059 黒猫、逃げる
「これが……『黄金の果実』」
奥の部屋には台座の上に生えている小さな木と、そこに実っている『黄金の果実』があった。
天井に穴が開いているようで、月明かりが暗い部屋を照らしている。
なんとも神々しいそのアイテムに、俺は興奮が隠せなかった。あんな配置のされ方、絶対にレアアイテムじゃないですか。
「よし、採るぞ」
「う、うん」
緊張が走る。
ぷちっと枝から『黄金の果実』が離れ、ずしりと手に重みを感じる。
これがレアアイテムの重みか。名前に恥じない重さだ。本物の黄金よりは軽いけど。
「ね、ねえ。触ってもいい?」
「オレもオレも」
コレクターではないエリィとカリウスも気になったのか、触らせてほしいとせがんでくる。
部屋に入る前に装備と職業を【魔術師】に変更しておいた俺は、ローブの内側で『黄金の果実』の表面を少し拭きエリィに手渡した。
「わぁ、思ってたよりも重くないのね……でも綺麗」
「だな……光ってるだけですごい」
「なにその子供みたいな感想」
まあ確かに、金メッキでも綺麗だよね。
折り紙の金色とかも、無駄に高級感があった。あれ、幼稚園で人気だからすぐになくなるんだよね。
ちなみに俺は銀色が好きだった。メタリックって感じ。いいよね。心はいつまでも小学生だ。
「うし、帰るか」
「だね。って、あれ? ジャスター目が赤くなって……」
次の瞬間、エリィの手から『黄金の果実』が消えた。
否、ジャスターが一瞬で奪ったのである。
目にも止まらぬ速さだった。確かにジャスターは速いが、あそこまで速かっただろうか。
ジャスターは、『黄金の果実』を持ちながらもう片方の手に青い石を持っていた。あれは……『転移石』!? まずい!
「へへっ、残念だったな。転移!」
「あっ、待て!」
言い終わる前に捕まえようとするが、この距離では追いつけないだろう。
ジャスターは青い光に……あれ? 青い光に包まれてないよ?
「……あ、ありゃ?」
「……えっ?」
「あ?」
「うぇっ?」
数秒間、静寂が訪れる。
『転移石』が発動しない。つまり、移動先はここからは転移できないということ。
『トワイライト』のルールに則った場合、『転移石』や〈空間移動〉を使った別世界への転移はできない。
同じ世界内でしか転移できないのだ。
「くそっ、だがもう遅い! 僕の勝ちだぁ!」
ビュンッと風を切る音と共にジャスターが消えた。やばい、呆気に取られて動けなかった。
音の聞こえて来た方向を見る。天井に空いた穴から逃げたようだ。
そうだ、何も扉から出る必要はないのだ。扉から逃げられないように警戒していたが、こんなところに落とし穴があったなんて。穴だけに。
とにかく、急いで追いかけなくては。『トワイライト』と同じ設定だとすれば、転移は同じ世界ならば使うことができるはずだ。
「二人共、飛ぶよ。〈空間移動〉」
「ど、うおおお!?」
「あはは」
光に包まれながら戦闘の準備をする。
流石にまだゲートには辿り着いていないだろう。ゲートの前、世界樹の下でジャスターを迎え撃つ。
向こうの世界に行かない理由は、ジャスターに逃げられやすいからだ。向こうのエルフを集めて包囲する時間なんてない。なら、視認できる状態で迎え撃つ方が確実だ。
景色が大きく変わり、森の中、世界樹の根本に変わる。当然向こうの世界ではなく『黄金の果実』があるこの世界である。
「エリィ、セラフィーに戦闘をお願いできる?」
「えっ? 私じゃダメなの……?」
「そんな泣きそうな目で見ないでよ……今その身体の全力を出せるのはセラフィーでしょ?」
「うぐっ、そ、そうね。――――はい、参上しました。状況は理解していますよ、レクトさん」
エリィの瞳の色が変わる。現時点で最高火力を出せるのはエリィではなくセラフィーだ。
もう少し修練をしたらエリィの方が使いこなせるかもしれないが、今は種族差が勝っている。
「うん、じゃあ全力でジャスターを倒してね」
「了解しました」
