1.炎上
目が覚めると、眼の中にいた。
自分がなにを言っているのかよくわからなかったので、もう一度。
眼の中にいる。
うん。ちょっとなに言ってるかわからないですね。
とはいえこの楕円形のスクリーン。ときどき上下からパチパチ閉じて、さらさら垂れる黒い房。ついでに左下に覗く鼻の頭。
眼だこれ。右眼の視界だ。
そんな画面を目の前にしてわたしはポヨンと浮いている。
なんだろうこの状況。私なにやってたっけ。たしか面倒な仕事を終わらせて帰るところだったから――寝ちゃったかな。疲れてると変な夢見るよね。
気合いを入れてみてもなかなか目が覚めない。これは熟睡しちゃってるな。
「クロワルチェ……」
ん? 呼んだ? なに? くろ? なんぞ?
「た、たしかにクロワルチェと瓜二つだ。なぜ――」
「いかがですか伯爵様。これで公家にも面目が立つことでしょう」
ここまで気にしていなかったが、目の前――眼の中からの視点なんだから目の前でいいだろう――にはふたりの人物。
なんか幸薄そうなおじさんと、顔をヴェールで覆ったおそらく女性。こちらを見下ろしていた。
ていうかなんか視界が低い。もしかして子供の視線なのかな。
やたら深刻そうな表情のおじさんに顔を覗きこまれる。近い近い。
なんか古めかしい格好した人だなぁ。外人? オペラかなにかの衣装でも着てるみたいだ。ちょっとくすんでるけど。
んん? 耳が妙に尖ってる。エルフのコスプレ? 特殊メイク? 中年のおじさんがやるとこう、なんだろう、なにか間違ってる気がする。
薄暗い部屋もよく見れば調度や内装がずいぶんアンティーク。なんかあれだね。西洋のお城とかお屋敷の中みたい。
うーん設定がわからん。ほんと変な夢。
どうやらシリアスな場面だったみたいだし、もうちょっと成り行きを見守ろう。ポップコーンとコーラちょうだい。ピザとビールでもいいよ。
「し、しかしどうやって――いや、それよりもこんな」
「いいえ、いいえ伯爵様。この子こそ伯爵様のご息女クロワルチェ様であらせられるのです。知るのはここに居る者だけ」
「……こんなことが露見すれば」
「知られなければ、なにも無かったことになりましょう。それとも、公子の婚約者をこのような醜聞で失うことがあってよろしいと?」
「ぐ……」
わからん。わからんけどなんか不穏な言葉がチラホラと。ナレーションでも入れてよー。
とにかくどこかのお城でこのふたりは私の入っている――というか憑りついているというか――子を囲んでなんか悪巧み? をしてるらしい。
「奥様は気の毒でございました。しかし、せめてクロワルチェ様が戻ればシルウィール様も無用に気を病むことはありませんでしょう」
「……結局は、私の不始末か」
「時間はありません。デビュタントはごまかせても、宮中に入るとなれば完璧に仕上げなければ。伯爵様、どうかこの子を存分にお使いください」
「わかった、わかっている、猶予は無いのだ、わかっている。やるしかあるまい。これまでの教育を――いや、それどころか、性格、話し方、あの子の全てを叩きこまねばならん」
だから説明せんで話を進めるんでなーい。解説しなさーい。
そんなわたしの心も知らず、おじさんはドアップになったかと思うと視界を外れてしまった。
「――お前がクロワルチェだ」
こちらに向けられた言葉というより、自分に言い聞かせているような台詞。
どうやら緩く抱きしめられているらしい。
おかげでおじさんの背後にあった鏡に、こちらの姿が映った。
あら可愛い。十二、三歳くらいかな。癖の無い黒髪に整った鼻筋、小顔でいいなぁ。ちょっといたずらそうな目元がこれまた似合っててこれは将来美人に――あ。この子、両目の色がちょっと違うのね。すごーい。
そんな天使のような顔が、ニタリと笑った。
ひぃ!? なんじゃあ!? ホラーだったのこれ!?
