森の王者Ⅴ
ノゾムとナナミが崖下で再会する、少し前。
「ギャア! 蜂ぃ!?」
「ウォン! ウォン!」
「よっしゃ任せろノゾム!」
ナナミが回避した蜂の大群と、ノゾムたちは遭遇した。体長が1メートルはあろうかという巨大な蜂たちだ。
ナナミは振り返ることもせず突っ走る。本当に、彼女の目には豹しか映っていない。こちらのこともほんの少しは気にかけて欲しいものだ。
「このままじゃ見失っちゃうよ……!」
「『精神統一』かーらーの、『サイクロン』!!」
「ええっ!? いきなり!?」
任せろと叫んだラルドは、いきなり中級魔法をぶっ放した。もともと戦士であるラルドは、所有するMPが少ない。中級魔法を1回使うだけで空っぽになってしまうと言っていたのは、ラルドなのに。
もうちょっと、使いどころとかあるんじゃないかなぁ……と、ノゾムは思ってしまったのだが、意外なことにラルドのこの行動が功を奏した。
空気が勢いよく渦巻く。先ほどのローゼの竜巻に比べると、規模はやはり小さいが、蜂たちはとても体が軽いようだ。あっけないほど簡単に風に囚われて、互いに頭をぶつけ合い、動きが鈍くなる。
その隙をノゾムたちは見逃さなかった。
蜂の数が多いので、時間は少しかかったけど。なんとか全てを倒すことが出来たのだった。
「ナナミさん、どこまで行ったんだろ……」
折れていない矢を回収しながら、ノゾムは辺りを見渡す。草木が邪魔で、狩人の『視力補正』がかかった目でも遠くまで見通せず、ナナミの姿はすっかり見失ってしまった。
ラルドがMP回復のチョコレートを頬張りながら、もう片手で頭を掻いた。
「うーむ……。まあ、いざとなればまた、ノゾムのうっかりで見つけ出せるんじゃねぇか? カラクリ屋敷でのネルケの時みたいにさ」
「そんな偶然が何度も起こるかい」
ノゾムは基本的に運が悪い。だからこそ、ゲームではよくトラップに引っかかり、親父に笑われていたのだ。
カラクリ屋敷の時は、なんというか……。ネルケの運の悪さと、ノゾムの運のなさが、上手いことかち合った結果というか。
どことなく似た者同士であるからこそ起きた、偶然だったのだ。
――と、そんなことを考えていたのだけど。
(そんな偶然が起きちゃったよ……)
うっかり足を滑らせて崖から転落し、あ、死んだ、と思ったところへ、ナナミの姿が目に入った。
驚いたのは一瞬。すぐに地面に体を叩きつけられ、ノゾムの意識は跳んだ。アバターなので痛みはない。だけど紐無しバンジーは二度とごめんだと思うくらいには、なかなかの恐怖体験だった。
意識が跳んだのは僅かな時間で、ノゾムはすぐに身を起こす。深緑色の目をまん丸にするナナミを見て、ラルドの言う偶然が起きたことを察し、とりあえずは彼女との再会を喜んだ。
「ラルドは上にいるの?」
「うん。さすがに今回は追いかけて来なかったみたい」
「いや、普通は追わないでしょ」
「『悪魔の口』の時は追ってきたんだよ」
ルージュにあるダンジョンに挑戦したとき、運悪く罠を作動させて隠しエリアに落ちたノゾムのあとを、何故かラルドは追いかけた。
落ちた先には宝箱があるかもしれないだろ、となんだかよく分からないことを言って。
もちろんノゾムひとりだったら途方に暮れていたかもしれないので、ラルドが追いかけてきてくれたことは有り難いことだったのだけど……そういえば、ナナミと出会ったのも、あの隠しエリアの中だったっけ。
意外とナナミも、運が悪い人なのかもしれない。
「たぶん、今回は追いかけなくても、自力で上がってこれると思ってるんじゃないかな」
「自力で? 無理よ、私だって自力で登ろうとしたけど、落ちて頭をぶつけたわよ?」
「頭を!? だ、大丈夫?」
「アバターだもの、大丈夫よ」
