悪気がないから余計にタチが悪いのです
「そりゃあ、言ってましたよ? 『モンスターに遭ったらそっこーで逃げる』って。でも、だからって、置いて逃げることないじゃないですか。あんなにたくさんのモンスター、1人じゃどうしようもないですよ……」
ミーナと名乗ったお団子頭の女の子は、涙目になりながらそう訴えた。連れの人(ミーナいわく、チャラ男だそうだ)はモンスターの姿を見るやいなや、電光石火のごとく走り去ってしまったらしい。
「なんであんな人と来ちゃったんだろう……。私って、本当に馬鹿」
さめざめと泣くミーナに、かける言葉が見つからない。こんな女の子を置いて逃げるなんて、本当にひどい奴だ。
「男の風上にもおけねぇな」
「まったくね」
憤るラルドにナナミも頷く。ミーナは、そんなナナミの顔を濡れた目でしげしげと見た。
「あなたも、気をつけたほうがいいかも……」
「え?」
ナナミは目をしばたく。
ミーナはナナミの手を強く握った。
「『オスカー』って男に気をつけて!!」
「オスカー??」
脳裏に黒縁メガネの青年の顔が浮かんだ。
「オスカーって、まさか……」
「いやいや、名前が同じなだけだろ。『コーイチ』だっていっぱいいるじゃん」
ひょっとして、と青ざめるノゾムに、ラルドが冷静に告げる。このゲームではみんなが好きなように名前をつけるので、同名のプレイヤーが何人も存在しているのだ。
ノゾムはホッと息を吐いた。
「そうだった……。あのオスカーさんがそんなことするはずないよね。チャラ男でもないし」
チャラ男などという名称は、どう考えてもオスカーに似つかわしくない。ラルドもそう認識しているようだ。うんうんと頷いている。
そんな時だ。
「おーい、ミーナちゃ〜ん!」
気の抜けるような間延びした声が、どこからともなく聞こえてきた。ミーナが瞬時に眉を寄せて、辺りを見渡す。
「この声は……!」
声の主は、岩陰から手を伸ばしていた。筋肉のついていない、ほっそりとした手だ。視線をそのまま下げていくと、岩陰からひょっこりとこちらを窺う、黒曜石のような瞳と目が合った。
「オスカー!!」
ミーナが親の仇と言わんばかりの目で男を睨む。あの人がミーナの言っていた『チャラ男』らしい。ノゾムは目をぱちくりさせて、手でゴシゴシと目をこすった。
黒髪黒目のチャラ男は不安げに眉を下げて、キョロキョロと周囲を見回している。
「モンスターの群れは? もういない?」
「のこのこ戻ってくるなんて、いい度胸じゃない……」
「ねえ、モンスターは? ミーナちゃんが倒しちゃったの? 強いんだなぁ、ミーナちゃんって」
拳をバキバキ鳴らして怖い顔をするミーナに、尊敬の眼差しを向けるチャラ男。会話がまったく噛み合ってない。というかミーナって、おとなしそうな見た目のわりに、結構な武闘派なのか? さっきまで泣いていたけど。
ノゾムはなおも目をこする。チャラ男の外見は、何かが決定的に足りないが、どうも見覚えのあるものだった。足りない何かは、主に目元にあったものだと思われる。
「マジかよ……」
ラルドが口元を引き攣らせた。チャラ男の顔を見て既視感を抱いたのは、ノゾムだけではなかったようだ。ナナミも怪訝そうに眉を寄せている。
チャラ男の目が、そんなナナミに向いた。
「き、キミは……!」
「マズイわ!」
ミーナがナナミを庇うように前へ出る。手に持っていた細身の剣を構えて、戦う気まんまんだ。まるでモンスターを相手にしているみたいだ。
チャラ男は岩陰から飛び出してナナミのもとへ駆け寄ると、10メートルほど間をあけて立ち止まり、何故か両手を合わせた。
「ありがたや……ありがたや……」
「なんで拝んでるのよ!?」
何かしてくるのかと思いきや、まったく予想外のことをし始めたチャラ男。ツッコミを入れたミーナはおかしくないと思う。
チャラ男は合掌をしたまま、恍惚とした表情で呟いた。
「まさに神の生み出した芸術品……。その美しきご尊顔を拝謁賜る機会に恵まれましたこと、光栄至極にございます……」
「何を言っているのか分からないけど、ふざけてるんですよね? オスカーさん?」
ミーナがそう思うのも無理はない。チャラ男の言動は、どう考えてもふざけている。
ナナミの顔が美しいという点に関しては、ノゾムとて同意するが。ラルドは不思議そうにナナミを見た。
「神が産んだ? その顔って、自分で作ったんだよな?」
「当たり前でしょ。今ほどこの顔にしたことを後悔したことはないわ……」
ナナミはげんなりしている。チャラ男はナナミを拝むばかりで、近付いてくる様子はない。チャラ男がナナミに飛びついてくることを警戒していたらしいミーナは、怪訝そうだ。
「なんでそんなに遠いんだ?」
ラルドが問う。
チャラ男は合掌したまま答えた。
「中身が男だったら嫌だから」
「誰が男よ!?」
どうやら、ナナミはまたしても中身が男疑惑をかけられているらしい。そしてチャラ男は、いくら見た目が美少女だとしても、男に近付くのは嫌らしい。
なんて分かりやすい奴だろう。
どいつもこいつもと憤慨するナナミを見て、チャラ男はぱちくりと瞬きをした。
「……男じゃないの?」
「当たり前でしょうが!!」
ナナミは即座に返す。チャラ男の目が、続けてノゾムとラルドに向いた。
「貢いだりとかは……」
「してねぇよ」
ラルドは呆れがちに答えた。ノゾムもコクコク頷く。ナナミとノゾムたちは対等な関係だ。貢いだり貢がれたり、という関係では一切ない。
そこまで考えて、ノゾムはふと思った。あれ、この人に関しては、男だと思われていたほうが良かったんじゃないか……と。
そしてその推測は当たっていた。
「…………おお、神よ!!」
チャラ男は大げさに両手を広げ天に向かって叫ぶと、離れていた距離を軽やかな足取りで駆けてきた。
ああ、やっぱり。チャラ男はナナミに男疑惑があったから近付いてこなかっただけで、疑惑が解ければ、当然こうなるわけで。
悲鳴を上げるナナミを背に、ミーナの目に剣呑な光が宿る。ヤル気だ。プレイヤーを傷つけてしまうと罰せられてしまうというのに、そんなこと知ったこっちゃないとばかりに剣の柄を握りしめている。
チャラ男が飛び込むのが早いか、それともミーナがチャラ男の首をはねるのが早いか――と、思ったその瞬間。
「ウォン!!」
チャラ男とミーナの間に滑り込んだロウが吠えた。チャラ男は回れ右をして去っていった。その逃げ足の速いこと。
残されたノゾムたちは、ただただ茫然と、チャラ男の背中を見送った。