12.成り行き
敵はなにも『人狩り』だけではない。
この街の衛兵だってそうだし、港湾の巡視にしてもそうだ。あるいは住人全員がそうであるとも言える。
なにせ朝も早よから騒動を起こしてそこから逃げる女ふたり。正体を知らずともちょっと待ちなさいそこの君となって当然だ。
路地裏を走る。幸いこの時間、起きだしている者は少ないようだ。
酔っ払いや浮浪者なんかも見かけず、邪魔は無かった。野良猫くらいだ。こんな状況でもなければ舌でも鳴らしてかまってやりたいところだがそうもいかない。踏みつけかけてシャー言われた。ごめんね。
「おい! ちょっと待て! おいコラ!」
うわぁこの世界の猫って喋るんだ。もしかして長靴も履いてたんだろうか。違うんだよ喧嘩を売ったわけじゃないんだよ。というわけで逃げる。
「ちょっと待てと言ってるんだ!」
猫じゃなくてパテリコだった。シャーシャーうるさい。シャーは言ってない。
隣に追いついてきた。並走しながら、必死の形相で――あ、やっぱり猫かもしれない。さっきの野良に似てる――怒鳴ってくる。
「どこに逃げるつもりだ! なにか当てでもあるのか!?」
「当て? あて……船?」
「船! なんだしっかり準備があるんじゃないか! 私はてっきり考え無しに逃げだしたのかと思ったぞ! 仲間もそこにいるんだな!?」
「え? ぜんぜん。空いてるお船があればいいなーって」
「うん?」
「それかまぁ、人質でもとれば乗せてくれるところもあるかも」
「お前はなにを言ってるんだ」
細い路地を右、左、左、真っ直ぐ。あと通りをふたつほど抜ければ埠頭が見えてくる。はず。
実は方角も位置関係もぼんやりとしか頭に無いけど、どうせ海に向かえば海しかない街だ。
「つまり考え無しだったんだな」
「やだなぁ人聞きの悪い。臨機応変って言ってよ」
「さらばだ」
「じゃあねー。もしそっちが追いかけられたらわたしは助かるよ」
「もうごまかされんぞ口からでまかせばかり言って! もうお前についていく必要なんか無いんだ私には!」
「どうかな。あの人たちってご覧になったとおりかなり狂信的だからね。この人がクロワルチェでーすなんて偽物を紹介したのパテリコだもん。同罪どころか、もしかしたらもっとぶっ殺し対象かも」
「ヤダー! それにしたって先に狙われるのはお前だ! 足止めだって置いてきただろうが! お前たちだけで相手すればいいだろひとりくらい!」
「いやー、それがねー」
路地を抜ける直前。行く手にふらりと現れたのは――
やはり、全身を黒い衣装で包んだ人影だった。
「ぎゃー!?」
「ほらやっぱり。ひとりだけってこたないよなーって思ったんだよね」
言いながら横へ逸れる。
ちょっと人が抜けるには難しそうな狭い隙間、建物の間に身をねじ込む。廃材やなにかに顔を擦りながら無理やりに反対側へ出た。後ろから「待ってぇ」と情けない声が追いかけてくる。
あ、コケた。さらばパテリコ。できればちょっとはねばってほしいな。
◇◇
転んだ。頭上を剣が薙いだ。毛先がちょっと短くなった。
先ほど撒いてきた『人狩り』と似た装いの男。ただし、背はひと回り大きいし振り上げた剣も長大だ。
まぁ、どっちにしろ勝てるような相手ではない。
「死んでたまるかー!」
転んだ勢いのままクロワルチェがすり抜けていった隙間へ飛びこんだ。鎧がレンガにぶつかり嫌な音を立てる。が――ギリギリ引っかかってない! セーフ!
彼女のように身軽な恰好でも身体が小さいわけでもないので、バケツだとか角材だとかを蹴り飛ばし頭で叩きながら突撃する。
隙間を抜けた弾みで結局はすっ転んだ。一回転して後ろを振り返る。
黒衣の姿は無い。少なくとも、ここを通れるような体格ではなかった。どこかへ迂回したか。
まだ追ってきているのはきっと間違いない。けど生きてる。生きてる!
