11.爆散
ふと、目が覚めた。
二度寝に入ってから数時間ほどだろうか。窓の外は月の光もどこかへ失せて、ことさら暗く感じる。夜明け前くらいかな?
半端な時間に起きてしまったが、意外と頭はすっきりしている。久々のアルコールに二日酔いをしてもおかしくなかったはずだけど、どうやらクロワルチェの身体は内臓も丈夫なようだ。
ふぬっと背伸びをしてから、部屋に備えてある桶の水で顔を洗った。
あー、昨日も思ったけどこの包帯代わりの布も汚れてきたなぁ。額の化膿も落ち着いたし、取り替えようか。いちおう古着屋で布の切れ端をもらってきておいてよかった。
いっそ帽子かフードでもいいかも。やっぱりちょっと不便なんだよね片目だと。まぁでもあんまり見られるのもね。そんなことを思いながら新しく包帯を頭に巻きなおす。
三度寝の気分でもないので着替えた。散歩でもしてこようかな。
この時間、漁師の皆さんならもう起きているだろうし、どうにか仲良くなれないものか。最悪、パチれそうな船の目星だけでも。その時はもう自力で動かすしかないが、まぁなんとかなるなる知らんけど。
というわけで、出かけてみよう。
危ないかな? いや危ないんだけどさ。暗いしさ。昨日も襲撃されたばかりだしさ。いやいやだからこそ行動は早くなければいけないのだよ。
なのでジギエッタも叩き起こそう。寝るの早かったし起きてるかも。
ふんふふーん、なんて鼻歌と共に扉を開く。
壁にへばりつくような姿勢の何者かがいた。
「ふん?」
しばらくそのまま固まる。
何者かはゆるりとこちらを見て、ゆるりと身を正した。わたしの間抜けな驚きの声に反応したわけじゃないし、見られて困ったようでもない。
ごくのんびりと、自然にこちらへ向き直っただけだ。
おかげで、次の瞬間には両手で頬に触れられたというのに、少しも反応できなかった。
廊下は暗い。けど、階段のほうにランタンがひとつ掛けられている。
明かりはわずかながら届く。なのに相手の姿がよくわからないのは、全身が真っ黒だから。フードの下に露な口元だけ、ぼんやり浮かんでいる。なんだか血行の良さそうな唇をしているが、たぶん男。
顔へ伸ばされた指先がざわざわと這う。おわー、変態!?
「――なるほど。なるほど」
どう反応すればいいか迷っているうちに、額へ指が滑って覆いをめくられた。
瞼の上にある傷跡をなぞられる。ぎゃーやめろバカ! 治ってきてるのかわからなくて怖いから自分でもあまり触れないんだぞ!
「クロワルチェ様のお顔。おお、なるほど。たしかに」
じろじろとわたしの顔を眺めまわしていた視線が、ぴたりと止まった。
目と目が合――うおお、焦点が合ってない。
「――それで、貴様は誰だ」
恍惚としたように浮かんでいた男の笑みが消えた。
あ。これアカン。殺気ってやつだ。そんなもの察知できたことあったっけ。よく覚えておきましょうこれがそうです。
うわー殺されるー、とか言う暇も無い。
相変わらず読めない動作で、いつの間にか男の手には剣が抜かれている。どころじゃない。もう切っ先が胸に突きこまれる寸前。
そこでピタリと止まった。
「どうすればいい?」
背後から声。目前には剣を突く姿で静止した黒衣。
万歳が半ばで止まったような情けない恰好のまま、わたしは首だけをぎぎぎと回した。
ジギエッタは腕組みをして、こてんと頭を斜めにしていた。
「危ないようだが」
「見たとおりだよ!」
「やはりそうか。だがやり過ぎるのもよくないようだし、殺さずに止めたぞ」
斜めっていた頭を戻して、ほんのちょっと顎を上向けるジギエッタ。え、なに。もしかしてドヤってる? そういえばベクステアを出る時にそんなやり取りしたような。よく覚えてたねえらいえらい。
いやここは問答無用でやってくれたっていいわい。殺されかけやぞ。
「む」
そのドヤ顔が少しだけ崩れた。
キチキチと何かが軋む音が聞こえる。
首を正面に戻すと、黒衣の男はふたたび口元を笑みに変え身体を震わせている。よく見れば――本当に全力で目を凝らせば――廊下の暗闇、どこかからごく細い糸が伸びて腕や足、そして剣先に絡みついていた。
そろりそろりと足を擦らせて、ジギエッタの隣まで下がった。
「む。む」
その白髪はなにやらモジモジしている。
目に見えないほど細い糸でも、容易く振り解ける拘束ではないらしい。だがそれでも黒衣は力尽くで振り解こうとし、多少の拮抗を生んでいるらしい。
え、大丈夫これ? なんかけっこう頑張ってない? ヤバくない?
