盲目のドラゴンⅢ
バジルが斧を抱えたまま駆ける。速い。その巨体からはとても想像出来ない速さで、コーイチ少年との距離を一気に詰めていく。
コーイチ少年は鋭い爪のついた右手を振り上げるが、きっとバジルの攻撃のほうが速いだろう。そう思った時には、ノゾムは弓を構えていた。
「やめてください!!」
叫ぶと同時に矢を放つ。矢はまっすぐに、バジルの眼前スレスレを通った。
コーイチ少年とバジルのちょうど真ん中を狙ったつもりだったのだけど……もうちょっとで、バジルの顔に当たるところだった。
セドラーシュがちょっぴり目を丸めてノゾムを見る。
矢が目の前を通過したことで、バジルは当然のように動きを止めた。コーイチ少年も、とっさに腕を引く。
バジルの目が、ゆっくりとこちらを向いた。
「……今の矢は、テメェか?」
意外にも静かな問いかけ。
ノゾムは青い顔で頷く。
「あの、その、すみません。でも……」
「死ねやぁぁああああああッ!!」
「えええええええっ!?」
斧が! 飛んできた!
ぐるぐると円を描きながら飛んでくる戦斧は、容赦なくノゾムの首を狙う。
セドラーシュが『聖盾』で防いでくれたけど、防いでくれなければ間違いなく首が飛んでいた。こわい。腰を抜かしたノゾムが無事なことを確認してバジルは舌打ちしている。この人こわい。
ここが現実世界だったなら、たぶんノゾムは今頃気を失っていただろう。
「邪魔すんな、セドラーシュ!」
「いやいや……また垢バンされちゃうよ?」
「先に攻撃したのはそいつだろォが!」
「ち、ちが……」
攻撃したのではない、止めようとしたのだ。しかしバジルに当たりそうになったのは事実である。激高するのは当然だろう。
だらだらと冷や汗をかくノゾムを、セドラーシュは冷たい目で見下ろした。
「今の射撃の意味は何?」
「え、えっと」
「意味もなくやったのなら、僕はこの盾を解除する。理由があるのなら説明を。長話を聞いている暇はないから、3行くらいで要約して」
「3行!?」
まさかの無茶ぶりにノゾムはあんぐりと口を開ける。ラルドが「今北産業」と呟いたが、意味が分からない。
ノゾムは頭を抱えながら、しどろもどろに説明した。
「えっと、彼はドラゴンに変身したプレイヤーで、後ろにいるドラゴンは彼の友達で……。友達を傷つけてしまった俺たちに怒っているだけなんです。だから、その、彼を攻撃しないで欲しいんですけど……」
「ふうん。だってさ、バジル。そのドラゴンを攻撃したら、『プレイヤーに危害を加えた』ってことで違反になってしまうよ」
止めてもらえて良かったねーと、セドラーシュは軽い調子で言う。あまりの軽さに不安を覚えるが、コーイチ少年を攻撃してはならないということは伝わったみたいでノゾムはホッとした。バジルは苦々しく顔を歪めている。
「――攻撃するなら、奥のドラゴンだ」
冷ややかに告げられたセドラーシュの言葉に、ノゾムは一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。
「あ、あの! 奥のドラゴンは、あの子の友達なんです! ってさっき俺、言いましたよね!?」
「友達って……ただのモンスターでしょ?」
何を言っているんだと言わんばかりのセドラーシュ。ノゾムは唖然とした。ローゼが片手で額を押さえているのが見えた。
「本当に命があるわけじゃないんだ。この世界の中だけに存在する、いわばロボットみたいなものだろ。それとも君は、ロボットを友達だと思うタイプ?」
だとすれば僕とは合わないな、とセドラーシュは表情を変えることなく言い放つ。
ノゾムは茫然と彼を見上げて……奥歯を噛んだ。
「彼は、友達だと思ってるんです」
「う、ウチからもお願いっ!」
「ほんっと冷たい男なんだから……そんなんじゃ、女の子にモテないわよ?」
ネルケとローゼも擁護してくれる。セドラーシュは不愉快そうに眉間にしわを刻んだ。
「なんで僕が悪者扱いなのか、理解に苦しむんだけど。ラプターズのリーダーはバジルでしょ? ドラゴン退治を続けるのか否か、決めるのはバジルだ」
そう言われて、ノゾムたちは一斉にバジルを見た。たくさんの目を向けられて、バジルの巨体がびくりと跳ねる。
「お願いします、バジルさんっ!」
「バジルあんた、ここでドラゴン退治を強行しようとしたら、さすがに引くわよ」
懇願するネルケと、目尻を鋭く尖らせて睨めつけるローゼ。バジルの体が、半歩下がる。
「だ、だがよォ、ドラゴンスレイヤー……レッドリンクスに差をつけるチャンス……」
バジルは視線を右往左往させながら、「あー」とか「うー」とか声を漏らす。ローゼの目尻がさらにつり上がった。バジルの巨体が縮こまっていく。
「……分かった。弓ヤローの頼みを聞くのはムカつくが、仲間を助けてもらった借りもあらァ!」
