悪童Ⅷ
《リラ〜!!》
ポンッと軽やかな音が鳴って、巨大な人面樹が消える。人面樹がいた場所に代わりに現れたのは、小さな女の子だ。長い緑色の髪に、体に白い布を巻き付けた……中世ローマ人みたいな格好をしている、10歳くらいの女の子。
女の子は大粒の涙をこぼしながらリラに飛びつく。リラはそんな女の子を優しく受け止めた。
「おお、よしよし。私が来たからにはもう大丈夫だぞ、ドリアード」
そうじゃないかとは思っていたが、女の子の正体はドリアードだった。「こっちの姿はちゃんとドリアードっぽい」とラルドが言っている。
あの人面樹の姿は、戦闘用というか、なんというか。そんな感じのものだったのだろう。その前の緑色の雪だるまみたいな姿が何だったのかは、よく分からないけれど。
《この人間たちが、アトラスを虐めるの〜!》
「はっ!」
人間たち……やっぱりドリアードは、ノゾムたちもヴィルヘルムの仲間だと思っている!
リラの紫紺の瞳がノゾムたちに向いた。なんとなく冷たい印象を受けるその眼差しに、ノゾムはダラダラと冷や汗を掻いた。
「いや、あの、違うんです。俺たちはその、アトラスに危害を加えるつもりじゃ……」
「オレは戦いたかったけどな!」
「ラルドは黙ってようか?」
正直すぎるラルドにノゾムは思わずツッコミを入れる。ラルドは唇を尖らせた。
ノゾムは口元を引き攣らせながら、なおも言い訳を口にする。
「アトラスを攻撃したのも、俺たちをここに連れて来たのも、そこにいる人なんです!」
ノゾムがビシリと指差すのは、当然ヴィルヘルムである。ただの言い訳だ。ただの、往生際が悪い言い訳。巻き込まれただけだなんて、信じてもらえるはずがないし、実際にこちらを睨んでいるドリアードは信じていない。
ノゾムに指をさされているヴィルヘルムはといえば、リラを見て顔を歪めている。「面倒なのが来た……」って、リラのことを知っているのだろうか?
リラはちらりとヴィルヘルムを見て、ノゾムを見て、口元に微かな笑みを浮かべた。
「そう心配するな。そこの男が周囲を巻き込まずにおれない性質であることは知っている」
「え……?」
「他のプレイヤーたちからも、しょっちゅうクレームが入っているからな……。おい、ヴィルヘルム。お前はまた牢屋に入りたいのか?」
リラの問いかけにヴィルヘルムは肩をすくめる。
「冗談だろ、『イベント』も近いっていうのに。そもそも捕まるならアンディゴよりオランジュがいい。バトルアリーナは楽しいからな」
オランジュのバトルアリーナも、一応は罰のはずなのだけど。ヴィルヘルムにとっては、ぜんぜん罰になっていないらしい。フォイーユモルトはすぐにでも罰則を別のものに変えるべきだ。
リラは眉間にしわを寄せる。
「だったら大人しくしろ」
「この国でPKはしてないけど?」
「他のプレイヤーに迷惑をかけるな」
「俺は楽しみたいだけなのにー」
口を尖らせてブーブー言うヴィルヘルム。まるで子供だ。そして、何度でも言うが、楽しんでいるのはお前だけだ。
リラはドリアードの頭を優しく撫でる。泣いていたドリアードは、気持ちよさそうに目を細めた。まるで母子か、歳の離れた姉妹のようである。
もしかしてリラは【精霊術師】だったりするのだろうか。伝説の生き物と戦いたいと言っていたが、戦いたいだけではなかったりもするのだろうか。
リラは再びヴィルヘルムを見る。
「楽しみたいのは他のプレイヤーたちだって同じだ。自分の楽しみだけを優先させてはいけない」
「ぐぅ……。このゲームは兄ちゃんが作ったのに」
――兄ちゃん?
「それを言うなら、そこにいるノゾムだって同じだ。そいつは光一の息子だからな」
「は!? そうなのか!?」
ヴィルヘルムはギョッとした顔をしてノゾムを振り返った。びくりと肩を震わせたノゾムは、こわごわと頷く。え、なんでこいつが親父のこと知ってるの??
疑問が脳内を埋め尽くすが、誰も答えを与えてはくれない。ヴィルヘルムは眉間にしわを寄せて、ジロジロとノゾムを見た。
「お前も『イベント』に参加するのか?」
「えっと……イベントって……」
「『魔王イベント』だ」
ああ、それか。オランジュにいたヴィルヘルムがアンディゴにいるのは、そのイベントに参加するためなのだろう。
イベントが開催するまで、残り1週間を切っている。今から牢に入れられてしまうのは、ヴィルヘルムもさすがに勘弁したいのだろう。
リラとヴィルヘルムの会話の一部が、ようやく理解できてきた。……『兄ちゃん』については、まだ謎のままだけど。
「ええと、まあ、そうですね。イベントに参加するために、この国に来ました」
「ふうん?」
ヴィルヘルムの目が、猫のように細くなる。口元がゆるりと弧を描いた。
「果たしてお前に辿り着けるかな?」
「え……?」
どういう意味だろうか。
首をかしげるノゾムに、しかしヴィルヘルムは答えてくれない。彼は愉しそうに笑むだけだ。
リラが大きなため息を吐いた。
「それはお前もだろうが。これ以上クレームが入るなら、本当に牢屋に入れるぞ。イベント期間中だろうがお構いなく、な」
「ちょ、それはマジで勘弁!」
「だったら大人しくしていろ」
ヴィルヘルムはまたしてもブーブーと口を尖らす。そんなヴィルヘルムを仕方なさそうに見るリラは、本当に母親のようだった。