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15.田舎

 メイリーン・カーソン。

 元はフラムンフェドの傍系であり、伯領直近の荘園を治めていたステンダム・カーソン男爵の娘である。

 親が近しく、歳も離れていない。自然、メイリーンはフラムンフェド伯爵令嬢、クロワルチェと親しくなった。その義妹、シルウィールとも。


 男爵家と伯爵家。身分は段違い。長じれば、親の関係性はそのまま子の立場にも反映される。

 社交界の華となっていたクロワルチェの後ろに、従僕のように侍る。メイリーンはそれが自分の役目だと思っていたし、むしろ彼女の取り巻きたちの中で唯一ファーストネームで呼ばれることに優越感を抱いていた。


 彼女の敵を追い落とすためには手段も選ばない。

 生意気な令嬢のグラスに弱い毒を垂らしたし、犯罪者を匿っているだなんて言いがかりをつけてくる騎士に美人局の真似事だってした。

 最も信頼されているのは自分である。そう思えばなんだってできたし、どんなことでもするつもりでいた。


 潮目が変わったのは、シルウィールが戻ってきてから。

 二大侯、名誉辺境伯、宮中伯。国内有力諸侯の令嬢、令息を取りこみ一大派閥を作り上げ、果てはユニウス公子すら味方につけた少女。

 家を追われ、今は下級貴族の肩書しかない彼女に、クロワルチェはたしかに追い詰められていった。あのクロワルチェが。


 いつか、彼女はなぜシルウィールに対してだけ手緩いのだろうかと考えたことがある。間違いなく手を抜いていた。本当ならば、誰も知らぬ間に消し去ってしまうことだってできたはずだ。

 元妹への情? 自ら放逐しておいて? あるいは、ユニウス殿下があちらへついたからか? その程度で心を乱す人じゃない。


 結局、その本心は知れない。自分にわからないのだ、他に誰が知れよう。メイリーンはそう信じた。


「お姉さまは、滅びたがっています」


 密かに呼び出され対峙したシルウィールにそう言われ、メイリーンはただ愕然としてしまった。

 バカなことを、と一蹴するべきだったのに。誰をつかまえて破滅願望持ちなどと言いだすのか。


 心当たりが――ある。あり過ぎるほどに。

 ひとつ間違えれば立場を失うどころか、牢獄へ入れられていてもおかしくないようなことは幾度もあった。危ない橋を、脆くか細い橋を渡ってきた。

 考えないよう、見ないようにしてきた事実を突きつけられて、メイリーンは大いに惑った。


「私はお姉さまを止めたいのです。メイリーン」


 覚悟に満ちた――弱々しく頼りない目をしていたのに――眼光に射られ、ただ無垢に仲睦まじかった幼少の頃を思い出し、メイリーンは揺れた。


 揺れて、揺れて――


「わたくし、コウモリは嫌いなの」


 領北部の貧民街に置き去られても、まだ揺れていた。


「残念ね。さようなら」


 数日後に発見され助け出された時も、それからすぐに父が辺境行きを命ぜられた時も、そして今も。ずっとずっと揺れている。

 揺れながら、最後に名を呼んでもらったのはいつだったろうかと考えている。





「ステンダム・カーソンは死んだとさ」


 やっとこさ話を聞いてくれる家を見つけ、空の馬小屋を借りることができた。


 落ちていた壺を火鉢代わりにして暖を取る。困ったことに、荷物袋へ詰めこんでおいた替えの服もひたひたになっていた。片っ端から梁に吊るす。乾くかなぁ。

 ジギエッタもいるが、なんかもういいやもう、と下着姿である。いいんだよあれほど本心から興味の欠片も無い顔されたら風邪ひかないことが先決になるよ。

 藁束はあったので揚げ物の衣のように身体を包む。うーんチクチク。


 というわけで壺の前に鎮座するエビフライみたいになっていると、パテリコが戻ってきた。なげやりな言葉と共に。


「領主さん?」


「ふた月ちかく前だそうだ。お前が焼け出された少し後だな」


 あらー。そうだったの。

 薄ぼんやりした記憶から引っぱり出したのは、小柄で気の弱そうなおじさんの姿だった。たしかパパ伯爵とけっこう仲良かった気がする。直々に左遷させたけど。


 なんだったっけ。いっつも後ろにくっついてきてた子。

 あ、そうだ。メイリーンちゃん。元気かなあの子。

 ……いや元気なわけあるかい。あんなところに置いてっちゃうんだもんな。あー、今でもあの、この世の終わりみたいな顔が蘇る。

 いつだったかイスカハ君が「生きていたようで」とか報告に来たっけ。クロワルチェなんてもうぜんぜん興味なさそうだったけど。あれからどうなったのかわからないんだよな。無事だったのかなぁ。うう、あんまり考えたくない。