ナナミは平然と告げるが、ノゾムはそれでも心配になった。これまた意外なことだが、ナナミは結構な行動派なのらしい。
「リアルでは、崖を登ろうとしちゃダメだよ?」
「当たり前でしょ」
私を何だと思ってるのよ、とナナミはジト目でノゾムを見る。ノゾムはわざとらしく咳をした。
さてさて。そんなナナミが自力で登るのに失敗した崖を、ノゾムはどうやって登るのか。
ノゾムは左手をナナミに見せた。左手首には、お馴染みのリングがある。リングからは赤く光る線が伸びており、それは崖の上へと続いていた。
ナナミは目を瞬いた。
「これって、ワイヤー? 『罠作成』の……」
「うん。セドラーシュさんから教えてもらったんだ」
『罠作成』で使うことができるワイヤー。スキルの使用者が始点と終点を指定することで、その間に『見えない糸』を張ることができる。
通常は動かないもの……壁とか木とかの間に張るのだけど、始点か終点のどちらかをメニューリングに指定することで、面白い使い方が出来るのである。
「ワイヤーを伸ばしっぱなしにしたり、固定したり。今は伸ばしっぱなしにしているんだけど……」
「……なるほど。ワイヤーアクションが出来るってことね」
ふむふむと頷くナナミ。理解が早くて助かる。このワイヤーアクションで空を飛ぶこともできるようだが、今の使い方はそれじゃない。この迷いの森で、迷わずに『ラプターズ』と合流するために使っている。
ワイヤーの始点は、『ラプターズ』が待機している場所の近くにある、巨大な岩だ。
「これを巻き取れば、この崖も上がれるよ」
「それじゃあ私は、ノゾムにしがみついていればいいのね?」
「うん。……ッ!?」
ノゾムはハッとした。気付いていまった。目を見開いて固まるノゾムを、ナナミは首をかしげて見ている。
ワイヤーを持っているのはノゾムだ。ナナミが崖を上るには、そりゃあもちろん、ノゾムにしがみつくしかない。しがみつくしかない。もう一度言う、しがみつくしかない。
「どど、ど、どうしよう、どどどどどどどうしよう!!?」
「落ち着きなさいよ。何がよ?」
ナナミはノゾムの内心のパニックに全く気付いていない。意識しているのは自分だけか。悲しいような、ホッとするような微妙な気分になる。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
しがみつかれるということは、もちろん、体を密着させるということだ。
ノゾムは女子と触れ合う経験など、小学生の学芸会で手を繋いだことがあるくらいで。
だから、つまり、
「無理ッ!!!」
「え、無理? だから何が……まさかノゾム、私を置いていく気じゃないでしょうね!?」
「ううっ……!」
「嘘でしょう!? 嘘だと言って!?」
ノゾムは苦悩した。眉間に深くしわを刻み、強く両目を瞑る。ナナミはそんなノゾムを見てショックを受けた。それなりに仲良くやれていると思っていたのに、実は嫌われていたのか……と見当違いな方向に思考を回す。
ノゾムはうんうん唸って、やがて決意を固めた。ナナミを置いていくわけにはいかないのだ。恥ずかしいけれど、照れるけど。我慢しなければ。
「じゃ、じゃあ、背中に乗って?」
顔さえ見えなければ、少しはマシかもしれない。
ナナミはおずおずと頷いて、ノゾムの背に乗った。あまりの軽さにノゾムはビックリする。
そして「そういえば」と思い出した。ナナミの背はノゾムより頭ひとつ分くらい小さい。胸の辺りまでしかないのだと。
(そうだ……!)
女子だと思うから、恥ずかしくなるのだ。そう悟ったノゾムは、グッと拳を握った。
「相手は子供、相手は子供、相手は子供……」
子供だから、おんぶくらいで恥ずかしがることはない。
頑張ってそう自分に言い聞かせるノゾムは、それを聞いてナナミがショックを受けているのに気付いていなかった。