放課後3
掻き上げられた前髪から覗いた、見事な困り眉。
とてもきれいな八の字を描いた眉の下には、水分量の多い、小動物を彷彿とさせる目。
色白の肌に不釣り合いな、左頬の殴られた赤い跡。
ダブついた制服故かほっそりとした、幸薄そうな見た目の所為で、とにかく殴られた跡が痛々しい。
思わず同情してしまうほど可哀相な出で立ちでありながら、編入生である佐久間冬慈は妙に堂々とした雰囲気で木林は混乱する。
立っているのが編入生ひとりだけなのをみるに、見た目ほどひ弱ではないということは分かるのだが、困り眉の所為で脳がバグを起こしているようだ。
しかし強かろうが弱かろうが、殴られた痕跡があるのは事実である。事情聴取は後にして、とりあえず保健室に、と声をかけようとしたところ、木林の隣にいたはずの委員長がいなくなった。
「え、」
「うるぁっ…!!!!」
みれば、どういうわけだか、徳丸が編入生に殴りかかるところだった。
「っなにしてんすかいいんちょーー??!!!」
叫ぶ。が間に合わない。
と思ったら。
編入生はすい、と半身になってあっさり躱すと、怪訝そうな顔で徳丸との距離を取る。
「…だれ?」
しかし徳丸は気にも留めず、何故かうきうきとした様子で編入生に話しかける。
「よお、お前地元出されたって聞いたが、まさかうちの学校とはなあ」
「………」
「ほんっと、いつみても見事な困り眉。まじ泣かしてぇ」
にやにやと笑う徳丸に首を捻っていた編入生だったが、ああ、と何かに気づいたようだった。
「なんだお前、徳用大根か」
「徳丸大吾だいい加減覚えろ!!」
「だから覚えてんじゃねえか、徳用大根て」
「…ぜってえ泣かす。」
そういってまた殴りかかるが、またあっさり躱される。
どうやら委員長の徳丸と、編入生の佐久間冬慈が知り合いらしいということはわかった。
わかったが、だからといって何故徳丸が殴りかかっているのかはよくわからない。
よくわからないが、傍目からみると完全に、幼気なシマリスに襲い掛かる野獣の図になっている。
徳丸の拳を躱しているのをみるに、編入生もそこそこ強いのだろうが、如何せんあの困り眉である。
どうみても、か弱い一般生徒を襲う風紀委員長。外聞が悪いなんてもんじゃない。
「委員長ストップー!!一般人殴っちゃダメですー!!!!」
なんて木林が言ったところでおとなしく言うことを聞いてくれるような人ではない。しかも、
「へーきだよ!こいつが一般人なんて冗談じゃねえっ!うらっ、よけんなっ!!」
「避けるに決まってんじゃんばーか」
「佐久間は煽んないで頼むから!!」
そんな感じで煽りまくっている編入生は、しかし見た目は本当に見事な困り眉で、水分の多い目が泣きそうにしか見えない。
止めに入りたいが、あいにく木林に止められるような委員長ではない。
救いがあるとすれば、殴る側の徳丸は本気なのだが、編入生が割と余裕で躱していることくらいだろうか。
煽っているのは編入生なのだが、事情を知らなければいたぶる委員長から必死で逃げる編入生に見える。そのくらい、困り眉の威力がすごい。最初から見ている木林ですら、うっかり編入生に肩入れしそうになるくらいには。
…いや、この場合は肩入れしていいんだった悪いのはどう考えても委員長だったと木林は思い直す。
「委員長まじでやめて風紀の評判ガタ落ちするー…!!!!」
「うるせぇーっっ!!!!俺はっ!初めてっ!出会ったっ!時からっ!こいつをっ!泣かすとっ!決めてんだよぉぉっっ…!!!!」
「そんなくそみてえな誓いなんぞドブに捨てちまえよ」
「佐久間もまじで黙ってえぇぇっっっ…!!!!」
なんて騒いでいたら、救世主が現れた。
「何をしているお前たち…!!」
「げ、…」
張りがあって深い、低音の美声が響き、風紀委員長でありながら編入生に喧嘩を吹っかけていた徳丸がぎくりと止まる。一応、やばいことをしている自覚はあったらしい。
その隙に、編入生は木林の後ろに移動してきた。何かあったら木林を盾にする気満々である。
編入生を近くで見たのはこれが初めてで、委員長と並んでいたときはとても小柄で華奢に見えたが、近くで見ると思いのほかがっしりとした体型である。といっても、木林より小柄で華奢ではあるのだが。