さて、あの速さの敵を相手にして魔法を使うのは難しいだろう。
『職業の書』を取り出し【剣士】にし、剣……ではなく刀である『ツムカリ』を装備する。今回は速さを重視するためこの一本だ。
〈瞬間倉庫〉で装備も変更する。和風テイストな軽い鎧だ。
背伸びをしながらジャスターを待っていると、カリウスが肩を回しながら話しかけてくる。
「なあ、レクト。ジャスター、捕まえるのか?」
「殺していいよ」
「え、でも一応情報とかも手に入るかもだぞ?」
「あれが言うかなぁ……? まあいいや。できるなら捕まえるってことで」
「あ、ああ……」
カリウスは俺が人を殺すことを気にしているようだ。そこまで気にしなくてもいいのに。
世界を救うんだったら、そのくらい本気にならないと負けてしまう。
それに、裏切ったのだ。容赦はしない。
「なんで先にいるんだよテメーら!?」
「早かったね」
予想外の速さでゲートにたどり着いた赤目のジャスター。
速さの理由はあの目だろうか。元々金色の目をしていたはずだ。
刀を構え、ゲートに入れないように気を張る。今、ゲートの前には俺が、その左右にエリィとカリウスが立っている。
「いいぜ、ついてこれるか?」
ジャスターは俺たちの前方にある木々を飛び回り撹乱する。
影しか見えない、しかしこちらに近づこうものならその首を斬る。
「死んでください!」
セラフィーの光の矢が放たれる。速い、だがジャスターの速さには敵わなかった。
寸前で避けられ、逆にセラフィーのいる場所を攻められてしまう。
そこを一点突破されるとまずい、咄嗟に立ち位置を離れ刀を向ける。
「〔カゲロウ〕」
刀がゆらりと波打つように揺れ、上手く視認することができなくなる。
セラフィーの真横を通り抜けようとしたジャスターに刀を振り下ろした。
〔カゲロウ〕は相手に幻覚を見せる武技だ。いつ振り下ろされるか、それが分からなくなる。
「おっと、あぶねぇあぶねぇ」
「避けた……!?」
どれだけ速いんだ。いや、危機察知能力が高いのか。
獣ならではの直感というやつだろう。本能で避けたのだ。それだけ本能が研ぎ澄まされているのなら、この戦い厳しいかもしれない。
「次はそっちだ!」
ゲートの正面から少し離れた俺を見て、ジャスターはカリウスを狙う。
まずい、反対側を狙われたら……!
「甘く見るな!」
襲い掛かってくるジャスターに、カリウスは剣を振り下ろす。
なんと、その剣はジャスターの進行方向に振り下ろされ、咄嗟に爪で身を守ったジャスターは遠くの木に弾き飛ばされる。
カリウスには見えているのか……? あの影の動きが。
「おいおい、本気じゃねぇの」
「そりゃあね」
「僕もここで終わるわけにはいかないからなぁ、一気にいかせてもらうぜ!!!」
正面、俺を狙ってきた。
俺なら突破できると思ったの? ふざけないでよ、確かに戦闘経験は浅いかもしれないけど、武器もレベルも上なんだ。
『ツムカリ』を鞘に収め、ジャスターの動きを見計らう。ジャスターが地面を蹴ると同時に、俺は武技を発動させた。
「〔刹那斬り〕っ!!!」
俺の『ツムカリ』は空を斬った。
外した……? なら、ジャスターはどこに……
「レクト! 上だ!」
「……はっ!」
カリウスの声を聞き、空を見る。
空中だ。俺が何か技を使うと思ったジャスターは、俺の刀が届かない範囲で再び地面を蹴り、飛び上がったのだ。
よく見ると、ジャスターの猫耳がほんの少し切れていた。あれだけしか、当てられなかったのか。
ゲートに飛び込んだジャスターを追いかけ、向こうの世界に戻る。
「僕の……勝ちだぁ! 転移ィ!」
追いかけてきた俺たちに向かい、ジャスターは『転移石』を天に突きあげながらそう叫んだ。
俺の刀よりも先に、ジャスターは青い光に包まれ消えてしまった。
負けた。この世界で初めて負けた。その悔しさだけが残る。
試合に負けて勝負に勝つ、かな。あの『黄金の果実』を取られても何も問題がないとはいえ、悔しい。
次は負けない。そう心に誓って、汗を拭った。




