悪童Ⅳ
とにもかくにも、ヴィルヘルムがエレンを離したのはラッキーだ。ノゾムはすぐさまエレンのもとに駆け寄って、アトラスの足から引き離した。
ヴィルヘルムに浚われるのは相当怖かったのだろう。エレンは涙目でノゾムにしがみついてきた。ちょっと邪魔だ。
「おいノゾム、エレン、大丈夫かよ!?」
「ラルド!」
後ろから追いかけてきていたラルドが到着した。ラルドはアトラスの足を見て、目をまん丸に見開いた。
「近くで見ると、なおさらでけぇな」
「そんなことはどうでもいいから、早く逃げるよ!」
「お、おう。……でも、ヴィルヘルムは何をしてるんだ?」
「知らないよ」と返そうとして、ノゾムは振り向き、あんぐりと口を開けて固まった。ヴィルヘルムはアトラスの足に向かって、『さみだれ突き』を放っている。
それもアトラスの小指の、爪の付け根を狙って……有言実行かよあの男!?
アトラスの皮膚は分厚い。当然、足も分厚い。だけど小指の爪を重点的に攻撃されて……さすがに痛みが走ったのだろう。アトラスは大きな悲鳴を上げた。鼓膜が破れるかと思うほどの声量だ。
攻撃された足を抱えて、アトラスはその場で飛び跳ねる。アトラスがケンケンするたびに、地面が激しく揺れ動いた。ジャングル中から獣の鳴き声や鳥の羽ばたく音が響く。
タンスの角に小指をぶつけるとめちゃくちゃ痛いけど、アトラスもそうなのだろうか。
地面がグラグラ揺れる中、ゲラゲラ笑うヴィルヘルムは本当に悪辣だ。あのまま踏まれて潰れてしまえばいいのに。
飛び跳ねるアトラスの足元では、植物が生まれて、すぐ潰されて、を繰り返している。緑色の精霊たちは大慌てだ。どうやらこの状況は、彼らにとって良くないことらしい。アトラスを必死になだめようとしている。
しかし精霊たちの声は、アトラスには届かない。アトラスの耳は遥か上空にあるからだ。精霊たちはしょんぼりと肩を落として、その怒りを元凶たる人間に向けた。
ヴィルヘルムのもとに緑の精霊たちが集まってくる。耳元でわーわー喚かれて、ヴィルヘルムは迷惑そうに顔を歪めた。
「なんだお前ら、邪魔だ!」
あろうことか、ヴィルヘルムは精霊たちを蹴飛ばした。小さな精霊たちはあっけなく飛んでいって、地面に転がる。精霊たちの怒りは、頂点に達した。
《愚かな人間どもめ……》
ざわざわと、木の葉が擦れあう音と共に、不思議な声が聞こえてきた。霧の向こうから聞こえてくるような、くぐもった声だ。
緑の精霊たちが一箇所に集まって、地面に溶けるように消えてしまう。かと思いきや、その場にひょっこりと小さな芽が生えた。その芽はあっという間に成長して、巨大な樹に変貌した。
樹の表面には、大きな顔がある。左右に大きく裂けた口と、大きな2つの穴。穴の中には凶悪に輝く真っ赤な目。
――人面樹だ。アトラスほどとはいかなくても、その全長はジャングルから突き出るほどに大きい。
ノゾムたちはあんぐりと口を開けて、巨大な人面樹を見上げた。ヴィルヘルムも同様だ。ただし、ヴィルヘルムの口角はわずかに上がっている。
《よくも我らを足蹴にしおったな。このドリアード、決して許しはせぬ!》
怒りに満ちた声と共に人面樹の目がカッと見開かれる。大きく広がった枝からは木の葉が待った。
……足蹴にしたのはヴィルヘルムなんだけどな。
ノゾムたちにまで言っている気がするのは、気のせいだと思っていいだろうか?




