魔物と心を通わせる者
ぽろりと落ちた矢が、地面に落ちて軽やかな音を立てる。光が消えたその場には、もとの暗闇と、静寂が満ちた渾身の回復魔法を使ったネルケは、ドラゴンの背中に張り付いたまま。
ドラゴンはもう一度だけぶんぶんと頭を振り、鼻に気になっていたものがなくなったことに気付くと、クンクンと鼻を鳴らして、ネルケのほうへ顔を向けた。
(攻撃される……!?)
とっさに駆け出そうとしたノゾムだったが、ドラゴンはクンクンと鼻を鳴らしたあと、「ギャウッ!」と鳴いただけだった。
「…………」
ノゾムたちのそばにいた、もう1体のドラゴン。その大きな体がひゅるひゅると縮んでいって、もとの男の子の姿に戻る。男の子の大きな瞳はこぼれ落ちそうなほどに見開かれて、ドラゴンの姿を映していた。
ドラゴンはネルケを背中に乗せたまま、大きな体を揺すっている。何がしたいのかさっぱり分からないが……元気になったってことで、いいんだろうか。
「あ、あの、コーイチくん」
ノゾムは恐る恐る、コーイチ少年に声をかけた。コーイチ少年は目を見開いたまま、ノゾムのほうに顔を向ける。
ノゾムは深々と頭を下げた。
「ごめん! 本当に……知らなかったとはいえ、君の友達を傷つけてしまって……ごめんなさい!」
謝っても許してもらえないかもしれないが、それでも謝ることしかノゾムには出来ない。コーイチ少年は無言だ。その無言がなんか怖い。
「いや、モンスターに遭遇したら戦うでしょ普通。ゲームなんだから」
「そうだな。だがすまんかった! オレはドラゴンと戦ってみたかったし、今も正直戦いたい!」
正直すぎる発言をするセドラーシュとラルドには、ちょっと黙っていてほしい。
コーイチ少年は無言のまま、再びドラゴンに目を向けた。ドラゴンは「ギャフッ」と鳴いた。コーイチ少年の口元が、ゆっくりと波打っていく。
「『許す』ってさ」
コーイチ少年はドラゴンの言葉が分かるのだろうか。ノゾムはポカンと口を開けて、ドラゴンへ駆け寄る小さな背中を見つめた。
その時だ。
《【テイマー】に転職できるようになりました》
唐突に、前触れなく、目の前にそんな文章が浮かび上がってきた。
「え……!?」
「おいおい、なんだこりゃ」
「テイマー?」
ラルドたちの前にも同じものが浮かんでいるらしい。
「どういうこと……?」
「ふえええ、なんか見える〜」
ようやくドラゴンの背から降ろされたネルケは、ナナミに支えられながら目を回している。全員に見えているのだろうか。
「あらやだ、あたしも? テイマーだなんて、すっごくレアじゃない。ヤッバ〜」
「お、おい、テイマーだって? オレには何も出てねぇぞ!?」
全員ではなかった。バジルだけは見えていないらしい。どういうことだろう?
「【テイマー】の転職条件って、確か……」
ノゾムは困惑した顔をラルドに向ける。
ラルドは深く頷いた。
「『愛』だな。他にも『優しさ』だの『慈しみの心』だの……。つまりドラゴンを助けんとするオレたちの献身的な行動が認められたってわけか!」
「いや認められたって誰に? 献身的も何も、もともと傷つけたのは俺たちじゃないか」
「これで王様のクエストに挑戦できるな!」
「ねえ、聞いてる?」
さっそくクルヴェットに行こうぜ! と拳を握るラルドに、ノゾムは肩を落とした。
「なんでオレだけ!」
「何もしてないからじゃない? あたしはちょこっと援護したし〜」
「納得いかねぇぇぇぇ!!」
喚き散らすバジルは、そういえば確かに『ドラゴンを助けるため』には何も行動していない。コーイチ少年の攻撃からノゾムたちを助けてはくれたけれども。
「……ああ、そういうことか」
どういうことなのかと首をかしげるノゾムの隣で、セドラーシュが納得した顔で呟いた。
「これは全部『イベント』だったんだ」
……イベント?