そして遠く、走り去る黒髪の女。
「てめコラー!」
意地で追いつくと、彼女は心底びっくりした顔をした。具体的には死人が追いかけてきたのを見たような顔。
「お前、私を捨て駒に使っただろ」
「いやーんそんなわけないわ。無事でよかった。本当に心配したんだから」
「いよいよひっぱたいたろか」
ふざけたことを言い合いながら――不本意だが――ふたりで走り続けるが、少し様子がおかしいことに気付く。
こちらはたしかに埠頭の方角。だが、住宅が固まって寸詰まりになっている地帯だ。
「おい待てこっちじゃない! 行き止まりにぶつかるぞ! どこに行く気だ!?」
「え、ウソ!? だってなんかもう波の音も聞こえるような」
「道すら知らんで走ってたのかお前は!? 引き返し――いやダメだ、さっきの奴が近くに来ていてもおかしくない」
「パテリコもう一回コケて?」
「……こいつの首でなんとかならんかな」
とにかく適当な路地に入りこむが、碌に区画整理がされていない一角である。入り組んだ迷路のようでどちらに向かっているのかさえわからなくなってきた。
マズい。いずれ発見される。
「――パテリコちゃん! こっち!」
ふたり揃って――非常に不本意だが――あわあわしていたところ、後方の路地から声をかけられた。心臓が出そうになる。
だが知っている声。そして、覗いた顔も知っている。
「ジョシュ!? なぜここに!?」
同僚三人組のひとりだった。手招きする彼に言いながら、考える前に家の壁に背を預けるようにして隠れた。
「いやぁ、衛兵からホイスがやられたって報せが来てさぁ。ワービーと一緒に慌てて出てきたさ。パテリコちゃんが無事でよかったよ~」
半端に長い前髪を指先で回しながら、ヘラヘラと答えるジョシュ。緊張感の無い嫌な笑みだが、この状況での助けはありがたい。
そういえば、ホイスは街中に放置してきてしまったんだったか。そうすると、宿の件が起こる前から衛兵は動いていた? ここまでぶつからなかったのは幸運なんだか不運なんだか。
「そうか。ワービーは?」
「衛兵さんと一緒じゃない? ほら、ホイスの確認もあったし。俺はパテリコちゃんを探してさぁ、いやー大変だったね」
「なるほどな」
「それでさ、え~……こっちは」
彼の視線が逸れて、困ったように眉を寄せる。
ちゃっかりついてきていたクロワルチェが所在なさげにしていた。
「あ、どうも」
「……なんで一緒にいんの?」
「……なぜだろうな。あと、偽物だった」
「え、マジで? ていうかやっぱり?」
「偽じゃないもーん。偽だけど偽じゃないもーん」
わけのわからないことを言っている彼女をほうって、周囲の気配を探った。
『人狩り』の気配など読める気がしないが、おそらくまだ追いつかれてはいないと思う。おそらく。
「ともかくジョシュ、この辺りの道はわかるか? 海沿いに出る道だ」
「あー、このまま細い路地を選んでいけばいいんじゃないかな。ていうか、なんで海?」
そういえばそうだ。船がどうこう言っていたのはクロワルチェだけで、私は別にそのつもりは無い。このままジョシュと共に衛兵と合流してしまえば、いくらなんでも『人狩り』だってそう手は出せないだろう。
なんで未だに海まで行こうとしているんだ。ダメだ。流されている。
「いやその、こう、逃げてきた成り行き上というか」
「あはは~、飛びこみでもするの? 『人狩り』も海の中までは追ってこないかもしれないね~」
いいやそんなことはないぞ。あいつらのあの殺気はどこまでも追ってくるという説得力があった。いっそ国の外まで逃げたいくらいだ。
ひとつ、クロワルチェの片目と視線が合った。
いや、まぁ、そうだな。言わんでもわかる。
「なぁジョシュ」
「なんだい?」
「なぜ『人狩り』に追われていたことを知っている?」
「……衛兵から」
「ホイスは即死だった。それまで連中が街に入りこんでいることなど誰も知らなかったし、誰にも見つからなかったよ。そこにいた私が保証する。ところで私が宿の近くにいたことは知っているはずだが、どこを探していたんだ?」
ジョシュはやはりヘラッと笑った。
笑ってから、腰の剣を抜き打ちしてくる。
先の黒衣が振り回した大剣に比べたらそよ風のようだ。大きく後ろに跳んで、こちらも剣を抜く。
後頭部に何か当たった。「あいたぁ」と声。邪魔だぞ。
「ちぇー、めんどくせー」
剣を構えながら、ジリジリと足を擦らせる目の前の男。突きかかることも逃げることも選べる位置を探している。相変わらず戦い方すらこすっからい。
「ねぇねぇ」
なぜか鼻を押さえながら、クロワルチェが無遠慮に声を挟んできた。剣を突き合わせている場だというのに、こいつも緊張感が無い。
「もしかしてさー、あの人たち街に入れたの君?」
「だってさぁ、しょーがないじゃん。こんな下っ端仕事やってたってさぁ、金も貯まらないし、小遣い稼ぎくらいするだろ? あんたらが負けてそれもオジャンになるかと思ったけど、まだ稼げそうだ。あ、偽物だっけ?」
この口ぶりでは、もっと以前から間諜として働いていたようだ。
なんて卑劣な奴だろうか。金のために軍も国も裏切るなどと。こいつのせいで私まで殺されかけたじゃないか。
「そっかそっか、偽物だからあの連中に追われたわけね。こいつ届けたら覚えもよくなりそうだなぁ。パテリコちゃんどう? 一口噛まない?」
「……吝かではない」
「ちょっと!?」
しかし正直、この女を差し出したところで私が許されるかは五分五分。いや、かなり不利かな。あの『人狩り』の男、話が通じなさそうだし。
「だが、裏切り者を捕えるほうが楽そうだな」
「……あー、ホントめんどくせ」
呟いたと同時にジョシュは突きかかってきた。横から弾いてかわす。
横薙ぎ。受ける。掬い上げ。かわす。振り下ろし。受ける――
あれ? なんかちょっと強いぞ?
