朝ぼらけの山
天井にぽっかりと空いた大穴から淡い光が降り注ぐ。どうやら洞窟の外では、夜が明けているらしい。
ということは現実世界では昼頃だな。と、どうでもいいことを考えつつ、ノゾムたちは大穴から外に出た。瞬間、果てしなく広がる空が、視界いっぱいに飛び込んでくる。
「お〜! いい景色!」
白と黄色と、ちょっぴり青が入り混じった淡い空の色。遥か彼方まで連なる山々。太陽はまだ山を出たばかりで、ちょっとずつ時間をかけて登っている。
ひんやりと澄み切った空気も、何もかもがリアルで。
いったいこのゲームを作った人たちはどこまでリアルを追求しているかと、ノゾムは思わず感心してしまった。
「くそっ、テイマー……くっそ……」
バジルはまだブツブツ言っている。1人だけテイマーになれたかったことが、すごく悔しいらしい。
そんなバジルをなんとなく見て……ノゾムはハッと思い出した。
「あ、あの、バジルさんっ!」
「ああんッ!?」
「ひっ!?」
不機嫌そうに睨めつけてくるバジル。しまった。話しかけるタイミングを間違えたかもしれない。バジルはノゾムにガンつけながら、口を開く。
「なんだよテメェ、弓ヤローが。テメェがオレ様を射ろうとしたこと、許しちゃいねェぞコラ。ああん?」
「そ、その件は、大変、申し訳なく……」
「やめなさいよバジル。彼はネルケの恩人なのよ?」
「ぐぬぬ……」
ローゼにたしなめられて、バジルは唸り声を漏らす。それ以上何も言ってこないところを見るに、やはり『ラプターズ』で一番権力が強いのはローゼなのだろう。そしてローゼは、ネルケのことをちゃんと大切に思ってくれているみたいだ。
「えっと、あの、昨日、この山で、矢が当たりそうになりましたよね……?」
「昨日ぉ? ……あっ! どっかで見た顔だと思ったら、ユズルと一緒にいた奴じゃねぇか!!」
怪訝そうに首をかしげていたバジルは、ノゾムを指差して叫んだ。思い出してくれたようだ。
ノゾムはごくりと唾を飲み込んで、勇気を出した。
「あの矢は、俺が飛ばしたやつだったんです。ごめんなさい!」
直角90度。深々と頭を下げる。セドラーシュが「うわぁ、バカ正直」と呟いたのが聞こえたが、無視した。
ユズルに冤罪をかけ続けるわけにはいかないし、何より、悪いことをしたら、謝らないと。
「なんだとぉ……?」
低く唸るようなバジルの声が怖い。ノゾムは謝る勇気は出せても、顔を上げる勇気は出せなかった。
靴の先を見つめてダラダラと冷や汗を流すノゾムの耳に、再びセドラーシュの涼やかな声が聞こえてくる。
「だから言っただろ、あれはユズルくんじゃないって。彼の弓の腕はえげつないからね」
セドラーシュはユズルの弓の腕を認めているようだ。ノゾムはユズルのめちゃくちゃな射撃を思い出して、「確かにあれはえげつない」と心の中で頷いた。
回転しながらや、ジャンプしながらの乱れ射ち。しかもそれがすべて吸い込まれるように敵に命中するのだ。あれはえげつないと言われても仕方がない。
「あのクソ弓バカを褒めるんじゃねぇ! おい、弓バカその2! 今すぐこの場で弓を捨てろ! 狩人なんざやめちまえッ!」
「……っ」
ノゾムは思わず唇を噛んだ。体が小刻みに震える。
弓を捨てろ――その言葉が、頭の中で何度も響く。
ジャックも言っていた。「弓はトラブルを引き起こしやすい」と。誰かをまた誤って攻撃してしまうかもしれない。特にノゾムは、ユズルのような才能がないのだから……。
「それは勿体ないんじゃない?」
セドラーシュが言った。「何がだよ!?」とバジルが叫ぶ。セドラーシュは相変わらずの冷たい目をノゾムに向けながら、当たり前のことのように告げた。
「弓をまともに射れるようになるまで、どれだけの訓練が必要だと思ってるんだよ。安易に使えないからこそ『不遇』扱いされているんだろう? ユズルくんほどの命中率はないにしても、彼の矢はまっすぐに飛んでいるようだったし……今さらやめるのは勿体ないんじゃないか?」
勿体ないを繰り返すセドラーシュに、ノゾムはポカンと口を開けた。何を言われているのか、すぐには理解できなかった。
バジルは忌々しげに舌打ちする。
「まっすぐ飛ぶだァ? オレには当たりそうになったぞ!」
「どんまい」
「この野郎……っ」
セドラーシュは顔を引き攣らせるバジルをさらりと無視した。神経が図太いな。バジルの顔はとてつもなく凶悪だぞ。
セドラーシュは肩をすくめて、再びノゾムに目をやった。
「まあ、君がやめたきゃやめればいいけど。当てそうになったことを気にしているなら、次は気をつければいいだけなんじゃないの?」
「か、簡単に言いますね……」
「熟考すればいいってもんじゃないでしょ。まあ君の場合、単純なことを複雑に考えてそうだけど」
「一言多い! 当たってるけど!」
確かにノゾムは、単純なことをずーっとウジウジと悩んでしまうことがよくある。まあ、単純なことだったと気付くのは、たいてい散々悩みきった後のことだけど。
セドラーシュは帽子を目深にかぶり直した。この人がどういう人なのか、ノゾムはいまいち掴めないままでいる。
「あ、そうだわ! セド、ネルケに土下座しなさいよ。ちゃんと役に立ったんだから!」
ふいにローゼが叫んだ。セドラーシュは「はあ?」と顔を歪めた。
「それは君が勝手に言いだしたことだろう? 僕は承諾してないけど?」
「あんたがネルケを追い詰めたんでしょうが!」
「知らないよ」
まなじりをつり上げるローゼに、セドラーシュはそっぽを向く。
ネルケが「はぐれたことに気付いてないかも」「気付いていても、気にかけてもらえないかも」と言っていたのは、おそらくネルケ自身のネガティブさと、セドラーシュの冷たい言葉が原因だ。
セドラーシュはやっぱり酷い奴なんだろうか。いまいちよく分からない。
「ネルケ」
ラルドがネルケの前で身を屈めて声をかけた。ネルケは大きな瞳をきょとんと丸めて、ラルドを見る。
「キツかったら、オレたちのところに来ていいんだぜ」
何が、とは言わない。ネルケの大きな瞳が、わずかに揺れる。ふさふさの尻尾がゆらゆら揺れて、つぶらな目は右へ行ったり、左へ行ったり。
トコトコとラルドに近付いたかと思うと、内緒話をするかのようにふさふさの手を口元に当てた。
「あのね、ウチね、バジルさんたちのこと、正直苦手やったとよ」
ラルドだけに言っているつもりなのだろうが、ラルドの隣にいるノゾムにも聞こえてくる。逆隣にいるナナミも聞こえたのだろう。ぷぷっと噴き出したのが聞こえた。
「でもね……ウチのこと、捜してくれたとよ」
気にかけてもらえないかと思ってたのに、ちゃんと捜して、見つけ出してくれたんだよ。
「ウチ、もうちょっとここで頑張ってみる。そんで、ラルドくんみたいに、めいっぱい楽しんでみる」
気にかけてくれてありがとね、と告げて、ネルケは仲間たちのもとへ戻っていった。
その小さな背中をラルドは切なそうに見ていたが、それが何故なのか、ノゾムには分からなかった。