「むう」
不機嫌そうな顔をして、むうむううるさい白髪は少し右肩を引いた。
それと同時に、黒衣のどこかからパシと軽い音。そして、わずかな血しぶきが床に落ちる。
黒いフードから覗く笑みが凄惨さを増して――
「――【風ヨ爆ゼヨ】」
宿の二階が吹っ飛んだ。
◇
空中で十回転くらいしたところで、誰かにキャッチされた。たぶんジギエッタ。
四方から八方に向けて飛び跳ねた衝撃波がそこら中を突き抜け、宿二階の廊下、壁も天井も床もぶち抜きまくったのはわかった。砕けた扉の間から裸の男女と目が合った気がする。無事だといいね。
そんなことより一発で三半規管が行方不明。吐きそう。
いや吐くどころか内臓が爆散してもおかしくなかったんだけどさ。ジギエッタが庇ってくれたっぽいんだよね。なんだかんだ言っても頼りになるなこいつ。あぁ吐きそう。
どうもけっこうな距離を飛んだようだ。ぐらぐらする頭をなんとか起こすと、凄い勢いで宿の――うわ、半分くらい砕け散ってる――全景が遠ざかっていく。おー、空飛んどる。ていうか滑空してる。
さすがのジギエッタはわたしを抱えていても問題ないようで、華麗に着地――
「ぐわーっ!?」
なんか踏んだ。
体育座りのようになったジギエッタの下に、誰か倒れている。公国軍支給の量産品ソルレットに、それと釣り合わないちょっと良さげな胴鎧。妙に外へ跳ね気味なマロンブラウンの髪。
「――パテリコ? なにしてんの?」
「急に降ってきてなにしてるもクソもあるか……!」
おお、人ふたり分が落ちてきたのに割と平気そうだ。頑丈な子だねー。しっかり鎧を着てたおかげでもあるかな。
上から退くと、彼女は腰を押さえながらよろよろ立ち上がった。こっちは抱っこされたままなのでちょっと目線が高い。
「な、なにをしているはこちらの台詞だ。宿が爆散したぞ。いったい何をしたんだお前は」
「違う違う、わたしじゃないよ。襲われたの。ワタシヒガイシャ」
「なんだその片言は……ともかく、そんなわけあるか。なぜお前が襲われなきゃならんのだ」
「そりゃクロワルチェだもん理由はいくらでもあるでしょ」
「い、いや、それはそうだが……」
もごもごと口を歪ませながらわずかに俯くパテリコ。腰が痛いのかなー?
