リアルすぎるのも問題だ
「嘘だろ!?」
猿は枝から枝へ飛び移りながらノゾムとの距離を詰めてくる。ノゾムはもう一度弓を構えた。猿が動き回るせいで狙いが定まらない。
一か八かで射った矢は明後日の方向へ飛んでいった。
「なんでまっすぐ飛ばないんだよ!!」
猿の強烈な蹴りが顔面を直撃する。衝撃はあるが、痛覚をオフにしているので痛みはない。
矢筒からもう1本、矢を取り出す。その間にも猿の攻撃が当たった。今度は鋭い爪によるものだ。衝撃で矢を落としてしまった。
どこからともなく、ビーッビーッと鈍い音が鳴る。
腕につけているリングが震えだし、視界が赤く点滅しだした。
「な、なにこれ……げっ!?」
ノゾムはリングに目をやって顔を引きつらせた。表示されているHPが、残り10パーセントを下回っている。この音は『これ以上攻撃を受けたらヤバイですよ』の合図らしい。
「嘘だろ、まだ2回しか食らってないぞ!?」
戦闘を避けて避けてここまで来たノゾムは知る由もないが、この猿のレベルは平原にいたモンスターたちよりも高い。
通常は平原のモンスターを相手に戦い方を学び、レベルを上げ、ここまで来る。ノゾムは戦闘を避けすぎたのだ。
このままでは戦闘不能だ。そういえば戦闘不能になったらどうなるのか、ノゾムは知らない。初戦闘でいきなり戦闘不能だなんて、親父が知ったらきっと大笑いするだろう。
ゲラゲラ笑う父親の姿を思い浮かべてイラッとしたノゾムは、再び矢を構えるが――。
「キィ――ッ!!!」
「くっ……!」
間に合わな――……
「オレの剣技を見よぉぉぉッ!!!」
突然響いた男の声。猿の悲鳴。固く閉じていた目を薄く開けたノゾムの目に映ったのは、逆立った派手な黄色の髪だった。
身の丈ほどもある大きな剣をくるりと回し、青白い光となって消えた猿を横目に見て男はフッと息を吐く。額には幅の広いバンダナ。背がとても高い。
「またつまらぬものを斬ってしまった」
片目を手で覆いながら、男は静かな声でそう告げる。
「えーと……」
ノゾムはなんと声をかけたらいいのか、ちょっと迷った。
たぶんだけど、この黄色い箒頭の彼は、ノゾムがやられそうになっていた猿を代わりに倒してくれたのだ。それならば礼を言わなければならない。ちょっぴり迷いながらも口を開こうとしたその時、男の目がノゾムに向いた。
髪色と同じ黄色の目が、まん丸に見開かれる。
「『横殴り』しちまったか!?」
「よこなぐ……え?」
「さっきの猿! お前が先に戦ってたのか!?」
「え、あ、まあ、うん」
「なんてこった!!」
すまんかったァァァ!!! と叫びながらジャンピング土下座をする男。さっきまでのちょっとクールな雰囲気はどこへ行った。
「わざとじゃないんだよぉぉぉ!」と叫ぶ男に、ノゾムはなんと返せばいいのか、本気で迷った。
地面に頭をこすりつける男が言うには、『横殴り』とは別のプレイヤーが戦っているモンスターに対して勝手に攻撃することを言うらしい。ノゾムは「ふうん」と返して、いまだに謝り続ける男に困ったように眉を下げた。
「えっと、気にしないでください。むしろやられそうだったので助かりました」
「そ、そうなのか?」
男は恐る恐る顔を上げる。ノゾムが頷くと、男はホッと息を吐いた。
「それなら良かった。不幸中の幸いというやつだな。どうもオレは、獲物を見つけると周りが見えなくなるみたいでな……」
「『横殴り』ってマナー違反なんですか?」
「マナー違反だとも。だってさ、経験値が分けられちまうんだぜ? しかも『横殴り』してきたやつのほうがレベルが低かったら、そいつにたくさん経験値が入っちまう」
男はそう言って左腕のリングを操作した。
「……ああ、良かった。お前のほうがレベルは低かったみたいだ。経験値のほとんどはお前に入ってるよ」
「俺のレベルは1ですから……俺の攻撃、一度も当たらなかったんですけど、それでも経験値って入るんですか?」
「『戦闘行為をした』ことが条件だからな」
敵に対して攻撃をした時点で『戦闘行為をした』ことになるのだと、男は言う。攻撃が当たったかどうかは関係ないのだと。
「……てかさ、」
男はしげしげとノゾムを見る。正しくは、ノゾムの持つ弓を。
「弓じゃあ、当たらなくても仕方ねぇよ」
「へ?」
「このゲームには『命中率』がねぇからな。攻撃が相手に当たるかどうかは、プレイヤーのセンスによる」
「センス!?」
――なんですと!?
