突然隣の宅配便
今日は私にとって、とんでもなく稀有な日である。
なぜなら、今日が日曜日であるから。
不定休の仕事をしている私が休日としての日曜日を迎えることはほとんどない。世の大抵の人が休日であろう日も、せかせかと働くのが私の日常だった。
こういう特別な日はかえって何をしていいか分からない。仕事をしなくてよいという状況に慣れない自分をワーカホリックだと自嘲しながら、憧れの朝シャンというものに挑戦したところだった。
特別な日だから、と理由をつけて、普段やらない事をやってみる。寝巻きも歴史を感じるTシャツではなく、もこもことした裏起毛がついている可愛いデザインのものを引っ張り出してくる。
これぞ理想の女の一人暮らしだろう。
ふふんと得意げになり、気分良くココアでも飲もうかと準備をしていたときだった。
ピンポーン
インターホンが鳴る。
この家にはモニターなんて便利なものは付いておらず、ドアスコープもなかった。
要するに、扉のその先を知りたくばドアを開けるしかないということ。
女の一人暮らしでドアをいきなり開けろという状況は、かなりの緊張と恐れを伴うものである。
今までは宅配便ですと言われても、とりあえず居留守を決め込み、足音が遠ざかっていくのを確認する。そしてほんの隙間程度ドアを開け、本物の宅配業者だと確認してから追いかけていた。
実に面倒であるが、私にとっての最大の防御法であった。
しかし、今回はだめだった。居留守を決め込んでもずっと足音はせず、気配も消えない。
なかなか帰らないということに加えて、ドアの向こうの様子が全く分からないままで余計に不安になる。
これ、私が何もしなかったらずっといるんじゃないかな。ずっとって、一体いつまでなんだろう。
痺れを切らし不安がピークに達したところで、こちらから声をかけることにした。
「ど、どちら様でしょうか? 」
緊張で言葉が詰まる。
せめてもの自衛としていきなりドアを開けるのではなく、ドア越しに扉の向こうの人物へ話しかけてみる。
「宅配便です。お荷物のお届けに参りました。」
なんだ、ただの宅配便か……と、私はならない。
宅配便というその言葉を聞いた瞬間別の警戒スイッチがオンになる。宅配業者を装った不審人物の可能性あり! と頭に警告をしつつ、そのままにしておくわけにもいかないのでチェーンロックをそっと掛け、ドアを少しだけ開けた。
ドアの隙間から覗こうと扉に近づいていた私は、一瞬心臓が止まるのを感じた。
輪郭も確認できないほどの近さにある顔がこちらを覗き返していたからである。
その透き通るように青く、瞳孔まで一見して判別できるほど色素の薄い瞳と、バチッと音が立ちそうなほどタイミングよく視線が合ってしまった。
「えっなに……!? 」
その光景があまりに恐怖で一瞬で、脳に焼き付く。
すると、驚いている私をよそに目の前の男はここに来たワケを話し始めた。
「あっすみません、実はお荷物のお届けじゃないんです。隣のお家の方の荷物なんですが、11:00まで不在ですとのメモが置かれていて、もしよろしければ預かっていただけませんか? 」
荷物のお届けじゃないんかい! なんてスムーズに手のひら明かす不審者なんだろう。
不審すぎていっそ正直者である。よろしくない、何もよろしくないぞ。しかも失礼だけど、なんだかちょっと変な声……。
心の中で突っ込みつつ、目の前の変な男の何もかもに驚き動揺していた私はとんでもない失態を犯す。
脊髄反射で、「はい」と答え、その男に従ってしまったのである。
もっとも、その反射を持つのは私だけだろう。断れない症候群という持病によって形成された私特有の神経回路なのだから。
前言撤回すればまだ間に合うのに、いっぺん許可してしまった手前……と訳の分からない真面目さを発揮し、チェーンロックを外して再びドアを開け、荷物を受け取る。
お願いします、と手渡されたそれは何か大きな段ボールだったが、やたらと軽かった。
これ、中身入ってる?
まぁ私には関係ないけど……。
受け取った荷物の違和感に考えを巡らせている隙に、目の前の男は私の横をすり抜けてわが家へと不法侵入していた。
いやいや、ちょっと待って、図々しいにも程がある。
「ちょっと、勝手に入らないでください! 」
ズカズカと勝手に入り込んでリビングを見渡し、いや、まさに理想の一人暮らしって生活してますねぇすげぇ、とか勝手なことを言っている。
これはもう警察呼ぶべきなのかな……。
けれども、この男からは危なさが少しも感じられない。この状況で警察を呼ぶかどうかを迷ってしまうほど、何か悪いことをしようとしている人間には見えなかった。例えていうなら悪意のない悪戯っ子、小学生のような感じだろうか。
どうしようかと悩んでいると、男はさらに図々しさを増す。
「すみませんが、次の配達先まで時間があって、ここでご飯食べてもいいですか? 」
「えっ……」
いやだめです、と、その一言を繋げない。
なぜこの頭はそのくらいなら……という考えに至るのか。
何も答えない私を見て拒否されていないと判断したのか、どこから出したかわからないがその手に持っているビニールの中身を広げ始めた。
「すみませんねぇ。最近、路駐はうるさいんですよね。ドライバーは飯も食えやしない。あっお礼にあなたもおにぎり食べますか? 大丈夫です。手作りじゃないんで、コンビニなんで。」
そう言って『鮭』と一文字書かれた三角のおにぎりを手渡してくる。
この状態で、知らない人間が我が家でご飯を食べ始める摩訶不思議な一件よりも、おにぎりが知らない人の手で握られたものかどうかのほうが関心度が高いはずがないだろう。
なんだか突然怒りがふつふつと沸き上がってきて、結構ですと強めに答える。少しでも怒りが伝わればと思ったが、奴はそう? と気にもせずにおにぎりを袋に戻す。
それからは目の前で知らない男がおいしそうにご飯を食べるのを、ただ眺めていた。
なんなんだこの状況は……早く帰ってくれ!