「ところでパテリコちゃん」
「ちゃん!? そんな気軽に呼ばれる筋合いは――」
「『人狩り』に突撃訪問されたんだけど何か知ってる?」
今度こそ彼女ははっきり口を噤んだ。
そりゃねぇ。こんなタイミングにねぇ。とっくに帰ったはずの彼女がここにいるんだから、ちょっと不思議だよねぇ。
ひとつ後ろへ跳んで距離を取ると、パテリコは開き直った実に堂々とした表情で言った。
「仕方ないだろう! あんな連中に刃向かえるものか! 仲間もひとり殺されてしまった! 私は自分がかわいいんだ! 案内さしあげるくらい当然だ!」
「さしあげるときたよ……」
「だいたい困ることなど無いはずだ! 『人狩り』といえば貴様のお抱え部隊じゃないか! 予定が狂ってしまったのは悔しいが、奴らの靴を舐めればお前の懐に入る目的は達成できるかなーとか考えるだろう!」
「うんまぁ……そうかもね……」
「なんだよなんでそれで爆発するんだ!? まさかあの『人狩り』に襲われたっていうのか!? なんでそうなる!? お前はいったいなにを考えて――」
わしゃわしゃ頭を掻きむしっていた彼女が、唐突に止まった。中空に視線を投げ出して、真顔になっている。
あ。思い至ったかも。
「――当然です」
ねとつくように這い寄る声とは裏腹に、地面を叩く音は軽かった。
振り返る。遠くでは半壊した宿から従業員や客が這い出してきていた。なにが起こったのかと自分たちがいた建物を見上げている。周囲からも住人が出てきたり窓から顔を覗かせたりしていた。
それを背景に、黒い人影。
空はほんの少し紫がかってきたが、まだ暗い。けれどあまりに黒いその影は、もはやくっきりと浮かび上がっていた。
「クロワルチェ様の名を騙るどころか」
人を狩る影。
クロワルチェが見出した、間諜であり戦闘者であり暗殺者。
そのひとり。
「その高貴なる御身を真似、そのうえ卑しめるとは」
抜き身の剣もやはり黒い。
「万死」
とのことです。ヤベー、万回殺される。
ちらと横目で見てみると、パテリコがこちらに指を突き出して口をパクパクさせていた。
「や、や……やっぱり、偽」
「おーほほほほほ!」
仕方ないので高笑い。高笑いってやったことないからちょっと咽そう。
「まぁったく、あたくしが偽物だなんて、不敬ですのことよ! よく見てごらんあそばせ! あてくしこそクロワルチェ! クロワルチェに間違いないざますですわのことよ!」
めっちゃ睨まれた。前方と横から。あ、はい、すいません。さすがにこれで誤魔化せるとか思ってねぇっす。でもほら、いちおうね、嫌疑に対して否認するくらいのことはね。
「ねぇねぇ」
「なんだ」
成り行きをぼーっと見てたジギエッタの肘を引っ張る。
「あの人、止められる?」
「止める分には。だが」
「ん?」
「想定より強い。この時間だとすんなりとは」
「時間?」
「俺は……朝はよくないんだ」
やはりちょっと俯いて彼は答える。こいつの恥ずかしいポイントがわからん。
黒い影は剣を構えて戦闘態勢に入っているものの、ジギエッタを警戒しているのか、まだ向かってはこない。先ほどの攻防を見るかぎり少なくともこちらが有利とは思うけど、まためくらめっぽう爆発されても巻きこまれても困る。
「な、なんじゃそりゃあ……ともかく、なんとかお願い。もしできれば、他の『人狩り』さんたちがどうしてるとかも聞きたいから生かして捕まえて」
「難しいな」
「がんばってよ。あと、周りの人を巻きこんだらダメだからね! 巻きこまれそうになったらちゃんと守ってあげること!」
「む、難しいな……」
というわけで、わたしが今やるべきことは。
「逃がさんぞ大罪人!」
黒衣が叫んだ。おお、そんな大声も出るんだね。
大罪人だってさ。間違ってない。なにせこの身体がクロワルチェのものであることに違いは無いのだ。
だから一言だけ。
「――黙りなさいイスカハ」
指をさして言ってあげれば、彼ははっきりと動揺を身体全体で示した。
チャンス。
「よっしゃ逃げるよパテリコ!」
「はぁ!? なぜ私まで――」
「残ってもいいけど、多分あんたも殺されるよー!」
踵を返して全力ダッシュ。朝日に向かってゴーゴー。東どっちだろう。
「ああっ、もう、なんでだー!?」
後ろから慌てたようなパテリコの叫びと、鈍く響く金属音。
走りながら小さく振り返ると、必死に追いかけてくる彼女の姿があった。それから、『人狩り』の剣を素手で受け止める白髪男。
頼むよージギエッタ。たっぷり時間かせいでねー。
さーてここからどうするかな。もうこの街にもいられないし、勢いで適当な船をシージャックしちゃおうかな。
いやーなかなか安心できませんなー。でもちょっと慣れてきたかも。
なにせ今度は服もお金もあって、身体もまぁまぁ元気だからね! 海の向こうでもどこでも行ってやらぁ!