バトルアリーナⅢ
《すでに戦闘不能になっている相手に、何という暴挙! 相手に対する敬意が欠片もない! フォルトさん、いい加減アイツを出禁にしてくださいよー!!》
《そうは言うてものう……戻ってくるんじゃから、仕方なかろう》
バトルアリーナの地下にあるという監獄。そこに収監された犯罪者たちが監獄を出る唯一の条件が、バトルアリーナでの5連勝。
条件を見事に果たし、外に出られたというのに、何故か何度も戻ってくる物好きな奴がいると、フォルトは言っていた。
露悪な態度で挑発行為を繰り返す彼、ヴィルヘルムこそが、その『物好きな奴』なのであろう。
「ラルド、『死体蹴り』って……? あんまりいい言葉じゃないのはなんとなく分かるけど……」
「ん、ああ。対戦格闘ゲームから生まれた言葉なんだけどさ。決着がついたあとに、勝利したキャラクターだけしばらく動かせるゲームがあるんだよ。その時に、その……今のアイツみたいにさ、負けた相手を蹴りまくる奴もいて……それがまるで死体を蹴っているみたいだってことで……」
『死体蹴り』は対戦相手への敬意がないと批判されることもあったし、挑発行為としては有りだと擁護されることもあった。中には『死体蹴り』をすることでポイントが貯まり、次の試合が優位になるゲームもあったらしい。
ブーイングが凄い。このゲームの中では、『死体蹴り』は批判的に見られているようだ。確かに、はたから見ていて気分のいいものではない。
なんでこんなブーイングに晒されてなお、平然としていられるんだろう?
フォルトは彼のことを「妙に人気がある」と言っていたが、とてもそうは見えない。
「ジャックはアイツにやられたらしいんだよね〜」
「え、そうなんですか!?」
膝の上に肘を置いて頬杖をつきながら言うシスカに、ノゾムは目を丸くする。
「なんで『らしい』なんだ?」
ラルドが訝しげな顔をして聞いた。
「その時ボクは戦闘不能になっていたからね。見てないの。ユズくんのせいで」
「どうもすみませんでした!!」
「アイツにやられたっていうのは、ジャックの自己申告だよ。今回の個人戦に参加したのは、ヴィルヘルムにリベンジするため。昨日の今日……どころか、まだ数時間しか経っていないのに、どうやって勝つつもりなんだろうねぇ」
ノゾムはフィールドに目を戻す。ヴィルヘルムがゆったりと移動を始めた。次の獲物を探す獣のように、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩を進める。
ジャックたちはとっさに岩山に隠れた。ヴィルヘルムの動向を窺っている。攻撃する隙を探しているのかもしれない。そういえば、ジェイドとバジルのHPの削り合いもいつの間にか終わっている。
一時休戦、ということなんだろうか。
参加人数は8人。
1人やられてしまったので、残りは7人だ。
「……あれ?」
ノゾムはフィールドにいるプレイヤーの数を見て首をかしげた。
フィールドには岩山が敷き詰められており、選手たちの目線だとどこに敵がいるのか分からないようになっている。しかし観客席は少し高い位置に作られているので、フィールド全体を見渡すことができる。
フィールド上にいるのは、ジャックとジェイド、バジル、ヴィルヘルム、細身の剣を握ったお団子頭の女の子と、ジャックたちとは別のところで岩山に隠れてヴィルヘルムの動向を観察している男が1人。
計6人。1人足りない。
(『隠密』で隠れている人が、もう1人いるのかな?)
意外と使う人が多い『隠密』。
あの忍者を見つけた人は結構いたということだろうか。あんなに隠れるのが上手だったのに。
そんなことを考えていると、ふいにヴィルヘルムが躓いた。何かに足を取られたらしい。無様に転ぶことはなかったが、眉間にぎゅっとしわを刻んで、躓いた何かを振り返る。
腕が伸びる。『何か』を掴んだ。見えない『何か』を、ヴィルヘルムは思い切り岩山に投げつけた。悲鳴が上がる。男の声だ。なんか聞き覚えがある。
ガラガラと音を立てて崩れる岩山。先ほどジェイドも壊していたけど、あの岩山って見た目ほど硬くはないのだろうか?
