悪童
「キャッキャッキャッ!」
女の人の笑い声のような、甲高い声が辺りに響く。どこから聞こえるのかと思ったら、どうやらライオンのようなハイエナのような、謎の魔物が鳴いているらしい。
そういえば、ハイエナの鳴き声は人の声に似ているそうだ。この魔物はハイエナなのだろうか。ライオンみたいなタテガミを持っているけれど。
エレンの胸ぐらを掴んだままのヴィルヘルムは、謎の魔物を振り返るとニヤリと笑った。
「落ち着けよコロコッタ。心配しなくても、存分に遊んでやるよ」
魔物の名前はコロコッタというらしい。
「コロコッタ……。たしか、ヨーロッパの伝承に出てくる怪物だったかな?」
木の後ろに隠れながら、リオンが青い顔をしてそう言った。
「人や、他の動物の呼び声を真似るのがうまくて、仲間だと思わせて誘い込み、喰らうという……」
「ひえ〜っ、おっかねぇな!」
ラルドは顔を引き攣らせる。ノゾムはコクコクと頷いた。コロコッタは「オッカネェナ!」とラルドに似た声で繰り返した。オウムか。
「それ以上におっかないのが、目の前にいるけどね……」
ヴィルヘルムを胡乱げな目で見ながら、ナナミはじりじりと後ろに下がる。それに気付いたヴィルヘルムは何故かVサインを見せた。片手ではエレンの胸ぐらを掴んだままである。
エレンは暴れに暴れた。
「なんだよテメェ! 誰だよ! 離せよ!」
「いきの良い盾だなぁ。よーし、その調子でコイツの気を引き付けておいてくれ」
「え、ちょ!」
ヴィルヘルムはエレンを投げた。コロコッタに向かって。コロコッタは飛んでくるエレンを頭から噛み砕こうと口を開ける。ノゾムはとっさに弓を引いた。矢はコロコッタの左目を射抜いた。
コロコッタが悲鳴を上げてよろめく。
エレンの頭突きがコロコッタを襲った。
ヴィルヘルムはちょっぴり驚いた顔をして、ノゾムを見た。
「へぇ、良い腕だな」
「それは、どうも……」
褒められても嬉しくはない。
「テメェーーッ!! いきなり何しやがるんだよー!!」
がばりと身を起こしたエレンは全力で叫ぶ。頭突きをしたダメージは大してないようだ。
コロコッタのほうも、ダメージを受けてはいるものの、生きている。身を起こすコロコッタを見てエレンは絶叫した。ヴィルヘルムはそんなエレンを見て、ケラケラ笑っている。
ナナミは口元を引き攣らせた。
「相変わらずの極悪っぷりね……」
「エレン、早くそこから離れて!」
「うおおおおおっ! 大丈夫だ、お前らはオレが守る!」
エレンは『聖盾』を張った。絶叫を上げたばかりだというのに、切り替えが早い。ヴィルヘルムが「ほう」と呟いた。
「その気持ちはありがたいけど! 今はその人がいるから――」
「そのまま押さえとけよー!」
「うわああああっ!!?」
「ああ、言わんこっちゃない……」
『聖盾』を張ったエレンごと槍でコロコッタを貫こうとするヴィルヘルム。エレンはとっさに身を翻して槍を避けたが、その顔は信じられないものを見るようだった。
槍はコロコッタの口の中に深々と突き刺さり、コロコッタはわずかに震えたのち、青白い光となって消える。
静寂ののち、腰が抜けてしまったのか、エレンはその場にへたり込んだ。
「押さえとけって言ったのに……。まあいいか、無事に倒せたし」
ヴィルヘルムは飄々と言い放つ。なんという言い草だろうか。エレンはヴィルヘルムを見上げて、はくはくと口を開けたり閉めたりしている。文句を言いたいけど、言葉が出てこないようだ。気持ちは分かる。
ヴィルヘルムはエレンを見た。その目はギラギラと輝いている。すんごく嫌な予感がした。
「な、なん、なんだよ?」
「いや〜。思っていた以上に、本当にいい盾だったから。もう少し付き合ってくれないかな〜って」
「付き合うって何だよ!? モンスターは倒しただろ!?」
まったくである。ヴィルヘルムを追いかけていたコロコッタは、無事に退治された。助けてもらったヴィルヘルムはむしろエレンに感謝すべきである。……が、少し疑問がよぎる。
ヴィルヘルムは超強いのだ。バトルアリーナでは他の参加者たちを玩具にするほど。たった1人で、ドラゴンも倒したといわれている。
そんなヴィルヘルムが、どうしてコロコッタから逃げていたのか。コロコッタは確かに怖い怪物だけれど、ヴィルヘルムが戦わずに逃走をはかるほどとは思えない。
ヴィルヘルムは肩をすくめた。
「俺が倒したいのは、コロコッタじゃねぇよ」
ヴィルヘルムはそう言って、空を見上げた。生い茂る草木の向こう側にあるのは、巨大な人間のふくらはぎだ。
古の時代からこのジャングルに住まう巨人――アトラスである。
「たっっかい所から見下ろしているアイツを、地面に平伏させたら面白そうだと思わねぇ?」
瞳を輝かせながら、悪戯を思いついた子供のような顔で、ヴィルヘルムはとんでもないことを言い放った。