旅立ちのその前に
「オランジュはエカルラート山より東に広がる国だ。図書館迷宮があるジョーヌへは、オランジュを横断しなきゃならない。……おいラルド、いつまで不貞腐れた顔してんだ?」
ジャックの指摘どおり、ラルドは口をヘの字に曲げて、眉間にしわを刻んでいる。城を出てからずっとこうだ。
「ノゾムが『ゲーム嫌い』だってことが、そんなにショックだったわけ?」
ナナミの言葉にノゾムは「え」と固まった。ぱちくりと目を瞬いて、「なるほど」と思う。
ラルドは、はたから見て分かるくらいゲームが大好きな人間だ。
そんな人間にしてみたら、『ゲーム嫌い』がゲームをするなんてことは、受け入れ難いことかも知れない。
ノゾムは恐る恐るラルドの顔を窺う。ラルドは口を尖らせて、「ちげぇよ」と返した。
「そりゃあ、ショックがなかったわけじゃないけどさ……。ゲームが嫌いなやつとかいるわけねぇって思ってたし……。でも、オレが今、シアン? してるのは、そういうんじゃなくて……」
逆立った黄色頭を掻きながら、ラルドは「うーん」と唸る。シアンって何だろう。あ、思案か。
「ノゾム、お前さ、苦しくねぇの?」
「え?」
「いや、だから、嫌いなことしててさ。苦しみながらやってるなら、止めたほうがいいんじゃねぇかなって……オレはゲームが好きだし、オレが好きなことで苦しんで欲しくないっていうか……」
どうやらラルドの悩みの原因は、先ほどナナミに言われた「無理強いは良くないんじゃないの?」という言葉を気にしてのものだったらしい。
苦しいなら辞めたほうがいい、と言ってくれる辺りが、同じゲーム好きでも親父とは違う。親父がラルドのようだったなら、ノゾムのゲーム嫌いもここまでこじれなかっただろう。
ノゾムはへらっと笑った。
「俺は大丈夫だよ。ありがとう」
「むむむ……」
「それより、なんだけどさ……」
ノゾムは視線を下げる。ラルドたちの視線も、同じく下へ向いた。そこにいるのは、地面に体を伏せた赤い狼だ。
「こいつ、どうする?」
「どうするって?」
ラルドは首をかしげる。
ノゾムは「いや、だから」と続けた。
「王様に渡すために連れてきたのに」
「ノゾムがそのまま飼っちゃえば?」
「え!? 無理だよ、モンスターだよ? 飼い方も知らないし!」
「それは誰も知らないんじゃ……というかゲームなんだから、現実世界みたいに面倒な世話とかいらないんじゃねぇの?」
それはそうかも知れないが、モンスターであることには変わりない。たとえ『破邪』の効果でこの狼から人間に対する敵意がなくなったのだとしても、ノゾムの中では未だに、モンスターは恐怖の対象だ。
ノゾムはジャックを見た。
「野生にかえす方法はないんですか?」
「うーん、俺はテイマーになり損ねた男だからなぁ。……あ、あいつに聞けば分かるかも」
「あいつって?」
首をかしげるノゾムたち。
ジャックはひとつ頷いて、言った。
「高次存在ぶったやつ」
……なんだそれ?