ノゾムはさらに首をひねる。ドラゴンの背中によじ登ろうとしていたコーイチ少年が、ギクリと肩を動かした。セドラーシュはそんな少年を冷ややかに見る。
「どうりで変だと思った。序盤の国に出るモンスターにしては明らかに強すぎることといい、ドラゴンをちょっと攻撃しただけでキレたことといい……。コーイチくんっていったっけ? 君、運営の人間なんだろう?」
コーイチ少年はドラゴンの背中を登りきって、大きな頭の上からひょっこりと顔を出す。
にっこりと、人好きのする笑顔を見せた。
「何のこと? ぼくにはよく分からないよ」
分からないって言ってるじゃないか。ノゾムはセドラーシュを見る。セドラーシュもまた、負けじと爽やかな笑顔でコーイチ少年を見ていた。
「邪魔をしてくる君を無視してドラゴンを倒せば【ドラゴンスレイヤー】に。君を宥めて、慈しみの心とやらを見せれば【テイマー】に。どちらにせよ、難易度が高すぎだよね。どちらもそれだけレアな職業だってことなんだろうけど……これを考えた奴は、酷いよね」
ドラゴンを守ろうとする子供を無視して倒すだなんて、鬼畜の所業じゃないか、とセドラーシュは言う。
ノゾムはまさにその鬼畜の所業をしようとしていたセドラーシュを思い出して、複雑な気分になった。いや、その後はちゃんと協力してくれたんだけど。
コーイチ少年はドラゴンの頭をよしよしと撫でる。ドラゴンは気持ち良さそうだ。仲が良さそうな2人の姿を見て、ノゾムは胸がほんわかした。
テイマーになれた人たちは、何故だかみんな生暖かい目をしていたそうだ。
うん、その理由はよく分かる。セドラーシュは冷たい目をしているけど……アクアマリンのような色の目がそう感じさせるだけかもしれない。実は心の中じゃノゾムと同じようにほんわかしているのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
「……たいていの奴は、ころっと騙されるんだけどなぁ」
はぁ、とため息混じりに告げるコーイチ少年。ドラゴンの頭を撫でる手はそのままに、面倒くさそうにセドラーシュを見る。
「文句なら王様に言ってよ。ドラゴンを簡単に倒されるのはムカつくし、テイマーに簡単になられるのもムカつく、って言ってこんなイベントを作ったんだからさ」
王様って、アガトのことだろうか。
というか今、イベントって言った?
え、本当にイベントなの?
「モンスター愛が強すぎるんだよね、あの王様。ワガママだし。ねぇ?」
「ギャウッ!」
そのとおりだと言わんばかりに答えるドラゴン。ノゾムは唖然とした。嘘だろ。本当にイベントだったのかよ……。
「お、俺、本当に君が、ドラゴンを友達だと思っていると――」
「……うん。ごめんね」
申し訳なさそうに謝るコーイチ。ノゾムはヘナヘナとしゃがみ込んだ。なんだそれ。本気にしてしまった自分が馬鹿みたいじゃないか。
羞恥心から顔を上げられない。両手で顔を覆い隠すノゾムの耳に、「でもね」と声が届いた。
「モンスターを友達だと思うプレイヤーは、確かにいるんだよ。【テイマー】になってしまったがために、モンスターに情が移ってしまったっていうプレイヤーがね。君たちも、そうなってしまうかもしれないよ。……ちなみに、」
中途半端に途切れる言葉。ノゾムは怪訝に思って、ゆっくりと顔を覆っていた手を離す。
ドラゴンの頭の上で頬杖をついたコーイチは、にっこりと無邪気に笑った。
「ぼくも、その1人だったりするんだよね」
「…………」
「『倒さない』選択をしてくれて、ありがとう」
ドラゴンがまたまた「ギャフッ」と鳴いた。
そのとおりだと、肯定するように。
ノゾムはキュッと唇を噛んでうつむいて……それからハッとしてコーイチ少年を見た。
「そうだ、俺の親父のことなんだけど」
「ごめん。それは本当に知らない」
いきなり「俺の親父なのかな?」と聞かれた時はめちゃくちゃビックリしたよ、とコーイチは困惑した顔で言う。
「デスヨネー」
ノゾムは思わず遠い目になった。