◇
五年も経てばこの世界のこともぼちぼちわかってくる。
ここはイデンス公国。の、フラムンフェド伯爵領。
わたしの入ったクロワルチェちゃんは偉い貴族のご令嬢なのでしたー。きゃー。他の貴族からも一目置かれまくる存在なんです。なんせ公子様の婚約者だからね。わーすごーい。
それはよろしいのですが目が覚めません。
ちょっと待ってなにこれ。一向に夢から覚める気配が無い! なにあっさり五年も経ってるの!? あっさりでもないよじっくりこってり付き合わされたよ!
幸い――でもねぇわ――空腹とか眠気とか生理的なあれこれは感じないし、休もうと思えばプツリと意識を落とすこともできるので虚無を感じたりはしないけど、意識を戻してもやっぱり眼の中。
わたしどうしちゃったの……もしかしてなにかの弾みに死んで、本当に幽霊として憑りついてるのかな。そりゃこんなワケわからんうちにこうなったら未練はあるけども。
とはいえ出来ることといったら外の様子を見るくらい。つまりクロワルチェの見る世界を一緒に眺めるしかないのだ。
しかし。しかししかし。この状況は。
イデンスとかいう国名なんて聞いたこともないし、携帯もテレビも見当たらないし車も走ってないどころか街灯のひとつも無い。中世ですねー。
そうそう、クロワルチェがよく変な本を読んでてさ。なんか怪しいお呪いみたいなのがたくさん書いてるの。兵法書なんかにも平気で術師をどうこうって書いててさ。なんだこりゃと思ったら実演されたでやんの。剣と魔法の世界ですねー。
そしてなにより、周囲の人たち片っ端から耳が長い。外人どころの話じゃないですねー。異世界ですねー。
……マジかぁ。
まぁ考えたってこの状況は変わらない。しゃーないしゃーない。
ところで、しょうがなくない現実もある。
「クロワルチェ・トゥイーク・フラムンフェド。君との婚約は破棄させてもらう」
そりゃあね。そうなるね。
広間を見下ろす階段の踊り場に立つのはイデンス公の第一子ユニウス殿下。そして隣に寄り添うシルウィールちゃん。
婚約者――まさにたった今、破棄されたけど――と、妹だった少女に視線で射られているクロワルチェは何を思うんだろうか。舞踏会の招待客たちが遠巻きに自分を囲うこの状況に、どう対応するんだろう。
「公家の名において貴女を処罰させてもらう。これまでの狼藉、全て証拠も揃えている。伯爵家にも相応の措置をとらなければなるまい」
つっても自分が悪いんだけどさ。
だってさ、せっかく懐いてる妹をさ、なにが悲しくて家から追い出さなきゃならんのよ。懇意の男爵さんが預かってくれなかったらどうするつもりだったの。あの悲しそうな顔まだ思い出せるよ。
夜会や舞踏会で顔を合わせる度にいびり倒してさ。やめてよ。なんでそんなことするの。
公子だってそりゃヤベェと思うよ。婚約者って立場を使ってこれでもかってほど好き放題してたもんね。
気に障ったからってどこか遠くに追いやられた人、両手で数えきれないもん。平民も貴族も分け隔てなくね。平等の精神だね。ほんとやめてよ命に関わった人も絶対いるよ。
ていうか、そのうち公子に一服盛って半殺しにする計画を立ててたしさクロワルチェ。そうね。結婚後にうまいことやれば妃としての権威だけ掻っ攫えるかもね。
……これホラーじゃなくてサスペンスだったのかな。しかも主観かぁ。うーん胃が痛い。今のわたしに胃は無いけど。
「うふ」
そんな彼女は笑った。いや嗤った。表情は見えないけど、きっとそうだ。
幾度となく聞いた嗤い声。かつて見た、水溜りに溺れる虫を嘲るような笑みを浮かべている。きっと。
「狼藉だなんて、心外だわ。わたくしは公国のため、家のため、なにより殿下のために努めてきただけなのに。おかわいそうな殿下。きっと騙されているのね」
「……言ったはずだクロワルチェ。証拠を集めた。カーソン男爵は辺境から戻れなくなることも覚悟で証言してくれたよ」
「あらまぁ、わざわざあんなところまで? 名前は――忘れてしまったけれど、療養中のお嬢さんはお元気かしら。わたくし、あんなに仲が良かったから心配で。でも我がままばかりだった殿下がそんなことまで。誰のおかげなのかしらね」
公子に向いていた視線がわずかに横へずれて、シルウィールを捉える。
彼女はじっとこちらを見ていた。己を蔑んできた相手に怒りを向けるでもなく、その相手を追い詰めた優越感でもなく、ただ心配している。
