ゆるやかな開幕
空が茜色に染まる。東からは、夜が迫っている。リアルの世界でも、きっと同じような空が広がっているだろう。日本では現在、間もなく夜の7時になろうとしている頃だ。
『常闇の国ヴィオレ』が浮かぶ予定の場所に、最も近いプールプルの海岸には、たくさんのプレイヤーがずらりと並んでいる。
このゲームをプレイしている全員、ではないだろう。イベントに興味のない人もいるだろうし、リアルの都合で参加できない人もいる。この時間までに、ここに辿り着けなかった人だって、いるに違いない。
それでも結構な人数が、海岸にはいる。ノゾムが知っている人も、知らない人もだ。
「ワクワクするな〜! このイベント期間中、リオンはログインしないって言ってたけど、オスカーはどうなんだ?」
「明日は塾があるから午前中は参加できないが、明後日は休みだから、朝からやれるぞ」
「……塾に休みなんかあったのか?」
「そりゃあるだろ」
ラルドの言葉にオスカーは呆れた顔をする。塾が休みの日であっても、今までは午前中をリオンに譲っていたのだそうだ。このイベント中はリオンが不参加なので、久しぶりに1日中ゲームに費やせるのだという。
「勉強はいいの?」
「たまに羽を伸ばすくらい、問題ないさ」
ナナミの問いかけにもオスカーはあっけらかんと答える。オスカーが問題ないと言うなら、そうなのだろう。オスカーは賢いので、ちゃんと計画的に勉強しているはずだ。
少し離れたところには、ジャックとハンス、それにユズルとジェイドがいた。4人からさらに離れたところには、シスカの姿。シスカはジャックに気付くと、嫌そうに顔をしかめて距離を広めた。
ミーナも間に合ったらしい。隣に何故かアルベルトがいるけど、理由は知らないし、興味もない。アルベルトのことは、ノゾムは今も昔も大嫌いだ。
「の、ノゾム、どうしよう。アイツらもいる……!」
エレンがピンクマリモと似非爽やか男を見てブルブル震える。そりゃ、参加するって言ってたしな。当然、バジルたち『ラプターズ』の姿もあった。他にも『バトルアリーナ』に出ていた少年魔道士とか、見覚えのある顔がちらほら。
ヴィルヘルムの姿は見当たらないけど、まあ、たぶん、どこかにはいるだろう。あいつとは関わらないに越したことはないので、ノゾムは特に探そうとも思わなかった。
夜が完全に空を埋め尽くし、空には大きな満月が浮かぶ。その月が、まるで赤いペンキをぶち撒けられたかのように、徐々に赤く染まっていった。海面が大きく波打つ。何かが、海の中から上がってきた。
大きな島だ。
ドーム型の、透明な何かに覆われている。
島の中央には巨大な城がある。大小さまざまな、鋭角な塔がくっついた、真っ黒な城。海上に浮かび上がると、島を覆う透明な何かは、シャボン玉が弾けるようにパチンと消えた。
島からコウモリの群れが飛び立つ。そのうちの一匹が、海岸で待つプレイヤーたちのもとへやって来た。
コウモリだと思ったそれは、コウモリのような翼を生やした、青白い顔の男だった。ドラキュラだ。高いところから見下ろしてくるそいつを、ノゾムたちはポカンと見上げた。
「ようこそ、勇者候補の諸君」
ドラキュラは酷薄な笑みを浮かべて言った。無駄にイケボである。「勇者候補」と呼ばれて、何人かは顔を引き締めた。ノゾムはまだポカンと見上げている。
ドラキュラは笑った。クツクツと、喉を鳴らして嗤った。
「……そう、あくまでも君たちは、『候補』に過ぎない。勇者を名乗れるのは、我が王のもとに辿り着けた者だけなのです」
【勇者】の転職条件は、魔王に対峙すること。それは前もって分かっていたことだ。改めて言われるまでもない。
「『常闇の国ヴィオレ』が浮いているのは、1週間。その間に王のもとへ辿り着ける者が、果たしているのか……。いなければ困りますけどねぇ、ええ。君たちには是非とも王を、楽しませて頂きたい」
嘲笑いながら告げるドラキュラを、ノゾムはやっぱりポカンと見上げる。ラルドなんかは「なんだと〜? 舐めやがって!」なんて言っているが、えっと、これって、演出だよね?
「真の勇者が現れることを、期待していますよ」
ドラキュラはそう言うと「ふふふ」と笑って、姿を消した。あとには赤い月と、夜の闇だけが残る。
……え、それだけ? もっと他に、何か、ルールの説明的なものはないのだろうか?
ヴィオレに渡り、魔王のもとを目指す。見事に魔王のもとに辿り着けた者は【勇者】になれる。……ただそれだけのイベント?
「ねぇラルド――」
「うおおおおおっ! 燃えてきた! 『真の勇者』に、オレはなる!!」
「う、うん」
肩透かしを受けていたノゾムと違い、ラルドはやる気を漲らせていた。他のプレイヤーたちも同様だ。『勇者』という職業は、それだけ『目指したい』と思える価値があるらしい。ノゾムにはよく分からないけれど。
「でも、魔王のところに行くだけなんて、思っていたより簡単――」
その時だ。何か巨大な怪物が、海面から水しぶきを上げながら宙返りをした。
シロナガスクジラよりも、明らかに巨大な体。キラキラと輝く白銀の鱗は、赤い月の下で美しく光る。
巨大なウミヘビ……いや、ウミヘビってレベルじゃない。ノゾムはあんぐりと口を開け、再び海面に潜っていくその怪物を見た。
「あれって、まさかリヴァイアサン!?」
誰かが叫ぶ。ラルドが「うひょお!」と声を上げた。うん、リヴァイアサンか。聞いたことある名前ー。
再びぐるんと宙返りをするリヴァイアサン。飛び出てきて、潜って。そのたびに海面は大きく波打つ。すげぇ波が高い。え、この海を越えなきゃいけないの?
……どうやって?
「泳いでいくと、確実に殺られるな」
オスカーが冷静に判断する。いやいや、とナナミが首を横に振った。
「そもそも、島まで遠すぎでしょ! こんな長距離を泳ぐの? ……いや、意外といけるのかしら? アバターだし」
「レビテーションで、空から行くとか!?」
「MPがもつの?」
海岸に集まる他のプレイヤーたちも、ざわざわと囁き合う。ああしたらどうだろう、こうしてはいかが? いろいろな意見が出るけど、どれも妙案とは言えない。
「向こうの浜辺に小舟があるぜ!」
「小舟で渡るのも無理だろ! 木っ端微塵にされちまうぞ!」
「……ってことは、取れる手段はひとつか」
結局、みんなの結論はひとつにまとまった。
「リヴァイアサンを、ぶっ倒す!」
ノゾムは口元を引き攣らせた。本当に、それしか方法はないのかな? ラルドなんかは「うおー!」と叫んでいるけど……。
こうしてよく分からないままに、『魔王復活イベント』は幕を開けたのだった。
第五章はこれにて完結です。ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
泣いても笑っても次が最終章。ちゃんと終えられるのか不安しかないけど、とにかく進むだけです! 頑張ります!




