悪童Ⅲ
ヴィルヘルムとラルドでは、ヴィルヘルムのほうが足が速い。だがノゾムとヴィルヘルムでは、ノゾムのほうが速いようだ。アトラスに辿り着く前に、ノゾムはなんとか追いついた。
【忍者】でレベル上げすることを勧めてくれたジャックに、感謝である。
ヴィルヘルムは並走するノゾムをちらりと見て、遥か後ろにいるラルドを見て、ちょっぴり眉を寄せた。
「2人か。全員ついてきてくれると思ったんだがなー。そうしたら、5枚の盾が手に入ったのに」
唇を尖らせながらぼやくヴィルヘルムが何を言っているのか、ノゾムはすぐには分からなかった。しかし、しばらくして気がつく。エレンを拉致したのは、ノゾムたちを釣るためだったのだと。
「ナナミさんとリオンさんまで、盾に使おうとしていたのか……! そんなことさせません! エレンも返してもらいます!」
ノゾムは、ヴィルヘルムが脇に抱えるエレンに手を伸ばす。ヴィルヘルムは身をよじって、その手をかわした。
「つれないこと言うなよ。せっかくのゲームだぜ? 楽しまないと、な!」
ヴィルヘルムはエレンを抱えたまま、器用に木に登った。枝から枝へ、ぴょんぴょんと飛び移っていく。振り回されているエレンは目を回しているようだ。
「楽しんでいるのは、あなただけでしょ!?」
「それの何が悪い?」
「あんたなぁ!」
こいつには倫理観が欠片もないのだろうか? こちらを見下ろすヴィルヘルムの目は、心底愉しそうに歪んでいる。
ヴィルヘルムの足は止まらない。いっそ、矢を放とうか。だがしかし、人に対して攻撃するのは禁止されている。
相手がPKだったら別だが、バトルアリーナから出てきているヴィルヘルムは罪を償って『プレイヤー』に戻っているはずだ。
アトラスの脚がどんどん近くなってくる。つまりそれだけ、ノゾムたちはジャングルの奥地に足を踏み入れている。
とんでもないモンスターが出てくるのではと危惧したが、意外にもそんなことはなかった。
ジャングルの奥地にいるモンスターは、どこかで見た気がする翼を生やした一角ウサギや、植物を甲羅に生やした大きな亀、純白のユニコーンなどである。
どのモンスターも、モンスターにしてはおとなしいし、すぐそばを通り過ぎていく人間たちに目を向けることもない。
ヴィルヘルムがユニコーンの背中に乗ろうとしたのを、ノゾムは全力で邪魔した。ユニコーンはジャングルの奥に姿を消してしまった。
ヴィルヘルムは不満げな顔をする。
「邪魔するなよ〜」
「いやそれこっちのセリフ!?」
ノゾムたちの冒険の邪魔をした上に、おとなしく過ごしていたユニコーンの邪魔もした男に言われたくはない。
ノゾムは再びヴィルヘルムを捕まえようと手を伸ばすが、またしてもかわされた。『速さ』はノゾムのほうが上なのだが、ヴィルヘルムは細かくフェイントを入れたりして抜け目がない。捕まえるのは難しい。
アトラスに近付けば近付くほどに、モンスターの姿はさらに減っていった。アトラスの足元にいると踏み潰されてしまうかもしれないので、モンスターたちも避難しているのだろう。
不思議なことに、アトラスに近付けば近付くほど、木々はさらに生い茂った。おかしい。アトラスが歩けば、周囲の木々は当然踏み荒らされてしまうはずだ。
その疑問は、アトラスの足元に到着した時に解消された。
「なにこれ、すご……」
アトラスが歩くと、確かに周囲の木々はなぎ倒される。しかしアトラスが通ったあとには、緑が溢れていた。大きな足が踏みつけた地面から、新たな草木が生い茂る。
どれだけアトラスが歩き回っても、ジャングルがなくならない理由がこれらしい。
アトラスの足の周辺には、緑色の精霊たちが集まっている。
「神様扱いされるわけだよ……」
「よおし。行け、俺の盾!」
「って、うおおおおおおい!?」
ヴィルヘルムはアトラスに向かって、容赦なくエレンをぶん投げた。盾というが、投擲具の扱いだ。エレンは悲鳴を上げながら『聖盾』を張り、盾ごとアトラスの足にぶつかった。
ダメージは……まったくないようである。アトラスは何事もなかったように歩みを続けた。
ヴィルヘルムは顎に手を当て「うーん」と唸る。
「さすがにこれじゃダメか……。皮膚も分厚そうだからなぁ。あ、小指の爪の間を槍で攻撃してみるのはどうかな?」
「めちゃくちゃ痛そうだから、やめたげて!?」
やはり悪魔だ、この男。極悪人にもほどがある。
小さな子供のようにキラキラと瞳を輝かせるヴィルヘルムを見て、ノゾムは目眩を覚えた。