盲目のドラゴンⅤ
「ひぎゃあああああああっ!!?」
甲高い悲鳴が洞窟内にこだまする。ハッと顔を上げたノゾムたちの目に映ったのは、ネルケの小さな体を抱えて身を投げ出すナナミの姿だった。
「死ぬ! 死んじゃう! 死にたくないよォォォォ!!」
「死なないから黙ってなさい!」
2人が地面に叩きつけられた瞬間、けたたましい音が鳴った。ここが現実世界なら、今頃2人は見るも無残な姿になっていたことだろう。しかしここはゲームの中なので、ナナミはすぐに立ち上がり、ネルケを抱えたまま走り出した。
盲目のドラゴンに向かって。
「時間を稼いで!」
何のことだか、ノゾムには分からない。
コーイチ少年の鋭い目がナナミを捉えた。
「行かせるかッ!」
ナナミに向かって振り下ろされる巨大な尻尾。それを防いだのは、セドラーシュが張り直した『聖盾』だ。
セドラーシュは舌打ちして、走るナナミを睨んだ。
「せっかく避難したのに、なんで戻ってくるかな!?」
「なんか策があんだろ! 『アイシクル』!」
バスケットボールよりも少し大きな氷塊がコーイチ少年の目の前に落ちる。割れる氷塊。コーイチ少年は動きを止めた。
セドラーシュは眉間に渓谷のようなしわを浮かべてラルドを見た。
「策って……なんでネルケまで!」
「策に必要なんだろ! おいノゾム、ワイヤー!」
「あ、うん!」
ノゾムは慌てて『罠作成』を使用した。時間を稼いで……ってことは、足止めをしたらいいんだよね?
とりあえず、コーイチ少年の足元にワイヤーを張り巡らせる。味方識別をセドラーシュにつけてないけど、まあいいか。
「あいつに何が出来るっていうんだよ!」
セドラーシュは吐き捨てる。
それに対して、ラルドは清々しいほどキッパリと告げた。
「なんでも出来るだろ、ゲームなんだから」
***
「えっと、これじゃなくて、これでもなくて……」
盲目のドラゴンのすぐそばの岩陰に身を隠したナナミは、アイテムボックスの一覧を上から下まで眺めた。
通常、アイテムボックスに入れられるアイテムは30個までだが、ナナミの前に浮かぶ一欄の中身は明らかに30個を越えている。
(そういえば、『道具箱』とアイテムボックスを繋ぐことができるって、バジルさんが言っとったような……?)
こてんと首をかしげるネルケをよそに、一覧とにらめっこをしていたナナミは、ようやく目当てのアイテムを見つけたらしい。
取り出したそれは、大きな虹色の水晶がついた首飾りだった。
「きれい……」
「これに『魔法防御力上昇』の付与をつけてっと……はいネルケ、これつけて」
「え?」
淡い光に包まれた首飾りを「はい」と渡されて、ネルケは呆けた声を出す。
「えっと?」
「あ、終わったらちゃんと返してね? それ、すっごくレアな虹色水晶を使ってるんだから」
「???」
すっごくレアなもの……なんでそんなものを渡されるのか、理由がさっぱり分からない。
先程の付与……とは、【錬金術師】のスキルだ。これを使うと装備品にいろいろな効果をつけることが出来る。
「なんで、魔法防御……?」
「回復魔法を使った時の回復量って、魔法防御力に依存するじゃない」
「あ、そういえば……って、え? まさか!?」
ネルケは目をまん丸にしてナナミを見た。ナナミはにんまりと笑った。同性のネルケから見ても、綺麗で、可愛らしい笑顔だ。
小悪魔的というか、なんというか。
「ネルケが言ったんでしょ? 『怪我を治せば』って」
「いいい、言ったよ? 言ったけども! そもそもモンスターに回復魔法って効くと!?」
「さあ?」
「ナナミちゃああああああん!!?」
こてん、と首をかしげるナナミに、ネルケは素っ頓狂な声を上げる。
効くかどうかも分からないものを試すために、わざわざここへ連れてきたというのか。
「たぶん効くわよ。テイムモンスターって、テイマーにとっては仲間でしょ? 仲間が傷ついた時に回復する手段がないなんてことはないはずよ」
「でででで、でも……!」
自分には無理だと、ネルケは思う。
鋭い牙を生やした大きなドラゴン。近付いただけでも気を失ってしまいそうだ。ラルドはよく接近して戦えたなと、今更ながら感心してしまう。
ネルケはモンスターが苦手だ。チームのサポート役になったのも、モンスターに近付きたくなかったからだ。セドラーシュにはそれを見破られている気がする。やはり自分は、彼の言うとおり役立たずなのだ。
ドラゴンに近付いて、回復魔法をかけるなんて……。
出来るはずがない。
「ウチは……ウチには……」
「なんでも出来るだろ、ゲームなんだから」
ふいにラルドの声が聞こえた。顔を上げてそちらを見れば、ラルドはネルケにではなく、セドラーシュに向かって話をしている。
ドラゴンの姿で暴れるテイマーの少年。足元には何重にも張り巡られたワイヤー。少年がネルケたちのところへ向かうのを、防いでくれているらしい。
「空も飛べるし、炎だって出せるし、でっかいモンスターと戦えるし、ドラゴンと友達にもなれる。見たことないもん、何でも見れるし、何でも聴けるし、触れるし。出来ることは山のようにあるだろ」
ラルドの目は、遠くから見ても分かるほどキラキラしている。
この『ゲーム』を通じて経験できるであろう、さまざまな可能性に、期待と、希望と、興奮を抱いていることが、ひしひしと伝わってくる。
「リアルじゃ出来ないことが、何でも出来る。ここじゃ誰だって、何にでもなれる」
――心臓が大きく、脈打った。
(……本当に?)
リアルでは出来ないことが出来る。
ここでは誰だって、何にでもなれる。
ネルケは人付き合いが苦手だ。トロくて、役立たずで、周りに迷惑をかけてばかりで、自分がその場にいることそのものが申し訳なくて、リアルでは友達と呼べる人間もいなかった。
そんな彼女がなぜ、多人数参加型のVRゲームを始めたのか……それは、ファンタジーが好きだったからだ。
このゲームでは、ファンタジーな世界を、現実のように体験することが出来る。
そしてアバター……自分ではない誰かに、なることが出来る。
だけど、結局はリアルと同じだった。ネルケはここでもトロくて役立たず。ちょっとした縁でバジルたちの仲間になったものの、仲が良いとはとても言えない。そもそも彼らのことは、ちょっと怖いと思っている。
ここにいることが申し訳ない。
役に立たないことが、申し訳ない。
「何にでも、ね」
ナナミがポツリと呟く。その顔は、何故だか自嘲しているように見えた。
深緑色のエメラルドのような目が、ネルケを捉える。
「ねえ、ネルケ。たぶん必要なのは、ちょっとした勇気だけなのよ」
白くて綺麗な手が、ネルケのモコモコの手をすくい取る。温かな手。作り物のはずなのに、確かに感じる。
「私がサポートする」
力強く告げるナナミに、ネルケはキュッと口を結んで、確かに頷いた。