森の王者Ⅹ
ユキヒョウの瞳から敵意が消える。きょとんとした様子で周囲を見回すユキヒョウに、ナナミはすぐさま声をかけた。
「あんた、私の仲間になりなさい!」
淡い黄色の瞳がナナミに向く。が、動こうとしない。きょとんとしたままだ。その間にも、ナナミの体はノゾムたちと一緒にワイヤーによって引っ張られていく。
「え、ちょ……」
すぐに駆け寄ってくるだろうと思っていたナナミは、困惑に瞳を揺らした。
『仲間になりたがっているようだ』というナレーションが付きそうだったほど、キラキラした目でノゾムを見ていたロウとは明らかに反応が違う。
ナナミを見つめたユキヒョウは、きょとんとするばかりだ。
「ねえ! ちょっと! 仲間に、仲間になってよお願いだからーーーーっ!!」
その時、ワイヤーに置いていかれていたロウが、ユキヒョウの隣に並んだ。
「ウォン!」
ただ一声、ロウは吠える。
ロウが何を言ったのか、残念ながらノゾムたちには分からなかったけど、ユキヒョウはぱちくりと目を瞬き、それからロウと共にノゾムたちを追ってきた。
あっという間に近付いてきたユキヒョウを見て、ナナミは涙を流す。
「ああ、良かった。バグかと思ったわ。本当に綺麗。そのモフモフした尻尾を抱きしめさせて――」
「ナナミさん、そういうことを言ってる場合じゃないから!」
肩に抱えられたまま両手を伸ばすナナミに、ノゾムは全力で叫んだ。まさかナナミが自分を餌にしてユキヒョウをおびき寄せるなんて欠片も思っていなかったノゾムは、心臓をバクバクさせている。
隣を走るユキヒョウはちらりとナナミを見て、すました顔をして再び前を向いた。忠犬よろしく、いきなり慕ってきたロウとは、どうも違うみたいだ。
『サイクロン』の効果が切れて視界が晴れやかになった豹たちは、逃走するノゾムたちの姿を捉える。そのうち1体が咆哮を上げた。大地を震わせるようなその咆哮は、まさに百獣の王の縁者であると窺わせるものだった。
ラルドが訝しげに眉を寄せる。
「『ニャー』じゃねぇのかよ?」
先ほどユキヒョウの鳴き声を聴いて驚きの声を上げていたラルドは、どうやら豹の鳴き声を『ニャー』だと思ってしまったようだ。
「豹は『ガオー』なんだよ。こいつはユキヒョウ。豹とは、似て非なる動物なんだ」
「へぇ、雪の豹か。かっけぇな。てかノゾム、物知りだな」
「……まあ、動物に関してはね」
ノゾムは口の中でモゴモゴと答えた。ラルドは首をかしげたが、豹たちが一斉に追いかけてきたので、すぐに思考を切り替える。充分にあったはずの距離は、あっという間に詰められていった。
「まずいぞ、追いつかれる!」
「ラルド、前!」
眼前には、いよいよ例の崖が迫っている。後ろには豹の群れ、前には崖。後ろと前を交互に見るノゾムたちの目には、焦りしかない。
ラルドは先ほどのサイクロンでMPを切らしているし、ノゾムは両手が塞がっているし、現状ではなすすべがないのだ。
唯一自由に両手が使えるナナミは、ユキヒョウに夢中だし。
「名前は何がいいかしら? ユキヒョウ……雪……ユキ、は安直だし……」
「ナナミさん、少しは周りを見て!?」
いよいよ崖だ。ノゾムはビビった。心臓がひっくり返るような心地だ。しかし左腕を引っ張るワイヤーは当然こちらを慮ることはなく、ノゾムは固く両目を瞑り、半ばヤケクソになりながら地面を蹴った。
一瞬の浮遊感。
風が頬を撫でる。
落ちたらどうしよう、という心配などなんのその、遠慮なく引っ張ってくれるワイヤーは、無事にノゾムたちを対岸まで運んでくれた。
その後は再び、地面に向かって顔面からダイブすることを恐れて、必死に足を動かすことになる。
「なんか今、一瞬……」
ラルドが呆然と呟く。
「空を、飛んだみたいだったな……!?」
何を悠長な。ノゾムは苦笑を浮かべた。