なんで上げてしまったんだろう、私は本物の馬鹿かもしれない。これからは人にものを頼まれたときに断る練習をするんだ。いや、しなければ。決まり、決まりだ!
あぁ、本音と建前を置換するシステムがあったら今こそ使い時なのに……と馬鹿な考えが頭に浮かぶほど、私は動揺を極めていた。
しかし、もちろんそんな装置は無いし、この状況は自分でなんとかするしか無い。
男が色々話しかけてきている様子だったが、せめてもの抵抗である無言の圧力を発動し、心の中で早く帰れコールをしながらにこにこするだけに留めた。
結局私の抵抗など物ともせず、男は昼食を全て食べ切るとごちそうさまを言いながら合掌し、ビニール袋の中からペットボトルのお茶を引っ張り出そうとした。
その時。
うまく出せずに引っ掛かったビニールがテーブルに放置されていたマグカップに当たり、ココアが床に散らばった。
「す、すみません!!! 本当すみません! 」
男が急に立ち上がり、頭を下げる。そして繰り返しすみませんと呟きながら、ビニール袋をガサガサと探りはじめる。
これまでの横暴さとは打って変わり、本気で申し訳なさそうに慌てる男を見て、やはり悪い人ではないことを確信する。
そうしていくらか安心感を得ると心が落ち着き、頭も冷静になってきた。
フローリングですし拭けば大丈夫ですからと男に告げ、拭くものを取りにたちあがる。
すると男が話しかけてくる。
「すみません、少し手を洗いたいんですがココアがかかってしまって……」
「じゃあそこの洗面所を使ってください。あっ、余計なものには触らないでくださいね。」
一応念を押して洗面所のある方向を指差すと、いや本当申し訳ない、とそちらに消えていった
男の姿が見えなくなると冷静さがより極まり、怒りの方向へとシフトしていく。ああもう……特別な日だったのに、なんて日だ。そもそも悪い人とか悪くないとかそういうんじゃないんだ。こんな刺激は求めてないよ! と怒り半分面白さ半分で絡まる感情に戸惑いながらココアを拭き取っていく。
何度か布巾を洗っては拭くのを繰り返し、ベタベタした感じも取れて乾拭きをしようとした時だった。
「いや、さっぱりさっぱり。」
そう呟く声が後ろからして、振り返る。
するとそこにはさっきの男とは別の人間が、自然乾燥させている手を振りながら立っていた。
「えっ、えっ!?」
さっき洗面所に入った男はココアのシミのある宅配業者の制服と褐色肌に金髪で青い瞳だったはず。
しかし、今目の前に立っているのは黒い瞳で完全に肌の色は黄色人種のその色で髪の毛も黒く短い。
頭も目の色も違う。
肌の色まで違う。
けれども服は同じ、ココアのシミもついている。
いや、本当に注目すべき決定的な違いは頭や目や肌ではない。
知り合いに変身している。
知り合いというよりも、もう見飽きたというレベルの顔。
やっぱりおかしいと思った。
何がおかしいって、もう何もかもがおかしかった。
居留守を決めても中々帰らないことも、このご時世に荷物を隣に預けようとすることも荷物が軽すぎることもこの男から危険な香りがしないのも、挙げていったらきりがない。
頭が混乱していたために悪い人間かどうかを判断できなかったのではなかった。
むしろ怪しい人間ではないと第六感が冷静に判断していたというわけだ。
「お前優しさも大概にしないと危ねえぞ? 知らない人間を家にあげるなんて。」
注意するフリして嘲笑うようなその一声で、全てを悟る。
あの男の声は薄々変だと思ってはいたが、本当に裏声だったとは。
さっきとは違う、正しく地声だとわかるその声が、いたずら完了とも言いたげなその含み笑いが、この男と自分との関係を証明していた。
何しにきたんだこいつ。
状況すべてに説明がついた途端、知らない人間だから許せたことと兄弟だから許せないことが入り混じって怒りに相乗効果がかかる。
口調も荒くなる。
これまでの混乱と侮蔑と、そして悔しさが込められた安心も、すべてを込めて言い放ってやった。
「ふざけるな! このバカ兄貴! 」
今日という日が、この男のお陰で本当にとんでもなく稀有な日にされたようである。
後日、あの時に受け取った段ボールの中から『HappyBirthDay』と書かれたメモとカタログギフトの冊子が出てきたことにより、男の行為が半分許されたことはまた別の話である。
このお話しの兄はやりすぎだと思うけど、愛のこもったいたずらは大好きです。それから、1人暮らしでドアスコープないのってすごく怖いです。ちなみに宅配業者ではないのですが似通った体験をしたことがあります。無防備すぎて、どうしたら帰ってくれるか友人に相談したときは「何やってんの!」一喝食らいました(ありがたい)。詳しくは説明しませんが幸い何もなかったです。そういうわけで、このお話に書いた主人公の最大の防御策は当時の私の防御策からきています。
今はドアスコープあるお家に引っ越したのでそんなことしません。笑