「今、この周囲は長男のマルコフが治めているらしい。といっても戦のごたごたで正式に継げたわけじゃないようだな」


 言いながら壺の縁に干し魚を並べていく。

 馬小屋を貸してくれた家主が食べ物も売ってくれたみたい。ちなみにわたしの金です。パテリコは着の身着のままでついてきてしまったので一文無し。やーい文無しー。


「こんな場所から内地の防衛に駆り出されたってこともないだろうし、どうしたんだろカーソンさん。病気だったのかな」


「……内戦の情報はこちらにもそれなりに伝わっているらしくてな。おかげで、面白い話を聞かせてくれたよ」


 もったいぶって言ったものの、彼女は続けずに馬小屋の中を見渡した。梁に下げているわたしの服に目が止まる。


「おい、一着貸せ」


「なんで」


「私は替えの服なんて無いんだよ。靴の中がジャボジャボなんだ」


「こっちも乾いてないよ」


「このままよりよほどマシだ」


「ほら、男の目もあるし」


「男所帯で暮らしてたんだ、大して気には――おいそいつ大丈夫なのか。目を閉じているのはいいが微動だにしないぞ。死んでるんじゃないか」


 小屋の端に体育座りをしたジギエッタは、呼吸すらしているのかわからないほど動かない。注意しなければそこにいることも忘れそうだ。


「濡れるのヤだったみたいだし、そっとしといてあげて」


「本当によくわからん奴らだな……」


「貸してもいいけど、とりあえずそっちも乾かせば?」


 エビフライがふたつになり、ほどよく炙られた魚を並んで齧る。


「で、面白い話って?」


「なぁ。お前はあれか。あんな呪具を持っているくらいだし、人を呪ったりもできるのか。そんな怪しい面も着けてるし」


「ふふふ貴様にこむら返りが治らなくなる呪いをかけてやろう。できるわけないでしょなに言ってんの。初お面するとこだって見てたでしょーが」


「じゃあやっぱり偽物だったようだな」


 話が見えない。なに言ってんだこいつ。


「もうどっちでもいいよそれは。呪いがどうかしたの」


「クロワルチェの呪いだそうだ」


「……は?」


 パテリコが家主から聞きだしたには、カーソン男爵の死因は今もわかっていないらしい。ある日、唐突に屋敷で倒れて死んだ。

 体を悪くしていたという話も聞かない。外傷も無い。毒も疑われたが痕跡も無いし、彼はクロワルチェに反意を示した経緯から、辺境においてすら常に周囲を警戒していた。暗殺の線も薄い。

 ただ――茶色のはずの頭髪が、なぜか黒く染まっていたそうだ。


 彼には療養中の令嬢がいたのだという。外に姿を現すことはほとんど無かったものの、ときおり、兄に抱えられ庭にいるところを出入りの洗濯婦が見かけた。

 男爵が亡くなってからはなかなか見なくなる。

 その洗濯婦に偶然、令嬢の部屋を覗く機会があった。そこには、ベッドに横たわり虚空を見つめる女の姿。白髪ばかりだった髪が黒く染まっている。


 次は娘が死ぬ。そんな噂が村に流れ始めた頃、また何人かが死んだ。領主がここへ移ってきて以来、特に協力的だった村の有力者たち。

 やはり髪が黒に変わっていた。


 奇病の蔓延かと戦々恐々とする村に、さらに混乱が訪れた。


「近くの山に妖魔が棲みついた。それも、人語を解する妖魔だ」


「ようま?」


「妖魔は妖魔だろ。知らんわけあるまい」


 もしかしてあの角が生えた猪みたいなモンスターのことか。あれ妖魔って呼ぶんだったんだ。


「その妖魔がな」


 魚の尻尾を咥えたままパテリコが笑いを押し殺す。


「自分はクロワルチェの使いだ、なんて言うんだと」


 結局、おひょひょひょひょ、と凄く変な顔で彼女は笑った。いやー、ちょっと笑いどころがわからないですね。


「この村を襲っているのは我が主の怒りであるからして滅びは必定である、んだとさ。もし若い女を寄越すなら主に許しの祈りを捧げてやらんこともない、とかなんとかそんな感じのことを言ったらしい」


 尻尾をシャリシャリ噛み砕いて、パテリコは藁の中から両手をぴょこんと出す。やれやれ、なんて仕草だ。


「で、お前は、じゃなかったクロワルチェはあれか。妖魔も従えたりしたのか」


「んなわけないでしょ。モンス――妖魔だかなんだかとにかく、さすがにそんなことまではできないよ」


 ん、待て。なんかそんなことを調べてたこともあったような……まぁ実現してなかったし、諦めたのかな。

 藁の中に手を戻して「そりゃそうだ」と笑うパテリコから、ちょっぴり目を逸らした。できなかったんだから嘘はついていない。


「しかし妖魔にまで使われるとは、いよいよもって悪名高いな。おかげさまで村の者たちはすっかり信じこんでいるようだ。どう思う?」


 うーん。


「アホ」


「アホだな。田舎だから仕方ない。しかし現領主のマルコフ、田舎者ではない奴までもそれを信じた。いや、縋ったのかね。妹の身が大事なのかもしれん」


「……まさか、もう」


「ふたりほどやったらしいぞ」


 えぇー……マジか。

 生贄じゃん。やめなさいよそんな時代錯誤な。そういう時代だった。


「今のところその領主の娘が死んだなんて話は出ていないようだから、いちおう効果は出てるんじゃないか。知らんが」


「そんなことあるかなー。そもそも呪いってのも――」


 もしクロワルチェの呪いなんてものがあるなら。

 ……こんな辺境の小さな村だけで済まなそう。イデンス公国、いやオリッセンネリー島が沈む。たぶんきっと。むしろこんなこと考えてるわたしが一番に呪われそうな気が。


「ところでな」


「うん」


「家主が戻ってからもしばらく聞き耳を立てていたんだが……先日もひとり山に向かわせたそうだ。珍しく女の旅人が来たとかで、うまいこと言いくるめたようだな」


「うわー最低。ていうかこの村の人じゃなくてもいいんだ」


「そのへんはもう手当たり次第なんじゃないか。それで済めば村にも被害が無いわけだし」


「滅びなさいそんな村」


「同意せんこともない。門が放置されているのも、そんな幸運を期待してかもしれないな」


「そう都合よく人なんて来ないでしょーこんなとこ」


「そうだな。ちなみに」


 パテリコが最後の魚を手に取った。


「今、ちょうど若い女がふたり村に来たな」


 …………


 やだもー若いだなんて。若いんだけどさ。


「ヤバくない?」


「だいぶヤバイ」


 ヤバイ。

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