取り残されたロウとユキヒョウは、ノゾムたちがワイヤーを使って飛び越えた崖を軽々と跳ぶ。さすがの身体能力だ、とノゾムは感動したが、すぐにそれどころではないことに気付いた。
ロウたちに越えられるということは、あの豹の団体さんも越えて来られるということ。
このままでは、セドラーシュたちのもとへ豹たちを案内することに――
「え……?」
しかしその心配は、飛び込んできた光景を前に霧散する。
豹の群れはロウたちが飛び越えた崖の前に佇み、ただこちらを見つめるだけだった。
何十、いや、それ以上の数の豹が並ぶ姿は、異様としか言いようがない。じぃっと見つめてくる彼らに、ノゾムは背筋が粟立つのを感じた。
(そもそも、豹が群れること自体がおかしいんだ)
運営のミスか、あえてのことなのか――ノゾムは胸の中にもやもやしたものが広がるのを感じた。
(とりあえず、追いかけてこないなら、さっさと逃げよう)
そう思考を切り替えて、ワイヤーの導きのまま、ノゾムたちは森の中へ駆けていったのだった。
……ノゾムたちは最後まで気付かなかった。
崖の下に隠しダンジョンがあったこと。ナナミの通信が使えなかったのは、『崖の下』がダンジョンの一部であると見なされていたからだということ。
豹の姿を模したモンスターたちは、隠しダンジョンの奥に棲む女王の手下。獲物を崖から突き落とし、女王の餌とすることを目的に行動していたのだ。
ノゾムたちがあっさりと崖を攻略してしまったから、豹たちはそれ以上追いかけるのを諦めた。
そしてこれらの行動はすべて、
「テイマーになった連中が狙いそうなのは、やっぱりネコ科の動物だろうな。カッコイイし、可愛いし、強そうだし、モフモフだし!
だからこそ、簡単にはテイムさせてやんねぇよ。特に能力の高い個体には妻子をつけて、余計にテイムしにくくしてやる。リアルじゃあ、ネコ科の動物に父と子の絆はないが、あえて仲良くさせてやろう!」
モンスターたちの姿、行動などの設定を担当しているルージュの王アガトの、偏見と独断による『テイ厶妨害行動』であったこと。
アガトはモンスターへ深い愛情を抱いている。その愛情ゆえに、テイマーに対してはかなり厳しい設定を盛り込んでいた。
モンスターが回避行動を取るのもそれが原因だし、群れで行動していることもそうだ。単独行動をしているモンスターより、群れで行動しているほうが捕まえにくくなる。
これしきの試練、乗り越えてこそのテイマーだ。それが出来ないのであれば、モンスターを使役する資格などない。
アガトはそう考えたのだった。
「アガト様。モンスターが攻撃を避けまくるせいで倒せないとのクレームが」
「頭を使えと言っておけ」
隙を突くなり、隙を作るなりすれば、攻略できるようにはしている。
「動物の姿をしたモンスターが可愛すぎる、もっと倒しやすいようにして欲しい。いっそ全部クリーチャーにしてはどうか、との声もあります」
「可愛すぎるのは同意するが、クリーチャーだと? そんなの誰が仲間にしたがる――いや待て、クリーチャー?」
アガトはハッとした顔になった。『クリーチャー』から新たなインスピレーションを得たらしい。
テイマーに対して厳しいくせに、モンスターを仲間にすることは前提に作っているのだ。報告書を持ってきた部下はため息を吐いた。
(これでユーザーが減ったらこの人のせい……。いや、他の王のこだわりも似たようなものか)
それがユーザーの需要に合致するなら問題ないが、まったくかすりもしなければ、世界初のフルダイブVRゲームは『歴史的なクソゲー』としてゲーム史に刻まれることだろう。
苦々しく顔を歪める部下にアガトは気付きもしない。もともと、何かに熱中すると周りが見えなくなるたちなのだ。
この人の分も、ユーザーたちに対してもっと細やかなサポートをしなければ。
アガトの部下は、心の中で堅く拳を握りしめた。