森の王者Ⅷ
ライオンは『ガオーッ』と吠える。
虎と豹も、『ガオーッ』と吠える。
しかし同じネコ科の大型獣でありながら、チーターとユキヒョウは『ニャー』と鳴く。まるで猫のような鳴き声なのだ。
豹にはアムールヒョウ、ジャワヒョウ、ペルシャヒョウなど多くの亜種がいるが、そこに『ユキヒョウ』は含まれていない。ユキヒョウは遺伝子的に、虎に近い種となるらしい。
名前の由来は『雪の深い場所に棲む豹に似た生き物』。ヒマラヤ山脈などの標高のかなり高い山の上に棲み、大型の有蹄動物を捕食して生きている。
豹に似た姿だが、毛の色が豹よりも淡い色をしているのが特徴だ。
(動物園で見たことはあるけど、こんなに近くで見られるなんて……ちょっと感動。あ、でも俺、今噛み殺さるところだった)
額に生えた角から察するに、コイツもモンスターなのだろう。鋭くつり上がった目からは、敵意と殺意を感じる。
「グルルルル……」
「ヴヴヴ……」
背後からは、先程までゆったりとくつろいでいた豹たちが近付いてくる。ノゾムは冷や汗を垂らした。
「この数を相手にするのは無理だよ。逃げよう!」
「……そうだな。オレも帰りの分のMPを温存しておかなきゃならないし」
戦闘が大好きなラルドでも、さすがに今回は分が悪いと感じているらしい。素直に頷いてくれたことにノゾムはホッとした。
あとはナナミだ。
「ナナミさんも。豹を仲間にするのは諦めたんだよね?」
「…………」
返事はない。ナナミの目は、まっすぐにユキヒョウを捉えている。
「ナナミさん……?」
深緑色の瞳はキラキラ輝いて、白磁のような頬は薄っすらと色付いて。
「ナナミさん?」
ノゾムは嫌な予感がした。
ナナミはキラキラした目をこちらに向けて、ユキヒョウを指差した。
「私、こいつを仲間にする!」
「ナナミさん!?」
やっぱりか! そんな予感はしていたけれど、やっぱりそういうことを言い出すか!
「おいおいおい、マジかよ」と、さすがのラルドも顔が引きつっている。何十匹もの豹の姿をしたモンスターに囲まれたこの状況で、無茶を言うにも程があるだろう!
「だって見てよ、こいつの凛々しい顔! モコモコの太い手足! 長い尻尾! やだ、抱きついてモフりたい!」
「その気持ちは分かるけど!」
『破邪』を使って仲間にすれば、思う存分モフり放題だ。だが今は状況が状況だ。ナナミがユキヒョウを追いかけ回している間、後ろの豹たちをノゾムたちだけで抑えておくのは絶対に無理だ。
ナナミはジリジリとユキヒョウに近付いていく。ノゾムは心底焦った。
「どうしよう、ラルド」
「どうしようったってなぁ……。強引に連れて逃げるしかねぇだろ」
ナナミが嫌がろうがゴネようが、関係なく。だってそうしなければ、やられてしまうのは確実なんだから。そう告げるラルドに、ノゾムは頷くほかない。
「……あ」
ふいにラルドがポツリと言った。何かを思いついたようなその言葉に、ノゾムは怪訝な顔をしてラルドを見る。ラルドが見ているのは、ノゾムのリングから伸びる赤いワイヤーだ。
「ノゾム、ちょっとそのリング、見せてくんねぇ?」
「え、うん」
どうしたというんだろう。ノゾムは首をかしげながらリングを差し出した。リングの画面を、ラルドはしげしげと見る。
画面には、ここまで伸ばしたワイヤーの長さがメートルで表示されている。ワイヤーを伸ばしっぱなしにするか、固定するか、巻き取るかボタンが付いていて、ワイヤーを巻き取る速さも5段階で調節できるようになっている。
ラルドは勝手に、巻き取りの速さをマックスにした。あまりスピードを上げてしまうと、腕がもげてしまうんじゃないだろうか。ノゾムは心配になった。
「うまくいくか分かんねぇけど、作戦を思いついた。ナナミもこっち来い」
そろりそろりとユキヒョウに近付いていくナナミの首根っこを、ラルドは掴んで引き寄せる。女子に対してなんという対応だ。
ナナミは唇を尖らせて、不満を隠すことなくラルドを見た。
「状況が状況だ。手短に話す」
油断なく豹たちを一瞥して、ラルドは口を開く。豹たちはまだ、こちらの様子を窺いながら距離を詰めている最中だ。
逃げ道を徐々に塞がれていくような感覚。この距離が一定を超えると、豹たちは一気に飛びかかってくるのだろう。
ラルドはできるだけ声を潜めて、早口で言った。
「まずオレが、あいつらに魔法をぶっ放す」
「は? でも、MPを温存しなきゃって――」
「まあ聞け。それでちょっとは足止めできるはずだから、オレはすかさずノゾムにしがみつく。ノゾムはナナミを片手で抱えて、ワイヤーを最速で巻き取れ。例の崖は、ワイヤーで乗り越えられるはずだ」
「あ……」
言われて気付く。来る時に『レビテーション』を使ったから、帰りにも使わなければならないと思い込んでいたけど、そういえばワイヤーがあったんだ。
ラルドも今まで気付かなかったらしい。MPを温存する必要なかったわ、と苦笑いしている。
「ワイヤーが巻き取られるスピードがどのくらいのものかは分かんねぇ。思ったよりも遅いかもしれねぇし、そうなるとコイツらに追いつかれちまうだろう。その時は……そうだな。全力でダッシュするしかねぇ」
でももし、すごい勢いで引っ張られるのだとしたら。それを利用して、楽に逃げられるのではないかと、ラルドは言う。
「腕がもげたりしないかな?」
「それはないだろ」
これは狩人のセカンドスキル『罠作成』の裏ワザ的な使い方だ。ワイヤーアクションの最中に腕がもげたりしたら怖すぎる、と真剣な顔で告げるラルドに、ノゾムは「確かに」と頷いた。
「え、ていうか、俺がナナミさんを抱えるの?」
しがみつかれるのではなく?
「ナナミは手が空いてるほうがいいだろ。いいか、ナナミ? チャンスは一瞬だ。もしかしたら一瞬じゃないかもだけど。オレたちがあの白いやつの横を通り抜ける一瞬で、『破邪』をかけろ」
背後から現れたユキヒョウは、赤いワイヤーのすぐそばにいる。味方識別をつけた仲間以外にワイヤーは見えないので、ユキヒョウはワイヤーの存在に気付いてもいない。
あのままワイヤーでぐるぐる巻きにしちゃえば……と思わないでもないが、逃げられる予感しかしないので、それはやめとこう。
ナナミは目を丸くしてラルドを見る。
ラルドはニッと歯を見せて笑った。
「失敗したら、諦めろよ」
「え、やだ」
「ああん?」
きっぱりと告げるナナミに、ラルドは眉をひそめる。これ以上のワガママにはさすがに応えられねぇぞ、と低い声で言った。
ナナミは「わかってるわよ」と肩をすくめて、ユキヒョウを見据えた。
「絶対に成功させるわ」
決意を固めるのは結構だが、ノゾムが『抱える』の部分をもうちょっと深刻に考えてはくれないだろうか。
しがみつくのでは駄目なのか。
しがみついた状態で手を伸ばして『破邪』を使うことは出来ないのか。
頑張れば出来るんじゃないのかなぁ……とノゾムは思ったが、やる気になっている2人に意見する勇気はなかった。また頑張って、『相手は子供』と自己暗示をかけなければ……。