ヴィルヘルムが追撃する。見えない『何か』に足がめり込む。見えないけれど、苦しそうな声が聞こえる。
「くそっ……」
シャッと金属が擦れる音が聞こえて、それと同時に『何か』は姿を現した。
短刀を片手に顔を歪ませて、血のように赤い瞳でヴィルヘルムを睨みつけている。
アルベルトだ。
《突然見えない何かに攻撃し始めたヴィルヘルム選手。ついに頭がイカれたのかと思いきや、そこにいたのは、なんとアルベルト選手! 今回が初参加の選手ですね。カピュシーヌの鉱山で数多くのプレイヤーを殺してきた殺し屋です!》
《姿が見えぬと思ったら、『隠密』を使っておったんじゃな〜》
《どちらも捕まっている犯罪者なので、どっちを応援するか微妙なところです》
《実況は公平にあるがままを語って欲しいぞい》
私情を入れまくりの実況者にフォルトはツッコミを入れる。が、確かに、どちらを応援するかは微妙なところだ。
どちらが負けても、どちらかは勝つわけで。ヴィルヘルムが勝ったら、またさっきみたいなことを見せられるかもしれないし。だからと言って、アルベルトが勝つところも見たくはないし。
ノゾムは膝の上のロウを撫でる。ロウは気持ち良さそうに目を細めた。
「なんでヴィルヘルムとかいうやつ、躓いたんだろ?」
ふいにラルドが不思議そうに呟いた。ナナミが首をかしげる。
「アルベルトが見えなかったからでしょ?」
何を当たり前のことを言ってるの、とナナミは言う。
「だってよぉ」と、ラルドは眉を寄せた。
「ヴィルヘルムからは見えなくても、アルベルトにはヴィルヘルムが見えてたはずだぜ? 普通、避けねぇ?」
アルベルトは姿を消した状態で何をしてたんだよ。明らかに強敵っぽい奴のすぐそばで、よそ見でもしてたのかよ。
そう告げるラルドの言い分は、なるほど、一理ある。ノゾムはロウを撫でながら、ヴィルヘルムに詰め寄られているアルベルトを見た。
(そういえば、俺もアルベルトに躓いたな)
鉱山の中で。あの時は、ノゾムも『隠密』で姿を消していたけど。互いに見えていない状態で、なぜピンポイントで躓いてしまったのか。
(あの時、確かアルベルトは……)
ノゾムは口元を引きつらせた。ヴィルヘルムが躓いてしまった理由は、たぶん、それだろう。
「たぶん、アルベルトは寝てたんだよ……」
「は!? 試合中だぞ!?」
驚愕に目を見開くラルド。信じられないのは無理もない。しかし状況を考えれば、それしか考えられない。
そしてそれは正解だった。
(くそ、なんでどいつもこいつも、俺の睡眠を邪魔するんだっ)
ゴツゴツとした岩肌。バキィン、ドカァンと響く音。とてもじゃないが寝心地が良いとは言えないその場所で、アルベルトは頑張って寝ようとしていた。
一応、アルベルトは反省したのである。
(静かで暗い場所がいくら寝るのに最適とはいえ、鉱山を占拠するのはやり過ぎだった。俺に必要なスキルは、いつでも、どこででも寝られるスキルだ)
もしもアルベルトの思考を覗くことが出来る人間がいたなら、「だからってなんで試合中に寝ようとしてるんだよ」とツッコミを入れたことだろう。
しかもその試みは、現状、失敗している。
アルベルトはヴィルヘルムを見上げた。灰色の瞳でこちらを見下ろすヴィルヘルムは、何を考えているのか分からない顔をしている。
(草の補充は出来ていないんだよな……)
持っているのは睡眠効果のある『スイミンカ』のみ。大切に使いたいものだったが、致し方ない。
アルベルトはモコモコとした青い草を取り出した。
「『スモーク』」
青い煙がアルベルトとヴィルヘルムを包み込む。スモークは、使用した者には効果がない。ヴィルヘルムが寝ても、アルベルトは眠れない。
ガクンと体を傾けたヴィルヘルムに短刀を振るう。ヴィルヘルムの首を、正確に狙う。切り裂いて、それで終わりだ。
終わりの、はずだった。
「な……っ!?」
まるで岩を切りつけたようだった。短刀は確かに首に当たったのに、刺さらない。肌が異様に硬い。
ヴィルヘルムが目を覚ました。唖然としているアルベルトを見て、ニヤリと笑う。拳がアルベルトの顔面を打った。
「ぐあっ……!」
アルベルトの体は空中で一回転して、地面に叩きつけられる。ヴィルヘルムの首には、ほんのわずかに浅い傷が残っているだけだ。
なんで、切れていない? なんで、こんなにも首が硬い? アルベルトのその疑問に答えてくれたのは、解説の役目を担うフォイーユモルトだった。
《ドラゴンを倒した者のみが転職できる【ドラゴンスレイヤー】。そのファーストスキル『鋼鉄の肉体』は、防御力を50%底上げするスキルじゃ。
アンディゴとブルーの境目にある『竜の谷』にのみ生息するドラゴンは、硬い皮膚と、鋭い爪、高い知能と、強い魔法の力を持っておる。高レベルのプレイヤーが束になって挑んでも、勝てるかどうかは分からん。
ヴィルヘルムは単身でドラゴンに挑み、何日もかけ討伐を果たした、わしが知る中でも唯一の者じゃ》
これで性格さえまともじゃったらなぁ、と呟くフォルト。冗談じゃない。アルベルトは思わず歯噛みした。
このゲームのスキルは、習得するのが困難であるものほど便利で強力なものが多い。単身でドラゴン討伐。それは確かにものすごい偉業だろう。
もともとドラゴンを倒せるほど強い奴が、強靭な体を手に入れるなんて……そんな奴が、出場しているなんて……。
(勝てるわけないだろう、そんな奴!)
「『竜の谷』にしかいない?」
「じゃあ、エカルラート山にいた奴は何なんだろうな」
「『テイマー』の資格テスト用に置いてたんじゃない?」
アルベルトは短刀を下ろした。
考えても考えても、目の前の男を倒す算段が見つからなかった。だからこそ、
「降参する」
さっさと敗北を認めて、監獄に戻ったほうがいいという結論に至った。
バトルアリーナでは途中棄権をすることが出来ない。一度試合に出たら、生き残るか、戦闘不能になる以外に外に出る手段はない。
アルベルトは、ヴィルヘルムが狙いやすいよう、空を仰いで首を見せる。
「さっさと殺せ」
「…………」
ヴィルヘルムは器用に片眉を持ち上げた。口をへの字に曲げて、まるで値踏みでもするかのように、アルベルトを見下ろす。
その顔が、邪悪に歪んだ。
「嫌なこった」
え、とアルベルトが問いかけるよりも前に、腹に強烈な一撃。よろめいたところで頭を掴まれて頭突きをされる。
(こいつ……!)
殴られ、蹴られ、HPはどんどん削られていくけど、どれも致命傷にはならない程度の浅い攻撃だ。
アルベルトは一撃で戦闘不能にされることを願った。ゆえにヴィルヘルムは、出来るだけたくさん攻撃を与えられるよう、あえて急所を避けることにしたらしい。
(性格が悪すぎる!!)