橙の首都ノワゼット
ジャックはずっとノゾムたちのコンパートメントに居座ったままで、グラシオに抱きつこうとして嫌がられたり、フェニッチャモスケに飛びつかれて羽まみれにされたりしていた。
あまりの騒がしさにとうとうロウは目を覚まし、ジャックの顔を見て、きょとんと目をしばたかせる。
――あれ、この人、どこかで見た気がするけど、誰だろう?
小首をかしげるロウの心境は、たぶんそんなところだ。
「俺、忘れられてる!?」とショックを受けるジャックを見て、ノゾムは乾いた笑い声を漏らした。
SLの旅はあっという間に終わった。駅を出ると、空はすでに茜色に染まっている。昼夜が入れ替わる時間だ。現実世界では、そろそろ夕食時といったところか。
いったん戻って夕飯を食べて、宿題をして風呂に入って――寝る前にもう少しだけプレイできるかもしれないが、さすがにバジルたちのように徹夜でプレイする気はない。
徹夜でする気は、ない、けれど……。
「…………っ!!」
ノゾムは腕の中にいるロウを見て、思わず息を呑んだ。
「ど、どうしよう、ラルド!」
「何が?」
ラルドは不思議そうな顔でノゾムを見る。
プレイ時間が終わる前に、ちょっとだけバトルアリーナを見てこようかな〜とか考えていたラルドは、ただ事ではなさそうなノゾムの様子に目をしばたかせた。
「俺、現実世界に帰りたくない!!」
「ななななな、なんですとー!?」
ラルドは素っ頓狂な声を上げた。
ノゾムが告げた言葉は、以前ラルドがぼやいた言葉と、そっくり同じものであった。
「ま、まさか、ノゾムの口からその言葉を聞く日が来ようとは……!」
ゲームが好きすぎて、いっそのことゲームの世界に住みたいと考えるラルド。
一方でノゾムは、もともとゲームなんぞ好きではなく(むしろ嫌いで)、ゲームの世界に住むなんて正気の沙汰じゃないと思っていたはずだった。
「そうか、とうとうノゾムもゲームにハマって……」
「ロウはまだ生まれたばかりなんだよ? ほったらかしにして現実に帰るなんて、出来るわけない!!」
「……うん。そんな理由だとは思った」
ラルドは思わず苦笑いした。以前ほどゲームが嫌いではないとしても、この短期間でそこまでハマっているわけもないか。
今までロウは、ノゾムのプレイ時間が終わるとその場に置き去りにされていた。他のプレイヤーから間違って攻撃されないように身を隠し、ノゾムが戻ってきたら姿を現す、を繰り返してきた。
置き去りにされる時のロウを見て、ノゾムとて罪悪感が湧かなかったわけじゃない。
でも相手はモンスターだし、頭もいいし、そもそもプレイ時間を超えてずっと一緒にいられるわけでもないから、仕方のないことだと割り切っていた。
……しかし今は事情が違う。
ロウは生まれたての子供になっているのだ。
置き去りになんて、いったい誰が出来ようか?
「生まれたてっつったら、カイザーもなんだけど……こいつは別の意味で心配なんだよな。オレが戻ってきた時、行方不明になってやしねぇよな?」
カイザー・フェニッチャモスケは目の前の大きな街に大興奮中だ。
道端に生えている大きなサボテンに近寄っては棘が刺さって飛びのいて、また、人通りの多い道に入ろうとしてはグラシオに阻まれて頬をふくらませたりしている。
行動力が本当にすごい。
「それなら、私だって心配だわ。ジャックみたいなやつにグラシオが攻撃されないか……って」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
ナナミの言葉にジャックは口元を引きつらせる。
ナナミは横目でジャックを見て鼻を鳴らした。
「それじゃあ聞くけど、ジャック、もしグラシオみたいなモンスターが急に現れたら、どうするの?」
「そりゃあ……。……普通に倒すよな」
「ほら見なさいよ!」
どうやら、三者三様にパートナーを置き去りに出来ない理由があるようだ。
プレイ時間の残りは少ない。どうしよう、どうする、と顔を突き合わせる3人に、ジャックはため息をこぼした。
「あのさ。K.K.に聞いたんだけど、テイムモンスターってアイテムボックスに収納できるらしいぞ」
放置しておくのがそんなに心配なら、収納しておけばいいんじゃねぇの――ジャックは、普通に親切心から、そう提案をした。
しかし。
「ロウたちを道具扱いしろってことですか!?」
「ジャック、サイテー」
「鬼か! お前は鬼か!!」
「ええええええええ……」
一同からは猛批判を食らってしまった。
彼らがそこまでテイムモンスターに入れ込んでいるとは、ジャックは思ってもいなかった。
収納できるんだよ? 気分的にはモンスターをボールに入れて持ち運ぶのと何が違うの? ナナミもその手のゲームやってたよな?
