりまして。いかがでしょうか、よろしければ替えのお召し物もご用意いたしますが」
ふたりで顔を見合わせる。
パテリコの口が声を出さずに動いた。「来やがった」と。そだね来ちゃったね。
そういえば、すでにジギエッタの姿は無い。いつの間に。素直に山の妖魔の元へ向かったようだけど、もうちょっとわかりやすく動いてほしいな。
「あのー、わたしたちそんな招待されるような人間でもないんですけど」
「この一帯はなかなか外との往来も少なく、訪れる方々には可能な限りのもてなしを、というのが主の意向でございます」
「左様で」
いやー、これ行っても断ってもどっちにしろ逃げるの難しそうだなぁ。ばっちり村の人から伝わっちゃってるもんなぁ。
来たのはこのお爺ちゃんひとり。に見えるだけで、実際のところ村の全員から囲まれてるようなもんだし。うーむ。
ちらとパテリコを見ると、半眼になって溜息を吐いていた。この場はどうしようもない、と同じ意見のようだ。
仕方ない。とりあえず行くだけ行ってみるか。服も貸してほしいし。ご飯も食べれそうだし。
最悪の場合はパテリコを差し出そう。絶対こいつも同じ考えだろうし。
◇
マルコフ・カーソンは父親に似て、やっぱり小柄な男だった。そして、気が弱そうなところも似ている。若い。二十代も半ばくらいだろうか。
村の東端、小さな川のほとりに領主の屋敷はあった。屋敷といっても、ちょっと大きめの一軒家である。たぶんクアンズ・オルメンに並んでいたアパルトメントのほうが大きい。
とはいえ作りはしっかりしていて、門の装飾も内装も貴族のお屋敷らしく飾りつけられている。最低限にはね。
先ほどお出迎えに来たお爺ちゃんが家令だか侍従長だからしい。なのだけど、晩餐の席で向かいに座るマルコフの後ろに控えて、給仕もやってくれている。
料理を運んでくるのもメイドさんがひとり。他にも二、三人くらいしか見かけなかった。貴族の家としてはやはり最低限の人員だ。
「お連れの方がもうひとりいたと聞いていましたが、そちらは?」
この魚の煮物おいしいなぁ日本食を思い出すなぁとか思っていたら、マルコフが口を開く。あ、ちゃんと情報が伝わってるね。そりゃね。
「はい。馬を捨ててしまった手前、持ち出せなかった荷物もありますもので。そちらに向かわせております」
「ほう。こんな時間に危険ではありませんか?」
「多少の心得はございます。ご心配なされませんよう」
「そうですか……いやしかし、馬車が道を外れここまで迷いこんでしまうとは。災難でしたな」
「一夜の軒だけでも借りられれば、と思っておりましたが、ご領主様のご厚意には幸甚の至りでございます」
すらすらと答えるパテリコを横目にスープを啜る。なるべく喋るなと言われているので言うとおりにしていた。
気付いたらなんか馬車旅の途中に事故に遭ってしかも急な雨のおかげで難儀していた遊歴のお嬢さんとその護衛、という設定になっていたがまぁいいや。
「これからどちらへ向かわれるご予定で?」
「そう――ですね。イデンス国内の情勢もありますので、できるならば海を渡ろうかと。群島諸国か、ケンデスネリーか」
「西はやめておいたほうがよいでしょう。内戦の影響か、海賊がひどく浮足立っていると聞きます」
「そうですか。それではイデンスの中央を避け東へ抜けましょう。よろしいですかお嬢様」
よろしいですわよ。いやよくないよ女王国に用は無いよ。
おい喋るなって言ったのになんでこっちに話を振るの。柔らかく微笑んで頷きながら見返すと、パテリコは割といっぱいいっぱいの顔をしていた。あ、無理が出てきてるなこれ。
しゃーないなー。
「ところで、その、不躾なことをお聞きしますが、どちらからこの地まで?」
「北、でございます。申し訳ございません。それ以上は――」
マルコフの言葉に小さく返した。パテリコがどう返すか考えているうちに。それからちょっとだけ俯く。
視界の横端で「おまっ」と動く口が見えた気がするが、どうにかして合わせんかい。
「北、というと……」
ここから北といえば、名誉辺境伯領とその向こうのウェルデリア王国しかない。
そしてウェルデリアが苛烈な国であることは周知の事実。ときどき、イデンスへも亡命者が流れてくることも。
「じ、実を言いますとこの方は、その、とある国のさるやんごとなきお家のご令嬢でして。さる事情からしばらくのあいだ外遊をすることになったのです」
ちょっとどもったけど慌てたような素振りは見せてないのでパテリコちゃんセーフ。でもそこまで言わんでもいいのよ。
「来たる時には帰らねばならぬ身ですが。その際には、カーソン様にも相応の御礼をお約束いたしますわ」
「い――いえいえ、とんでもない。高貴な方と席を共にできるとは望外の縁でございました」
さーてどこまで信じてるんだか。
とはいえ腐ってもクロワルチェの身体。その高貴っぽさの十分の一くらいは滲み出てるんじゃないかな? どうかな? バッサバサの髪も濡れたおかげで多少は整ってるしね。
「しかし、その――いえ、失礼」
マルコフが指差しかけたのは、おそらくこの顔に貼りついている面だろう。
「あら、そういえばマルコフ様はこちらに来て日が浅いとか。それであればご存じないのも仕方ありませんわね」
言われることはわかっていたので、口元に手を当て軽く笑って答える。
「とある国では、輿入れ前の女が他国に出る時には顔を見せぬようにするのです」
なるほどー、という顔をする領主。
知らんけどね。ウェルデリアのこととは言ってないし。探せばそんな風習のある国とかありそうじゃない?
それからは朗らかに晩餐は進んだ。けどやっぱり領主は、村の状況についてなど語ろうとしない。
薄いワインを流しこんで、そろそろお開きというところで、
「旅の目途がつくまでは、どうぞ我が家で身体を休めていただければ」
マルコフがそんなことを言う。
それと、
「雨が止むようであれば、いかがでしょう。南の山中にこの一帯の古神を祀っております。案内を付けますので、旅の無事を祈るというのは」
だとさ。
こっそりパテリコを見る。
彼女は先とまったく同じように口を動かした。「きやがった」。
さー、どう逃げたもんかな。