乱心した姉をただ心配している。あー、やっぱいい子だよあの子は。
視線は次に、周囲の傍観者たちへ移る。幾人かの姿を認めて、
「ドロテア、マーティエ。貴女たちも同じ意見なの? そう。あらカナビス伯爵夫人、そんな怯えた顔をしないで? わたくし怒ってなんていないわ。ハンゼニー子爵はどこへ行ったのかしら。ファハム男爵、ご存知?」
これまで自分に侍っていた取り巻きたちが目を逸らす様を、クロワルチェは視界を小刻みに揺らしながら眺めた。
嗤ってる。嗤ってるよ~。どう考えても大ピンチなのになに考えてるのかわかんないよ~。怖いよ~そりゃ目ぇ合わせらんないよ~。
「お姉さま! もうやめましょう! 皆、勇気を出してくださいました! 私は、私たちはお姉さまをお救いしたいのです!」
踊り場から身を乗り出すようにしてシルウィールが叫ぶ。
周囲に味方がいないことをじっくりと確認してから、クロワルチェはそちらに目を戻した。
「そう――そうなの、シルウィール。頑張ったのね」
「お姉さま……」
「本当にかわいくないこと」
うおお。寒さも感じないのにゾッとした。そんな声が自分のいる身体から出てることにもゾッとする。
愕然とするシルウィールを支えて、ユニウス公子が近侍へ片手を振る。
「もういい。誰か、クロワルチェを外へ――」
「いいえ殿下。わたくしは自らの足で去りましょう。それでは皆さま」
視界が三歩分さがった。きっちり三歩。広間の中央近くから、出口に向かって。
そして足元を見るクロワルチェ。違う、頭を深く落として、やたら大仰にカーテシーを――
「ごきげんよう」
ガシャーン。
それからドカーンとかパリーンそんな大きな音と、震動と、悲鳴とか混乱とか、とにかくそんな大騒ぎが広がって、私にはシャンデリアが降ってきて会場がえらいことになったとしかわからなかった。
だってクロワルチェ、そんな騒ぎを後目に悠々と外に出ちゃったんだもん。
やっぱとんでもねぇなこの子。大丈夫かな、あそこにいた人。巻きこまれた人もいたような――いやマズイわ。考えたらダメなやつだ。
あ。こんな始末の後にどうやって帰るんだろうと思ってたら、ちゃんと馬車を用意してたんだね。抜かりないね。
しかも伯爵家の使用人じゃなくて、いつもの黒ずくめの人たちだ。クロワルチェ個人の私兵さんだね。ほんと抜かりないね。
いやーこれからどうなっちゃうんだろ。大変だーあっはっは。
……だ、誰か止めて。
◇
内乱勃発。
フラムンフェド伯爵家が旗頭となり、所領のいくつかが現イデンス公ジャンダイクに対し反逆。各地で戦線が広がっている。
とはいえ無謀な計画。鎮圧はもはや目前だった。
……まぁ、うん。首謀者はクロワルチェなんだけど。
あ、パパ伯爵はね、なんかもうこの子に家の中どころかお抱えの兵隊まで掌握されて、ただの言うこと聞くだけの人になってるよ。全ての責任を押しつけられそうだけど、普通に暗殺されそうだしね。娘に。パパ……情けねぇ……
ていうか話が行くとこまで行っちゃってついていけないというか、気が遠くなりそうというか。
あの、控えめに言ってクロワルチェちゃん、大量虐殺者なんですけど。
必要の無い戦争おこして、国中で人死に出して、フラムンフェド領なんかもはやとんでもないことになってるんですけど。
ギロチンって本当に見せ物になるんだね。人間おっかないね。あと道端で行倒れになっちゃった人はなるべく早めに埋葬してあげてほしいな。わたしが泣いちゃうからさ。むしろ泣いたけどさ。涙出ないけど。
でも、きっとそれももうすぐ終わり。
クロワルチェはパパさんと一緒に領の隅にある別荘に追い詰められて、今まさに周囲を包囲されているところ。連れていた手勢もほぼ制圧されちゃった。
その追手を率いているのがユニウス君ってのが皮肉というか運命というか。
しかもシルウィールちゃんまで見かけちゃったよ。なんでこんなところに連れてきとんねんアホか危ないでしょーが。きっとどうしてもクロワルチェに会いたかったんだろうなー。
だから屋敷の奥の部屋でふたりと対峙した時には、パパ伯爵はもう完全に観念していた。
クロワルチェも、さすがにここを切り抜ける手段はもう無い。
あぁ、ようやく終わるのね。
ここまでのことやったら、いくらなんでも無事では済まないよ。クロワルチェ、死刑になっちゃうのかなぁ。ギロチンかなぁ。仕方ないというか当然じゃいと思うけど、こんなに一緒にいたら情もちょっとはある――かな? どうかな?
