第一話
その男にはかつて親ががいた友がいた恋人がいた愛する妻がいた子供がいた孫たちがいた。大いなる冒険に旅立ったわけでもなく、世界を救ったわけでもない。多少女にだらしなくただ平凡に天命を全うした男が全てを終え人生の最後を迎えようとしたとき転機が訪れる。
第一話
孫たちが私を取り囲みその後ろで涙を堪える息子夫婦、枕元で微笑む愛する家内の遺影が微笑んでいる。遺産相続の手続きは上手くいっただろうか。予め貯蓄は崩し息子に手渡し、一戸建ての名義なども息子に変えた。
「父さんほど当たり前のことが完璧に出来る人は見たことがないよ。尊敬してる。」
震える声でそう言いながら息子が手を握ってくる。
「私がいなくなっても悔いないように人生を送りなさい。私にすらやり残したことが2つもある。」
「それはいったい?俺が代わりにやっとくよ」
「刺青を入れてみたかった…あとは裸の女に囲まれて死にた…か…ぶへぇあっっ!」
最後は義理の娘の鉄拳で終止符と心臓を撃たれ天命を全うした。
「はずだったのがここはどこかな」
豊かな緑で溢れる温室の床で目覚めた。
草の根の影響か青臭い用水路の水で背中が濡れている。
「やぁ目覚めたかい。未練の強烈な魂がやってきたので様子を見にきたら、近年稀に見る良い意味の平凡な魂だ。」
「なるべく普通に生きていけるように努力はしてきたつもりだよ」
「君の育ちは母子家庭で奨学金も借りれないような家庭から始まったのにごく一般的な家庭を築き、良い息子と孫たちを育てた。途轍もない努力と君の執念には感服したよ。」
「ただ両親がいて周りの人間に恵まれた人を羨ましく思っていただけだ。子供に同じ思いをさせたくない。自分の周りの人間と肩を並べたい。そういったエゴの人生だったね。」
そう応えると目の前の男は歩き始める。ドーム型の温室の天井が最も高くなっている方角へ歩き始める。おそらく温室の中央へ向かっているのだろう。行く宛もないので大人しく着いていく。
「人は死ぬと来世へ渡る。君もそのうちの1人なわけだが何か希望はあるかい?せっかく出会ったんだ。高潔な魂を持つ君にいくつか施しをやろう」
「なら幸せな家庭の中に産まれたい。前世よりは幾分か良い人生が送れそうだ。」
「それだけかい?」
彼はそう言うと立ち止まり温室の中央の子供の背丈ほどの小さな木になった青い果実を捥ぎる。
「あぁ、それだけだ」
「嘘は良くないなぁ。欲を晒すことを邪なものだと考えるそのプライドは残念ながら私には通用しない。君の欲望はこうだ。刺青を入れたい。金が欲しい。女に囲まれて暮らしたい。そして強くなりたいと考えている。」
それを言われて少しドキリとした。幼少期よりずっと憧れていたものを見透かされた気分だった。幼少期、足の早く女の子にモテた同級生を羨んだものだ。中学時代には若気の至りで極道に憧れた、それは今でも。しかしそれは嫉妬に近く私の中では恥ずべきことだった。家計を支えるためにはそれどころではなく今目の前にある困難から目を背ける行為だと思ったからだ。
そんな心を読み取る彼は一体何者なのだろうか。
「あなたはいったい…」
「私は第一階位世界の神、天照大神。日本では古来、神道と呼ばれる教えの中でもよく出てくる神さ。君の住んでいた地球は第一七階位世界だ。高潔な魂ほど階位を上げていく。君を第一階位世界へと歓迎しよう。」
「天照大神様、私は高潔なのでしょうか。煩悩の塊に近い存在だと思いますが。」
「純粋なのだ。何かに憧れ行動する。何かにつけて個性を強調し特筆した存在になろうとせずとも君の周りには沢山の人がいた。友に家族に愛される。それはとても難しいことなんだよ。」
私の中の全てが認められた瞬間だった。涙が溢れ止まらない。天照大神を名乗るこの方がもし私を謀り何かに利用していたとしてもとても嬉しかった。疑いの心を恥ずべきほどに。にわかに信じ難いのは確かだが己の心に従い泣いた。
幾分か時間が過ぎ、私の心が落ち着き始めたころ。天照大神が握りしめていた青色の果実が仄かに輝きを放っていることに気がつく。
「さぁ、準備ができたよ。君はこれを食べることによって第一階位世界『アフォルス』に渡る。幸せな家庭に恵まれ、力を手にするだろう。刺青を入れたければ入れればいい。女を侍らせたければ侍らすといい。全ては君の選択次第だ。」
握り拳ほどの大きさの輝く青の果実を受け取り口に含む。その瞬間多幸感に包まれ目蓋が重くなっていく。
「最後に忠告だ。第一階位世界では高潔な魂の人間しか存在しない。しかし、それは善のみとは限らない。悪にも高潔があるように全てが素晴らしい世界というわけではないことは認知しておいてほしい」
天照大神の最後の一言を聞き終え深き眠りについた