対応できる。できはするけど想定したより強い。そんなはずはない。ジョシュとの模擬戦は私が勝ち越している。
……そりゃ間諜やってるくらいだもの。実力は隠す。私でもそうする。
ちょっと待て! ズルいぞ!
とうとう剣を受けきれなくなり、彼のニヤけた顔が迫って――
「えいっ」
横から出てきた短剣の先がジョシュの肩に刺さった。
驚いた表情の彼と、へっぴり腰で剣だけ突き出しているクロワルチェ。
刺さったといっても、ほんのちょっと引っ掻いただけ。爪先程度のものだろう。だが、隙を作るには十分だった。
「卑怯野郎め!」
とにかくいろいろな不満や怒りを全て込めて、ジョシュの足を打ち据えた。
倒れたジョシュの首元に剣を突きつける。彼は荒い息を地面に吹きつけていた。
さて、とりあえずこいつを連れて衛兵に――ダメだ。いつまた『人狩り』がやってくるか知れない。拘束だけして、合流するのが先だ。
と考えていると、横からなにやらヒョコヒョコ手のひらをこちらに見せてくる女がひとり。
「ヘイヘーイ」
なにがヘーイだ。
いやたしかにこいつのおかげで助かったといえば助かったが……そもそもこんな状況になった元凶である。その疫病神がヘーイだのなんだの。やっぱこいつも斬っちゃおうか。
まぁ、それもここまで。もうオサラバだ。二度と会いたくない。
と――そのクロワルチェが、訝しげに足元を見る。
「ていうかパテリコ……ぜんぜん手加減しなかったんだね。これ、大丈夫なの?」
なんのことだろう。こちらも足元を見る。
ジョシュの周りには、凄まじい勢いで血だまりができていた。
「あ、あ、え?」
彼自身もなにが起きているのかわかっていない。
私もわからない。足を斬ったとはいえ、すぐに立てない程度に軽くだ。そもそも私の剣はそれほど切れ味がよくない。
足の傷だけではなかった。ほんの小さなはずの肩からも血が噴き出ている。
あっという間、明らかに致死量の血を流して――ジョシュは、最後まで不可解な表情をしたまま死んでしまった。
「…………」
「…………」
ふたりでそれを見て、顔を見合わせ、もう一度それを見て、やっぱり顔を見合わせた。
そして、お互いに一歩さがる。
「お、お前なにをしたぁ!?」
「こ、殺さないでごめんなさい!?」
揃って叫ぶ。なにこれ。いやホントになんだこれ。
クロワルチェがなにかクロワルチェっぽいヤベーことでもしたかと思ったが、どうも様子がおかしい。自覚が無さそう。ていうか私がなにかしたと思っている。
なんなんだこいつは。偽物なんじゃなかったのか? だが本物だろうが偽物だろうが、なにかおかしい。
「――そこで何をしている!」
唐突に飛んできた声に我に返った。
振り返ると、幾人かの衛兵が並んでこちらへ向かってくる。
「パテリコ!?」
その中に、同僚最後のひとり、ワービーも混ざっていた。
ああ、ジョシュは彼については本当のことを言っていたのか。よかった。合流できそうだ。これで助かる――
「じょ、ジョシュ!? これはいったい……パテリコ、なにをしたんだ!?」
ん?
改めて自分とその周りを見回した。
斬殺された同僚の男。その横に佇む私。手には抜き身の剣。刃にはちょっぴりだけだが、血のりも付いている。あとなんかクロワルチェ。
……ん? これは……どうなるんだ?
どうなるかといえば、滅茶苦茶になった。
近くの家の屋根から降ってきた『人狩り』が、大剣を振り回して暴れ回ったからである。
弁解もできず保護さえ望めず、結局はまた逃げるしかなかった。
◇
キィコ キィコ
朝日に照らされた海原がキラキラ奇麗。
頭上には猫みたいに鳴く鳥。ウミネコだったんだねあれ。
ニャア ニャア
海が凪いでいたのは幸運だった。この時期は荒れやすいからねー。ちょっとは運が向いてきたかな。
キィコ キィコ
……まぁ小さな手漕ぎ船くらいしか拾えなかったんだけど。
ちまちまと櫂を動かしながら、少しだけ遠くへ離れたクアンズ・オルメンの街を眺めた。あ、また火事になってる。もしかしてまだ暴れてんのか。
大変だ。いやー、大変だ。
ニャア ニャア
向かいに蹲って座りこむ彼女の姿はなるべく見ない。ちょっと悲壮感に溢れすぎている。
大変だね。いやきっと大変なんだよいろいろ。
キィコ キィコ
「あのー……パテリコさん」
「…………」
答えは無かった。
ただほんのちょっと顔を浮かせて、怨念こもりまくったガン睨みを飛ばしてきてから、また顔を伏せた。
ニャア ニャア
キィコ キィコ
のどかだねー。