読まないのではなく、読めないのです
「なによこれ」
アルベルトを入口付近の休憩所へ誘導する――その作戦どおりに、ナナミとラルドは移動してきた。
アルベルトがちゃんとついて来てくれるか、心配ではあったが……ラルドが「こっちだぞーアルー! 鬼さんこっちらー、手の鳴るほうへー!」とふざけだした時には、絶対に罠だとバレると思ったものだが。そんなナナミの不安に反して、アルベルトはちゃんとついて来てくれた。
刃物を手に。
血走った目をして。
「殺す」と言いながら。
ナナミは逃げた。全力で逃げた。もはや途中から、アルベルトを誘導するなどということは頭から抜けていた。だって捕まったら、本気で殺されそうだ。
ラルドはキャーキャー言いながら走った。こちらはたいそう楽しそうだった。ナナミはとりあえず、あとで殴っておこうと心に決めた。
ちなみにアルベルトは罠であることに気付いているし、ラルドはいたって真面目であった。真面目にアルベルトの神経を逆撫でしていた。
まあ、そんな感じで。鬼のごとき形相をしたアルベルトから必死に逃げつつ、辿り着いた休憩所――
そこに、罠なんてひとつもなかった。
「どういうこと? ノゾムはどこに行ったの?」
ナナミは困惑した声を漏らす。
椅子代わりの丸太が置かれただけの簡易な休憩所。狭くはないが、思いきり戦うには広さが足りない。特に大剣を扱うラルドにとっては、戦いにくい場所だろう。
「もうちょっと戦いやすい場所を探して、移動したのかも?」
きょろりと周囲を見回してラルドは首をひねる。
ナナミはわずかに眉を寄せた。
「ノゾムがそんな臨機応変に動ける?」
「あらやだ、失礼な子ね! あの子はやれば出来る子よ!」
「なんで女口調? あんた母親?」
「希望としては相棒ポジである」
「意味が分からないわ」
もちろん、こんな暢気に話している暇などない。鬼の形相のアルベルトは、すぐそこに迫っている。
「どっちにしろ戦いにくい場所なのには変わりねぇ! 移動するぞ!」
ラルドはそう言って駆け出した。ナナミはその背中を追う。グラシオも後ろをついて来る。
この休憩所から伸びる通路は2つある。一方は、ついさっきナナミたちが通ってきた通路。そしてもう一方は、ナナミとラルド、そしてノゾムが別れた、あの最初の分かれ道に続く道。
「あ……」
そこに張り巡らされた赤く光る線を見て、ナナミは目を見開いた。
「やれば出来るって言っただろ?」
ラルドはニヤリと笑って親指を立てた。
アルベルトが追いつく前に、ワイヤー群をくぐり抜けてそこそこ広いその空間の中央まで移動する。地面には落とし穴を山ほど作ったらしい。壁にも何か仕込んでいるようだ。
ノゾム本人の姿は見当たらない。どこにいるんだろう、と首をかしげていると、ほどなくしてアルベルトが飛び込んできた。
「死ねぇぇぇぇぇぇッ!! ……うわあっ!?」
アルベルトはワイヤーに足を取られて転倒した。
その隙をラルドは見逃さない。
「『精神統一』かーらーの、『ライトニング』!!」
洞窟内に電撃がほとばしる。ビリビリと体中に奔る衝撃を、アルベルトは身を丸めて耐えた。
「グラシオ、凍える息吹!」
グラシオが凍てつく息を吐く。ラルドの『ライトニング』よりも、こっちのほうが威力が高い。アルベルトのHPがどんどん減っていく。
人が動けないでいるところを、遠くからじわじわ攻撃するなんて……。
「この卑怯者ども!」
「『隠密』と状態異常を駆使するあんたには言われたくないんだけど!?」
「はっはっはっ、敵を不利にし味方を有利にする。戦いの基本だろう?」
鋭いツッコミを入れるナナミと、朗らかに指摘するラルド。アルベルトは舌打ちした。アイテムボックスからポーションを取り出して、飲み干す。
なんとも言い難い味わいのポーションは好んで飲みたいものではないが、【薬師】のスキルには、回復薬の効能を高めるものがある。手っ取り早く回復するにはこっちのほうがいい。
アルベルトはわりと効率重視なのである。
「敵を不利にし、ね……。戦いの基本。確かにそうだ」
アルベルトは目を細める。何も見えないが、どうやらここにはワイヤーが張られているようだ。
(あの弓使いの置き土産ってところか)
実際には置き土産ではなくて、戻ってきて張ったものだが。そんなことはアルベルトが知るよしもない。
【狩人】の『罠作成』によるワイヤー。その強度は、作成した人物のレベルによる。見えないワイヤーに短刀を当ててみるが、斬れる気がしなかった。ノゾムのレベルは、アルベルトより高かったらしい。
「ほれほれ、どうした? こっこまでおいで〜!」
ラルドは分かりやすく挑発する。
アルベルトは鼻で笑った。
戦闘の基本は敵を不利にし、味方を有利にすること。わざわざ不利に飛び込むほど、アルベルトは愚かではない。
「あ、逃げた」
「まともに頭が働くなら、そりゃ逃げるわよね……」
踵を返して走っていくアルベルトを、ラルドたちは追わない。せっかくノゾムが作った罠エリアから出ることは、自分たちの有利を捨てるに等しいからだ。
「持久戦を覚悟したほうがいいかもね。今のうちに回復しておきましょう。ノゾムはどこに行っちゃったのかな……」
探しに行ったほうがいいのかなぁ、とナナミは首をひねる。ラルドは頷こうとして……ハッと息を呑んだ。
「待てナナミ、今は動けねぇ!」
「どうしたの?」
突然、緊迫した声を出すラルドを、ナナミはきょとんと見つめる。ラルドは無言でタマゴを持ち上げた。そう、ラルドがずっと抱えていた、エカルラート山の怪鳥から手に入れたあのタマゴだ。
タマゴは赤く点滅を繰り返し、小刻みに震えている。
「生まれそう!!」
「このタイミングで?」
孵化は本当に可能だったの?
こうしちゃいられんとタマゴをお腹で包み込むようにしてうずくまるラルドを見て、ナナミは唖然とした。
こんな状況下で生まれて来ようなんて、飼い主(?)に似て、空気を読まないタマゴだ。