第三の関門・ケルベロス
魔王城・裏門――。
ノゾムは眉間にしわを刻んで、立て札に書かれた文字を読んだ。
「『番犬にエサを与えないでください』」
うん、何度読んでも、そう書いてある。
魔王の城に乗り込むためのヒントかと思ったが、いまいち意味が分からない。
「『番犬』って、あのゴーレムのことかな?」
「いや、違うだろ。あいつのどこが『犬』なんだ?」
「だよねぇ」
岩で作られたゴツゴツの体。無機質な顔。どう見てもゴーレムは『犬』なんかではない。
ラルドは首をかしげて「あれってケルベロスのことじゃねぇかな」と言った。城の正門にいた、居眠り犬のことだ。ノゾムは「なるほど」と頷いた。
しかし、疑問は残る。
「どうしてケルベロスのことが、裏門に書いてあるんだろう?」
『番犬にエサを与えないでください』。すっかり眠りこけて、『番犬』としての役割を果たしているんだかいないんだか分からないケルベロスだが、あいつにエサを与えてほしくないのであれば、あの立て札は正門に立っているべきだろう。
こんなところに置いていたって、何の意味もない。
怪訝な顔を浮かべるノゾムだったが、しかしオスカーは笑みを浮かべて立て札を見ていた。
「あれが、ケルベロス攻略のヒントだからだろう」
「え?」
「もしかすると、この岩人形を攻略する方法も、正門に書かれていたのかもしれないな。ぜんぜん気付かなかったけど」
ノゾムはぱちくりと目を瞬かせた。オスカーが何を言っているのか、よく分からない。
「あれが、ケルベロスを攻略するヒント……ですか?」
「分かったぜオスカー! ケルベロスにエサを与えてみるんだな!?」
「え、『与えるな』って書いてるのに?」
ラルドまで何を言い出すのだろうとノゾムはギョッとする。オスカーは頷いた。ナナミとエレンは「なるほどー」といった顔をする。
え、分かってないの、俺だけなの?
いっそう困惑した顔をするノゾムに、オスカーは眼鏡越しに目を向けた。
「ケルベロスの出典はギリシア神話だ。冥王ハデスの忠実な番犬として、冥府の門を監視する役割を与えられている。死者に対しては友好的だが、冥府を逃げ出そうとする者や、許可なく冥府に立ち入った者は容赦なく捕まえ、貪り食うという」
「『地獄の番犬ケルベロス』ですね」
そのくらいならノゾムも知っている。
「しかしケルベロスは、エサにつられて仕事を放棄することもあった。古代ギリシアやローマでは、ケルベロスに遭遇してもやり過ごせるように、死者にパンや菓子を持たせる風習があったそうだ」
「……それじゃあ、『エサを与えないでください』っていうのは」
「ケルベロスに職務放棄をさせないためのものだろう」
逆に考えれば、これこそが正門を突破する方法ということになる。そう告げるオスカーに、ノゾムはぽかんとした。
地獄の番犬ケルベロス……思っていたより、優秀な門番ではなかったらしい。
狼男たちの群れを避けて、来た道を戻る。もうすぐ正門というところで聞こえてきたのは、「おりゃぁぁぁぁ!!」という甲高い声だった。
この声はミーナだな。まだ居眠りケルベロスと戦っていたのか。
立ち向かっては吹き飛ばされて、立ち向かっては吹き飛ばされて、を飽きることなく繰り返すミーナを呆れた目で見ていたアルベルトは、戻ってきたノゾムたちに気付くと目を瞬いた。
「なんだ。結局、他に入れそうな場所はなかったのか」
「いや、あったのはあったんだけど……」
曖昧なことを言うノゾムにアルベルトは首をかしげる。ノゾムは口を引き攣らせた。なんだか、こいつと普通に喋るのは変な感じだ。仲良くなど出来ないと、互いに思っているはずだからだろう。