***
トンテンカンと鉄を叩く音がする。シャー、シャー、と木を削る音が鳴る。相変わらずモノ作りの音に溢れたカルディナルの『職人街』に、その人はいた。
広げたシートの上にところ狭しと置かれる、大小さまざまな剣と槍。見るからに引くのが大変そうな、大きくてゴツい弓。細かな装飾がほどこされた短剣。斧。ツルハシ。盾。
それらの後ろで眠そうな顔をして座っているのは、褐色の肌をした大きな女性だ。
「よう、K.K.! 何をしてるんだ?」
ジャックが女性に声をかける。K.K.と呼ばれた女性は眠そうな顔をこちらに向けて、「よう」と返した。
「武器を売っている」
「それは見たら分かる」
「俺、作るの好き。でも使わない。置いてても邪魔」
「自分で作ったものを邪魔とか……。そういやお前、職業が【商人】になってたな。商売をすることが転職の条件か?」
【商人】なんて職業もあるのか。新たに出てきた職業に、ラルドの目がキラキラと輝く。K.K.は眠たそうな顔のまま淡々と答えた。
「【商人】の転職条件は、値段交渉を4回成功させることだ」
「4回? なんか半端な数字だな」
「導かれし者たちだ」
「なに言ってんのか全然分かんねぇ」
なんだそれ、と怪訝な顔をするジャック。ナナミも首をかしげている。ノゾムはもちろん欠片も理解できない。
「武器屋のおじさん……!」
ただ1人、ラルドがハッとした顔で叫んだが、それもまた意味不明だ。
K.K.がラルドに手を差し出す。ラルドはその手を掴んだ。固い握手を交わす2人の間に何が芽生えたのか、ノゾムたちには知る由もない。
「で? 【商人】のスキルは?」
「ファーストスキルは『目利き』だ」
「目利き? 【トレジャーハンター】の『鑑定』と何が違うんだ?」
「『鑑定』はアイテムの効能や性能を見るのに対して、『目利き』はアイテムの品質を見る。おかげで粗悪品を掴まされなくなった」
武器やアイテムを作っていると、『+』や『−』のついたものが出来るという。『+』がついていると効能が上がり、『−』がついていると効能が下がるそうだ。
以前ノゾムがK.K.に渡されたコンポジットボウには『+』がついていた。
「持っている弓の中で、単純に攻撃力が高いものを渡した。強い弓は硬くてレベルが低いと使えないそうだな……すまん。俺、役立たず」
「え!? いや、今は使えるようになりましたし! ちゃんと役に立ってますよ!」
しょんぼりと肩を落とすK.K.にノゾムは慌てて言う。大きな体を丸めて、そろそろと窺うような目を向けてくるK.K.は、なんだかちょっと可愛い。
一人称が『俺』ってことは、中身は男性だったりするのだろうか。
いや、しかし、リアルでも一人称が『俺』の女の子はいるからなぁ……。うん、分からん。
「それなら良かった……。ところでジャック、俺に何か用か?」
「ああ、そうだった。お前、テイムモンスターと別れる方法を知ってるか?」
「テイムモンスター?」
首をかしげたK.K.の目が、ようやく赤狼に向く。
エメラルドの瞳がキラキラ輝いた。
「そうか、ノゾム、【テイマー】になれたのか。お前は良い奴だな」
「え、いや、そんな」
「姐さん! オレもテイマーだぜ!」
「そうか。お前も良い奴だ、名も知らぬ少年」
「オレはラルドだ!」
「そうか。俺はK.K.だ」
再び握手を交わす、K.K.とラルド。
やはりラルドのコミュニケーション能力は高いなと、ノゾムは改めて思った。何故に孤高を名乗っているのか、マジで分からん。
K.K.の目が再びノゾムに向く。
「せっかく仲間にしたのに、別れたいのか」
「まあ、その……」
「ふむ。そういうこともあるか。別れる方法は簡単だ。ステータス画面を出してみろ」
言われたとおりに、左腕のリングをいじってステータス画面を表示する。そしてすぐに気付いた。
本来、そこに書かれているのはノゾムのレベルや能力値、装備している武器などだが、ノゾムの名前の下に『ガルフ』の文字が表示されている。
『ガルフ』とは、この狼型のモンスターの名称だ。
「モンスターを仲間にすると、そこにモンスターの名前が並ぶ。『ガルフ』を押してみろ」
「は、はい」
言われたとおりに押してみる。画面が切り替わった。ノゾムのステータス画面と似ているが、表示されている数字が異なる。これは『ガルフ』のステータスだ。
そしてそこに、「このモンスターと別れますか?」という文章が書かれていた。
「モンスターと別れたいなら、それを押せ。ちなみにその画面で、モンスターの名前を変えることも出来る」
ノゾムは「へぇ」と呟いて、さっそく文章に触れようとした。が、そこで思わぬハプニングが起きる。
ノゾムは足元の赤狼が自分を見上げていることに気付いてしまった。
「うっ……!」
赤狼は、自分が追い出されようとしていることなど、欠片も気付いちゃいない。
ノゾムを見上げる瞳は純粋そのもので、忠誠心に満ちたものだ。
「ぐぅぅ……!」
プログラムで作られた存在なら作られた存在らしく、もっと無機質なら良かったのに。
これでは追い出そうとしている自分のほうが悪者のようではないか。
「ぐおおおおおっ!!」
ノゾムは苦悩し……、画面を押した。
「お前の名前は、『ロウ』だ!」
「アオンッ!!」
名を与えられた赤狼は元気よく返事をする。
尻尾を振るな、尻尾を。
お前は犬ではなく狼だろう。
豊かな表情を持つモンスターを生み出したスタッフを、ノゾムはちょっぴり恨んだ。