力強く言うバジル。ローゼは満足げに頷いて、ネルケに向かってピースした。セドラーシュもまた、槍を引く。
「僕たちのギルドで、一番権力が強いのはローゼなんだよね」
「まあ、見れば分かります」
ノゾムはセドラーシュの言葉に頷いた。ネルケは「バジルさん……っ!」と感激した顔でバジルを見つめているけど、バジルはローゼが怖いだけだと思う。
「さてさて。方針は決まったけど……問題は、どうやってここを切り抜けるかだよね」
セドラーシュの言葉にハッとする。コーイチ少年が口から炎を吐いた。炎は『聖盾』でまた弾かれるけど、コーイチ少年の瞳から敵意は消えない。
「出ていけーーーー!!」
「……んー、出ていきたいのはやまやまなんだけど。えーと、君、名前は何だっけ?」
「の、ノゾム、です」
「ノゾムくん。君たちの中に、『レビテーション』を覚えている人はいる?」
また『レビテーション』だ。なんだそれ、と首をかしげるノゾムに、セドラーシュは「魔道士のセカンドスキルだよ」と答えた。
「【魔道士】のセカンドスキル『中級魔法』のひとつで、空を飛ぶことが出来る」
「空を……? すごい! それでさっき、宙に浮いていたんですね?」
「うん。ただ、浮かせられるのは術者自身と、味方識別をつけた4人だけだ」
今ここにいるのは、7人。バジルたちの中で『中級魔法』を習得しているのはローゼだけだそうで、全員を一度に運ぶことは出来ない。
誰か2人、残らなければ。
「僕たちはあの道を通ってきたんだけど」
セドラーシュが指し示すのは、天井付近の壁にぽっかりと空いた横穴だ。穴の中に松明を置いてきたのか、暗闇の中で光っている。
地面からの距離は、相当ある。ドラゴンに変身したコーイチ少年の、遥か上だ。
「『初級魔法』ならラルドが習得しているんですけど……」
「そうか。それじゃあ、ローゼに往復してもらうしかないか」
「あたしがぁ? やぁよ、『レビテーション』ってMPをめちゃくちゃ消費するのよ?」
「ワガママだなぁ」
『レビテーション』は、浮かせる人数によって消費するMPの量が変わるらしい。
「あ、あの。俺、あの子と話さなきゃいけないことがあるので、残ります」
ノゾムは恐る恐る手を上げて言う。
ノゾムがこの洞窟に来たのは、父親と同じ名前のプレイヤー、コーイチに会うためだ。彼が父親かどうかを確認しなければ、ここに来た意味がなくなってしまう。
コーイチ少年が父親である可能性は、ぶっちゃけ低い。ノゾムの父親に、ゲームの中の友達を傷つけられて激高するピュアさがあるとは、到底思えない。
しかし、万が一ということもある。
ちゃんと確認しなければ。
「話? あいつと? まともに話が出来ると思っているんだ、すごいね」
「うぐっ……」
一言多い。だがセドラーシュの言うことはまったくもって正論だ。コーイチ少年はこちらの話など聞く耳を持たず、今も炎を吐いている。
セドラーシュが防いでくれなければ、今頃ノゾムたちは仲良く死に戻りしているだろう。
「でも、俺……」
「ノゾム、安心しろ! オレも残るぜ!」
グッと親指を立ててラルドが言う。頼もしい相棒だ。セドラーシュは「ふうん」と言って、ローゼを振り返った。
「まあ、とにかくこれで人数は絞れたよね。ローゼ、彼ら以外を『レビテーション』で……」
「う、ウチもっ」
ネルケがセドラーシュの言葉を遮る。
「ウチも残る……っ!」
小さな手でローブの裾を握りしめながら、震えた声を上げるネルケ。隣にいるローゼが目を見開いたのが見えた。
ノゾムもあっけにとられる。なんでネルケがそんなことを言い出すのか、理由が分からない。
セドラーシュは氷のような目でネルケを見た。
「いやいやいや、何言ってんの。ネルケ、君が何を出来るつもりでいるの?」
「それは……」
「グズでノロマで空回りばかり。これ以上、君に迷惑をかけられたくないんだけど?」
心底迷惑そうに吐き捨てるセドラーシュに、ネルケは傷ついた顔をする。ラルドが盛大に顔を歪めた。
「おいおい、その言い方はちょっと酷いんじゃねぇの?」
「事実を言ったまでさ」
セドラーシュの返しは淡白だ。温かみを微塵も感じない。今にも泣きそうなネルケが可哀想になってくる。
「さあ、ローゼ」
「……分かったわ」
ローゼはやれやれと肩をすくめて、メニュー画面をいじり始めた。脱出するメンバーに味方識別をつけているのだろう。
「セドも置いていくわね」
「え?」
メニュー画面を閉じたローゼは「レビテーション」と叫ぶ。ローゼ、バジル、ネルケ、そしてナナミの体がふわりと浮いた。
「え、ちょっと」
そのまま天井近くの横穴まで飛んでいく。
「嘘だろ!?」
取り残されて唖然とするセドラーシュを見て、ノゾムはつい、ざまあみろと思ってしまった。