盲目のドラゴンⅡ
ノゾムの声が洞窟内にこだまする。鼻に矢が刺さったドラゴンは相変わらず頭をぶんぶん振っているし、男の子のほうも瞳から憎悪が消えやしない。
ラルドはオレンジ色の瞳を大きく丸めた。
「友達……? ていうかドラゴンが2体になってるんだけど、どういうこと!?」
「あんた、周りが見えてないの? さっきの子が『トランス』したのよ」
「トランス!? マジか! あいつテイマーだったのか!」
トランスのことはラルドも知っていたようだ。テイマーのことも知っていたし、掲示場に書いてあったのかもしれない。
仲良くなったモンスターと同じ姿に変身できる『トランス』。つまり、あの盲目のドラゴンは、男の子……コーイチ少年の友達だということ。
コーイチ少年は、ドラゴンを倒すために山にこもっていたプレイヤーではなかったのだ。
「たぶんあの子は、ドラゴンを守ろうとしていたんだと思う。ラルド、悪いんだけど、ドラゴンと戦うのは諦めて……」
「ドラゴンと友達とかカッケェな! オレも友達になれるかな!?」
「さ、さあ? それはどうだろう?」
ラルドの目はキラキラ輝いている。すでに興味の対象は強敵を倒すことではなく、仲良くなることに移っているらしい。
ドラゴンが少年の友達なら戦闘は避けたいと思っていたノゾムは、ラルドの反応にホッと安堵の息を吐いた。
「出ていけ! ここはアイツの縄張りだ!」
コーイチ少年が炎を吐く。こちらに戦う意志はないというのに、臨戦態勢を解いてくれない。
「お願いだから、話を……」
「ノゾム、ここは一旦逃げましょう!」
ナナミがノゾムの肩を掴んで言う。ネルケが「逃げるってどこに!?」と問いかけた。来た道は瓦礫に塞がれている。ナナミは「知らないわよ!」と一蹴した。
「でも、この洞窟の構造から考えて、他にも道はあると思うわ!」
「ネルケが落ちてきた穴みたいに?」
「そうそう……あああっ! 『レビテーション』が使えたらなぁ〜〜〜!!」
ノゾムは首をかしげる。レビテーションとは何だろう。ラルドやネルケを見てみれば、理解していないのはノゾムだけのようだった。あとで聞こう。
「レビテーション……ローゼさんが使えるけど……。こんな都合よく現れるわけないし……」
ネルケがしょんぼりと耳を垂らしながら呟く。
とにかくノゾムたちは、ひたすら逃げて、逃げて、逃げ回った。コーイチ少年は追ってくる。ドラゴンのほうは、鼻に刺さった矢をまだ気にしている。変なところに刺してしまって本当に申し訳ない。
コーイチ少年は炎を吐く。ノゾムたちは全力で駆けた。
出口、出口、出口。
他に道なんて、本当にあるのだろうか。
「ふぎゃうっ!」
ネルケが転んだ。コーイチ少年は止まらない。足元にいる小さな犬なんて、まるで見えていないかのように、大きな足が迫ってくる。
「ネルケ!!」
ノゾムは思わず駆け出した。腰を抜かしているネルケに手を伸ばして、その小さな体を抱きしめる。
大丈夫、死にはしない。だってゲームの中だ。しかし、怖いものは怖い。
来る衝撃に備えて、ノゾムは両目を強く瞑った。
「……ようやく見つけたと思ったら……」
声が降ってくる。透き通った水のように、雑味のない、涼やかな声が。
「『聖盾』」
来るはずの衝撃が来ない。目を開けると、目の前には大きな光の盾があった。盾を掲げてドラゴンの足を受け止めているのは、ひょろりと痩せた男である。
目深にかぶったキャスケット帽。後ろでゆるく結んだ薄茶色の髪。振り返った時に見えた瞳は氷のような薄水色で、呆れたように半分だけまぶたに隠れている。
「……こんなところで、何をしてるわけ?」
ひどく冷ややかな問いかけに、ネルケは目をまん丸にした。
「セドラーシュ!? なんで!?」
叫ぶように問いかけるネルケ。セドラーシュは帽子の中で眉根を寄せている。光の盾に阻まれたコーイチ少年は後ろに下がり、闖入者に対して、警戒するような様子を見せた。
「『なんで』じゃないでしょ。君って奴は本当に……」
「ネルケ、無事!?」
再び『上』から降ってきた声がセドラーシュの言葉を遮る。ノゾムは声が聞こえてきた方向を見て、目を見開いた。
ピンク色の長い髪をツインテールにした女の子と、獣の頭蓋骨のようなマスクをつけた大男……ローゼとバジルが、文字通りそこに浮いていたからだ。
軽やかに降り立ったローゼは、まっすぐにネルケのもとへ駆け寄った。
「何してんのよ、もう! 心配したじゃないの!」
「し、しんぱい?」
「めちゃくちゃ捜したんだからね! あなたたちが助けてくれたの? ありがとう、ごめんね。うちの子が迷惑かけちゃって……」
神経質そうに眉を釣り上げてネルケを怒鳴ったかと思えば、今度は申し訳なさそうにノゾムたちに礼を言う。
コロコロと表情を変えるローゼを見上げるネルケの顔は、間抜け、としか言いようのないものだ。
「捜した……? ウチを? なんで?」
「なんでって、当たり前でしょ? 何言ってんの?」
ローゼは怪訝な顔をする。それを見たネルケは、一層困惑した様子で、くしゃりと顔を歪めた。
「だって……っ、ウチはトロくて、役立たずで、だから……っ」
だからどうせ、はぐれても気にかけてもらえないのだろうと。そう思ったんだと。大きな瞳からポロポロと滴をこぼしながら、ネルケは訴える。
ローゼはそんなネルケの涙を優しく拭った。
「まったくもう。誰もそんなこと言ってないでしょ? ネガティブが過ぎるわよ」
「僕は言ったけどね」
さらりと自白するセドラーシュ。光の盾を消した彼の手には、身の丈ほどもある鉄製の槍が握られている。
ネルケの涙を拭う手をピタリと止めたローゼは、塵芥を見るような目でセドラーシュを見た。
「セド、あんた、サイテー。死ねばいいのに」
「『死ねばいいのに』が口癖になっている君には言われたくないよ。それに僕は、事実しか言ってない」
実際にトロいし役立たずじゃないか、とため息混じりに言うセドラーシュ。ネルケはガーンとショックを受けた。
ひどい言い草だが、ちゃんとネルケを捜しに来てくれたのだし……。悪い人ではない……と、思いたい。
「あのね、ネルケ。こいつの言うことは真に受けなくていいの。嫌味が趣味みたいな奴なんだから。ネルケがサポートに回ってくれて、あたしたちは助かってるのよ?」
「ああ、まったくだ」
ローゼの言葉にバジルが同意する。ネルケは涙に濡れた目でバジルの背中を見た。バジルの目はまっすぐにコーイチ少年に向いていて、ニヤリと口が動く。
「それに、運もいい。まさかネルケを捜していて、念願のドラゴンに会えるとはな」
見るからに大きくて重そうな斧の切っ先が、コーイチ少年に向く。マスクの向こう側に見えるバジルの瞳は、爛々と輝いているように見えた。
「トカゲごときがオレ様の仲間をいたぶってくれた罪を、存分に贖ってもらうぞ!」