んで問題は、この子が死んだらわたしどうなるの?
もしや一緒に死ぬ? そんな予感もあるにはあったけど、いやしかし。ある意味では悪夢が終わってくれるという考え方も。いやいや。
どうせただただ人の視界を覗き見してるだけだったしなぁ。でも死ぬのもなぁ。うーん。
なんて、考え事をしてたから、肝心の場面が目に入っていなかった。
壁に架かった飾り剣は刃が潰れてるはず。
なのにクロワルチェが取ったそれはユニウス公子の胸を貫いて、返す刀でパパ伯爵の喉を掻っ切った。
へ?
「ユニウス様!」
「あははははっ! おバカなシルウィール! お優しいシルウィール! さぁ、殿下もわたくしも救ってごらんなさい!」
こちらに向かってなにか言おうとして事切れた伯爵。崩れ落ちる公子と、彼を支えようとするシルウィール。
部屋の入口に下がっていた公子の兵たちが、激昂して一斉に剣を抜き――
クロワルチェは手近にあった燭台を床へ叩きつけた。豪華な絨毯があっという間に燃え上がり、周囲の調度や壁も巻きこんで燃え上がる。こちらとシルウィールたちを隔てるように。
と同時に、屋敷全体が揺れる。窓の外まで急に明るくなったのはそこら中から炎が噴き出したからだろう。あぁ、そういえば変な仕掛けを色んな所に仕込んでたなぁ、とかぼんやりと思うのは頭が追いつかないから。
「お姉さまぁ――!」
公子と共に、兵たちに抱えられ退避していくシルウィールは、最後までこちらに手を伸ばしていた。
そして、クロワルチェは――炎の中で踊るようにして、最後まで嗤っていた。
……完。
完じゃない!
なんか盛り上がっちゃってるクロワルチェはいいけど、わたしはヤダよこんな焼死すんのを最後まで見てるだけなんて! 想像もしたくない!
待って待ってどうするのこれうわ火ぃすっごい全焼コースだこれひえーどっかでなんか崩れたここも時間の問題だうぎゃーパパがーパパが燃えてるー見ないで見ないで見ちゃダメなやつだそれそうそうもっとクルクル踊って踊っとる場合か!
でも、うーん。ギロチンよりはマシ……そうでもないかぁ。
ん? なんか外でまたなにか光ったような。火が強くなったのかな。
それならいっそひと思いにボウッとやってくれたほうが――いやーやっぱちょっとムリー! 火に対する根源的な恐怖がー! 命の本能がー!
いくらわたしは直接に熱さは感じなくても、怖いモンは怖いわ!
いやていうか熱い! 普通に熱い! 髪の端がパチッて!
「あっつ!?」
慌てて炎上しかけた髪のひと房を両手でパンパン叩く。焦げたーうえーん。
うえーん……
「ん?」
ん?
「あれ?」
あれ?
わたしが喋ってる。