「それより、こっちに立て札はなかったか?」
オスカーが問う。「立て札?」とアルベルトは怪訝な顔をした。
「立て札でないなら……何か気になる文章を見つけたりとか」
「ああ、それならあのケルベロスの首輪に書いてあった」
それを聞いて、ノゾムはケルベロスに目を向けた。相変わらず気持ちよさそうに眠りこけるケルベロスの首には、革製の大きな首輪がつけられている。
よーく見ると、その首輪には確かに文章が刻まれていた。
「『人形の死は真理の中に。頭を削れ』……?」
なんのこっちゃ。しかし裏門に書いてあった言葉がケルベロスのことならば、こっちの『人形』は、おそらくゴーレムのことである。
ゴーレムの死は、真理の中に。
……うん、意味が分からない。
「あいつは本当にゴーレムだったのか。泥じゃなくて岩だったけど……だが『emeth』なんて書いてあったかな?」
オスカーは口元に手を当ててブツブツ言っている。エメスってなんだ。
……まあ、今はいいか。
「あのケルベロスにエサをあげたらいいんですよね、オスカーさん?」
「ああ」
「は? エサ?」
アルベルトはへんてこな顔をする。その間にもミーナは「とぉぉぉぉ!」と叫びながらケルベロスに立ち向かっている。
エサって何でもいいのかな、と思いながら、ノゾムは食料袋を漁った。このゲームでは料理もできるけど、結局いつも、チョコレートばかり食べている気がする。
アイテムボックスとは別に食料を入れておけるこの食料袋は、中身が腐ることがないのでとても便利だ。
ノゾムが取り出したのはモンスターがたまに落とす、謎の肉だった。確かこれは、鳥型のモンスターが落としたやつだった気がする。見た目は鳥肉なんだけど、やっぱりモンスターが落としたものなので、恐ろしくて手をつける気になれなかった。
ルージュに戻ったときにでも、料理人のレイナに渡そうと思っていたものだ。
肉の匂いを嗅ぎ取ったのか、眠っているケルベロスの鼻がヒクヒクと動いた。
「生の肉でもいいのかな……」
「うーん。反応はしてるけど、起きる気配ないし……焼いたほうがいいんじゃね? オレ、簡易調理セット持ってるぜ」
ラルドはそう言うと、ちゃっちゃと調理セットを取り出した。コンロと鍋とフライパン、包丁やおたまやフライ返しなどが、一式揃ったセットである。
アルベルトはいっそう困惑した顔をした。
「え、こんなところで料理……? お前ら、何を考えているんだ……?」
確かに事情を知らなければ、意味不明な行動だろう。ラルドは「まあ見てな」と言って、コンロに火をつけた。フライパンにさっと油をひいて、ノゾムから渡された謎肉を焼き始める。
肉が焼けるジューシーな匂いが辺りに漂った。「いい匂いがします」と、ミーナの動きが止まる。ケルベロスの3つの口から、滝のようにヨダレが垂れてきた。
「あ、でも調味料がなかったんだった」
「塩とコショウくらいなら、オレが持ってるぞ」
エレンがそう言って、お肉に塩コショウをする。ケルベロスの3対の目が、ぱちりと開いた。大きな体を起こして、3つの口を開けて、ハッハッと荒い息を吐く。大きく見開かれた目は、どれもキラキラと輝いていた。
ラルドは焼き上がった肉を皿に載せ、ケルベロスの前に置いた。
「熱いから気を付けて食えよ!」
「ウォン!!」
ケルベロスの巨体を考えると、この肉は小さすぎたかもしれない。それでもケルベロスは肉にかぶりつき、美味しそうに咀嚼した。
門はガラ空きだ。ノゾムたちは難なく門をくぐり抜け、城の中に入ることが出来た。
「こんな手段があるなんて……」
唖然とするアルベルトに、ノゾムは思わず苦笑する。まさかこんなに簡単にいくなんて、ノゾムも思いもしなかった。