どうして批判されるのか、ジャックにはさっぱりだった。
「あ、そうだ!」
ラルドが唐突に声を上げる。何か妙案を思いついたらしい。
「オレたちには、カルディナルに家があるじゃないか!」
ノゾムとナナミはそれを聞いてハッとなった。
ルージュの首都、カルディナルの郊外に購入した庭付き戸建ての一軒家。3つある部屋のうち、2つをノゾムとラルドがそれぞれ使っている。
主な使用方法は、アイテムボックスに入りきらない道具を入れておく倉庫として、だ。
ナナミは『レッドリンクス』のアジトに自分の部屋を持っているので、ノゾムたちの家の部屋は使っていない。つまり、部屋は1つ空いているのである。
「あの部屋をカイザーたちの部屋にして、オレたちのプレイ時間以外はそこで過ごしてもらおうぜ。街の中に放置するよりは安全だろうし、転送陣で行き来も出来るしさ」
「それすごくいいアイデアだよ!」
「グラシオもそこに入れてくれる?」
「当たり前だろ!」
そうと決まったら、さっそくあの空き部屋を掃除しよう。使っていないから、埃がたまっているはずだ。
そしてプレイ時間が終わる前に、ロウたちの寝床を最低限用意しよう。
そんなことを話し合って決めて、「んじゃそういうわけで」と、ミニ転送陣を壁に貼ってあっという間に消えてしまった3人を、ジャックはただ呆然と見ているしかなかった。
「え、てか展開早くない? てかルージュに帰るの? ここまで来て? 転送陣を貼ったってことはちゃんと戻ってくるつもりなんだろうけど……。え? なんで収納じゃダメなの?」
次から次へと湧いて出てくる疑問に答えてくれる人はいない。
うーん、と腕を組むジャックに、後ろから声がかけられた。
「ジャック〜」
「……おお、お前ら」
そこにいたのは、ジャックと共に列車に乗り込んだ『レッドリンクス』の仲間たちだった。
四方に跳ねた、柔らかそうな銀の髪を持つ少女、シスカ。
金髪に緑の目、緑の服を着た、いかにもエルフといった風貌の少年、ユズル。
短く刈り上げた灰色の髪に鋭い目を持つ、まさにゴロツキといった雰囲気の男、ジェイド。
ジャックと共にバトルアリーナのチーム戦に出場する3人である。
「お前、戻ってこないんだもんな〜」
「カピュシーヌで見かけたって言ってた知り合いは?」
きょろりとジャックの周囲を見回して、シスカが訝しげに尋ねる。カピュシーヌの次の駅はここだ。戻ってこなかったということは、ここまでずっとその知り合いと一緒だったのではないかと、シスカは問う。
ジャックはクシャリと髪をかき上げた。
「それがさ、急に用事が出来たみたいで、カルディナルに帰っちゃったんだよ」
「え、ここまで来たのに?」
そう、ここまで来たのに。
まさに『振り出しに戻る』である。
「まあ、転送陣は貼ってあるから」
「ふーん?」
シスカは首をひねりつつも、とりあえず納得してくれたようだ。というか、そんなに興味がなかったのだろう。
知り合いの知り合いに急用が出来たと聞いても、普通は「ふーん」の一言で終わる。
その『知り合い』が自分の知っている相手だとしたら、また違った反応があるかもしれないけれど。わりと鈍感なジャックでもシスカとナナミが微妙な仲であることは知っているので、ここは黙っておくことにした。
「ここがオランジュの首都か〜」
駅前の広場から街を見渡して、ユズルが感嘆の声を漏らした。
ジェイドは片眉を持ち上げる。
「お前は初めて来たんだっけ?」
「ああ。ペーシュ辺りまでなら、狩りに来たことあるけど。ジェイドは?」
「俺は何度か。バトルアリーナの個人戦に参加しにな」
「へぇ〜。勝てたのか?」
「9回挑んで、勝てたのは1回」
「ジェイドがか!?」
ユズルは目を見開いて叫ぶ。ジャックも驚いた。ジェイドは決して弱くない。今このゲームをやっているプレイヤーたちの中でも、間違いなく強いほうに入るはずだ。
「バトルアリーナって、バトロワ形式だっけ?」
「そう。最大8人が同時に戦って、生き残った奴が優勝になる。今回追加された『チーム戦』も同じらしいぜ。1チーム最大5人の8チームが同時に同じステージで戦う。最後まで生き残った奴のいるチームが優勝だ」
まさに大乱闘。なんとも面白そうだ。
ジャックは自分の口元が緩んでいくのを感じた。
「それじゃあチームワークが大事なんだね。バラバラに動かないように……フォーメーションとかも、考えておいたほうがいいかも」
真面目なシスカが、真面目な顔をして言う。
ジェイドはフンッと鼻を鳴らした。
「固まって動いてたら的にされちまうっての。ユズル、お前はガンガン射ちまくれ。曲射も今回は許す。俺とジャックはとにかく暴れる。シスカは後ろのほうで……まあ、いい感じに援護してくれ」
「作戦が雑すぎる!!」
ジェイドが勝てなかった理由は、そうやって何でも『ガンガンいこうぜ!』で押し切ろうとするからではないだろうか。