泣くのを悪というのなら、
シリアスさんがお仕事しすぎるけど、この物語はコメディですよ?
冬慈の、この方向性を決定づけたのは、己が泣いた所為だと、今でも希一は思う。
海外の血が混じる故か髪が赤く、顔立ちも濃かった。
そのため、異物として弾かれた幼少期。
排除しようと躍起になる他の子どもたちからの暴力や悪口に、何故そんな目に遭うのか分からず泣いた。
それを、ひとつ下の冬慈は見てしまった。
そのときまで冬慈は、食べることにやや執着を見せるだけのおっとりした子であった。
希一の髪がおいしそうだと笑い、ただ懐いていた。
泣いた希一をみて、泣くのを悪と言い訳する奴らをみて、たぶん冬慈は理解してしまった。
希一をイジメた人間を片っ端から泣かして回り、
『だって、なくほうがわるいんでしょ?』
などと言い張り大人たちを戦慄させるほどに。
泣くのを悪というのなら。
希一を泣かせた人間を己が泣かしたとしても、悪いのは「泣いた方」なのだと言い張れると。
はっきり言って、希一は冬慈が恐い。
冬慈がこうなってしまった原因が己であるということが、こわい。
責任を感じているといっていい。夏市に打ち明けたら鼻で笑われたが。
己がいじめられていなければ、こいつはただただ食べることが好きなだけの人間だったのではないかと、益体のないことを考える。
遅かれ早かれこういう人間になっていたであろうとはいえ、その引き金を引いてしまった責任を。
常に恐怖とともに考える。
トラウマになった出来事がある。
己の代わりに殴られ、動かなくなった冬慈。
死んだと思った。俺の所為だと思った。
こうさせてしまった、俺の所為だと思った。
だから、遠ざけたい。でも、突き放せない。
責任。という言葉にすり替えて。
一体己は、どうしたいのだろう。
ずっと迷って、だから離れて。
だけど、また。
平気な顔で己の隣に並ぶこいつを、どうしたら受け入れられるのだろう。