声の聞こえた方を向くと、そこにいたのは生徒会長の伊集院公介だった。
美声だけでなく、恵まれた長身にイケメンフェイスを載せた、ハイスペック男子である。
助かった、とキラキラした視線を思わず向ける木林。生徒会副会長であるところの瑞浪何某はドクターフィッシュに食い尽くされろと思うくらいには嫌いだが、生徒会長は別である。
公明正大で真面目な人柄の生徒会長は、暴走する風紀委員長の徳丸を止められる数少ない人物なのだ。
伊集院は、徳丸を鋭く見つめる。
「今、一般生徒に殴りかかっているように見えたが。風紀委員長?」
「…よお、こんなところまでやってくるとは、暇なのか生徒会長サンよお」
「こちらの質問に答えてもらおう。」
伊集院の毅然とした態度に、徳丸は内心冷や汗を掻きながらやれやれと首を振る。
「こいつは知り合いだよ、じゃれてただけだ。」
「…君、本当か?」
その言葉に、伊集院は木林の後ろへと目を向ける。編入生は、木林に隠れながらふるふると首を振る。
「なんか、いきなり殴りかかられた」
その言葉に、伊集院が切れた。
「っ貴様、風紀委員長自らが弱い者いじめとは何事だっっ…!!!!」
「いやこいつ全然弱くねえし…!!」
「言い訳はいらん!!謹慎して頭を冷やせ…!!!!」
言い訳にならない言い訳をする徳丸に、伊集院は更に怒りを重ねる。
さすがにまずいと、徳丸は縋るように木林を見る。
「おい木林っ、お前からもなんか言ってくれ…!!」
「…いや、なんかもなにも、佐久間の言う通りいきなり殴りかかったのは事実ですし」
おかげでいつの間にか、あたりに転がっていたはずの瑞浪の親衛隊たちは消えているし、佐久間を保健室に連れていき損ねている。
それに、いつも割と傍若無人に振舞っているのだから、たまには謹慎する側になればいいんじゃないかな、と思う木林。苦労かけられている分、委員長に対しては辛辣である。
「…う、裏切り者…!」
「いやどう考えてもいきなり殴りかかったあんたが悪いでしょうが。」
木林の言葉に、伊集院と佐久間がうんうんと頷く。
そして伊集院は、徳丸に向けていた厳しい顔を緩め、再度佐久間を見る。
「君、佐久間くん?」
「…はい」
なるべく怖がらせないようにと、努めて優しく声をかける伊集院。木林の陰にすっぽり隠れる体格の人間が、こんな野獣のような男に襲い掛かられたなんて、トラウマになってもおかしくない。
「怖い思いをさせて済まなかったね。この馬鹿は二度と君に近づけないようにするから、安心するといい。」
「なんだと…!」
反論しようとする徳丸をひと睨みで黙らせた伊集院に、佐久間はそっと木林の後ろから顔を覗かせる。
「…あの、たすけてくれて、ありがとう…?」
困り眉で瞳を潤ませながらお礼を述べるその姿に一瞬小動物をみて、表情を緩めた伊集院。動物は好きである。
しかしその頬に一目で殴られたとわかる痕跡を認めた瞬間、伊集院は徳丸の胸倉を掴み上げた。
「…殴ったのか、お前」
「俺じゃねえよ!!」
慌てて首を振る徳丸。信用していないのか、胸倉を掴んだまま、木林に視線を送ってくるので、木林はしかと頷き、正しく真実を告げる。
「俺たちが来た時には既に殴られた跡がありました。もともと制裁で呼び出された奴がいると聞いて僕らここに来たので。」
「ほらぁ、言ったろうが!」
「…ということはお前、ケガした生徒を保護することもせずに殴りかかったということか…?」
「あ、」
「はい、止める間もなく殴りかかっていきました。」
「きばやしぃぃぃぃ…!!!!」
「なるほどそうか。よく、わかった。」
伊集院はにっこり、場違いなほどの笑みを浮かべるとこう告げた。
「木林、君は佐久間くんを保健室へ。制裁の話はその後に聞こう。この馬鹿は、俺の方できっちり説教した後、謹慎部屋に叩き込むとするよ。」
「ういっす、よろしくお願いします。委員長、たまには反省するのも自分のためですよ。さ、行こう佐久間。」
「さあ、お前は説教だ徳丸。」
「うわあああ待て冬慈木林助けろーーーー…!!!!」
「ファイトです委員長ー」
やる気のない木林の応援を背に、徳丸の断末魔は遠ざかっていった。