あんぐりと口を開けて固まるノゾムに、男は苦笑いを浮かべたままさらに説明を続けた。
いわく、
「このゲームは戦闘も『リアル』なんだよ。浅い攻撃だと与えるダメージは少ないし、踏み込んだ攻撃だと深いダメージが与えられる。首を斬るだとかの急所を狙えば即死させられることもあるし……まあ急所に当てられるかどうかってのもプレイヤーのセンスによるわけだが」
「そんな!? 離れたところから攻撃が出来るから狩人を選んだのに!」
「うん、最初に狩人を選ぶやつはだいたいそういう理由みたいだな」
『弓じゃ当たらなくても仕方ない』というのは、単純に『遠距離から命中させるのは近距離よりも難しい』からなのだそうだ。そりゃそうだろう。
弓道やアーチェリーを現実世界でやっているならともかく、ノゾムはまったくの素人だ。佐藤が練習している姿を遠くから見たことがあるくらいだ。弓なんぞ使えるわけがない。
戦闘がリアルってなんだよ。
そんなリアルは求めてねぇよ。
「だから、早いうちに転職したほうが……」
「練習したほうがいいってことか……」
「うん?」
「ん?」
ノゾムは顔を上げる。男と目が合った。そういやこの男、ノゾムよりも背が高い。180センチに設定したノゾムが見上げなきゃならないくらいって……200センチくらいだろうか。身長ってどのくらいまで設定できたんだろう。数値を打ち込むタイプだったから分からなかった。
「何か言いました?」
「え、いや……ふむ。それもありか」
「何が?」
「いや、プレイスタイルは人それぞれだよな〜って」
自ら茨の道を進むスタイル、嫌いじゃないぜ! と男は親指を立てる。
別に茨の道なんて歩みたくはないが。
「……あ、そうだった」
ノゾムは自分のHPが残り少ないことを思い出した。視界の赤い点滅はまだ続いている。リングを弄ってアイテム欄を出して、ノゾムはそこから『回復薬』を選択した。
出てきたのはガラスの瓶に入った、緑色のいかにも怪しい液体だ。恐ろしいことに飲み薬らしい。蓋を開けると消毒液のような嫌な臭いが立ち込める。口に含むと、なんとも言いがたい嫌な味が舌の上に広がった。
端的に言って、とても不味い。
「お前ってほんと初心者なんだな」
苦虫を噛み潰したような顔をするノゾムをしげしげと見て、男はそう言った。それがなんだ。レベルは1だと言っただろう。
怪訝な顔をするノゾムに男は肩をすくめて、アイテムボックスからサンドイッチを取り出した。
「その薬、ちょー不味いからさ。みんな、代わりに食料を持ち歩いてるんだ。回復量は薬より少ないけど、HPはちゃんと回復するし、胃袋ゲージは満たされるし、何よりちょっとしたステータス上昇があったりもするから、便利なんだぜ」
「…………」
ノゾムは口に運んでいた薬瓶をそっと下ろした。瓶の中には、まだ半分くらい緑色の液体が入っている。
「それから調理器具を持っておけばフィールドで採れる食材を自分で調理できるぞ。肉はあんま取れないけど、木の実やキノコなんかはあちこちで取れる。まあ、毒を持ったやつもたまにあるけど」
「…………」
「あとなー、料理レシピを10種類以上見つけると『料理人』に転職できるようになるんだぞー」
「そう、なんですか……」
知らないことだらけだと、ノゾムは肩を落とした。
リリースされて1週間。トッププレイヤーとの差なんてまだないとレイナは言っていたけど、これだけ明確な差を見せつけられるとさすがに落ち込む。
男はケラケラ笑った。
「そう気を落とすなよ。それより敬語は止めてくれ。プレイヤー同士は対等じゃねぇとよ」
「でも、先輩じゃないですか……」
「オレも昨日始めたばっかだけど」
「それでなんでその情報量!?」
メニュー画面の中には『掲示板』というものがある。誰でも自由に書き込むことができるもので、男が言うには、それを見ていれば大抵のことが分かるのだそうだ。
「転職条件とか、各職業のスキルとか、知っておいたほうがいい豆知識とか。オレ、昨日はほとんどこれを読んで過ごしてたんだ」
「うっわぁ、全部読むだけでプレイ時間がなくなりそう……」
アイテムの交換や譲渡。効率の良いレベル上げの方法。モンスターの情報などなど、たくさんのプレイヤーが自分の持つ情報を惜しげもなく公開している。
中には『不遇な狩人で頑張ってみるスレ』なんてのもあった。狩人はやっぱり不遇なのか。
「こういうのがあるなんて知らなかったよ。えっと、俺はノゾム」
「オレはラルド・ネイ・ヴォルクテットだ」
「えっと……」
苗字を書く欄なんてあったっけ?
「本当はラルド・ネイ・ニコラス・アレキサンドロス・ケヴィン・バートランド・レオナルド・ヴォルクテットって付けようとしたんだけど、文字数が入り切らなくて」
「……そうなんだ」
どうしてそんな長い名前を付けようと思ったのか、謎である。
その後、ノゾムはなんとかラルドに付き添ってもらって湖のほとりの村『クルヴェット』に足を踏み入れることが出来た。
残念ながらここにいる『コーイチ』もノゾムの父親とは無関係な人だったが、仕方がないのでしばらくこの村にとどまって弓の練習をしようと思う。
「よっぽど弓が使いたいんだな〜」
ラルドはしみじみとそう言ったけど、ノゾムには意味が分からなかった。
残る『コーイチ』は、
ガランスに2人、
エカルラート山に1人。