密林の中の謎の生き物
獅子と山羊と鷲と蛇とが合体したような奇妙な怪物、キマイラ。獅子の口からは火炎が飛び出し、山羊は嵐と雷を呼び、尻尾の蛇は強力な毒を持つ。
毒を受けたらすぐに解毒しなければ危ないし、火炎も雷も威力がえげつない。かといって、それらだけに注意していると鷲の鋭い爪に引き裂かれてしまう。
「キマイラに鷲の要素ってあったっけ?」
「いいや」
小首をかしげるラルドにオスカーは首を横に振る。ギリシア神話に登場する本来のキマイラは、獅子と山羊と蛇だけのはずらしい。
だが出典によって、その姿はまちまちだ。最も有名なのはおそらくベースが獅子で、その背中から山羊の頭が生えていて、尻尾が蛇になっている姿だが、山羊がベースになっているものや、蛇が竜になっているものもあるらしい。
竜の翼が生えている姿もあったり、もはや何が何だかである。
角を生やした山羊の頭は明らかに雄山羊のはずなのに、実はメスだったりもするらしいし、本当に奇妙奇天烈この上ない。
この怪物にあやかって? 複数の生物の要素を組み合わせた存在を合成獣と呼んだりするのだとか。
さいわいにも火炎も雷も『聖盾』で防げる。『聖盾』は一度壊されると再び張れるようになるまで時間がかかるが、『聖盾』はラルドも使える。2人で交互に盾を張りつつ、爪や蛇の攻撃はエレンが防ぎ、毒状態になった時にはすぐにノゾムが『リフレッシュ』で解毒する。
「よし、よし、だんだん分かってきたぜ。コイツらは頭が複数あるけど、1匹ずつしか攻撃してこない。獅子が火炎を放っている時に山羊は雷を呼ばないし、蛇も動かねぇ。あと、どうも背中に弱点があるみたいだ。ラルドの剣が当たりそうになったとき、全力で回避してたからな」
「なるほど」
エレンの言葉にオスカーは納得する。
「ギリシア神話のキマイラは背中に矢を受けて倒された。そこから来ているんだろうな」
攻撃パターンと弱点が分かれば、あとはドラゴンの時と同じだ。エレンの合図に合わせて、ひたすら攻撃と回避と防御を繰り返せばいい。
キマイラのHPもなかなか多いみたいで、倒すまでには時間がかかったが、問題なく倒すことができた。
「今回もオレのおかげで勝てたな!」
ふふんとドヤるエレン。フレデリカたちといた時も、毎回こんなんだったんだろうか。
ナナミが安堵の息を吐いた。
「おじさんが『ドラゴンくらい倒せなきゃ』なんて言うからどんなものかと思ったけど……この調子なら大丈夫そうね」
「アトラスはさすがにヤバそうだけどな」
「オレはアイツと戦いたい!」
「いやいやいや」
キラキラした顔で、遠くに見えるアトラスの大きな足を指差しながら言うラルドに、ノゾムは首を横に振る。
確かにキマイラは倒せたけれど、それとこれとは話が別だ。あの巨人は、どう考えても別格だろう。
「他にも厄介な怪物がいるかもしれないし……」
その時だ。
どこからともなく、『クスクス』という笑い声が聞こえてきた。
鳥や獣や虫の鳴き声に紛れて、木々の隙間から、小さな声で『クスクス』と。
「……今、誰か笑った?」
「は!? ちょっとやめてよ!」
ビクリと身を跳ねさせるナナミ。他のみんなも、聞こえなかったみたいだ。
だけど、
――クスクス。
木の葉と木の葉が擦れ合う音に紛れて、確かに聞こえる。
「ほら、やっぱり」
「おお! 今のはオレも聞こえたぜ!」
ラルドが声を上げる。エレンとオスカーも「たしかに」と頷いた。ナナミは眉間にしわを刻んでいる。
どこから聞こえてくるのかは分からない。子供の声のようにも、女の人の声のようにも聞こえる。高い声だ。
近くに他のプレイヤーがいるのだろうか。そう思ってきょろりと周囲を見渡すと、小さな黄緑色の光の玉が、スーッとノゾムの目の前を横切った。
光の玉の中には、変な物体が入っている。頭が大きくて丸く、胴体も丸い。光る小さな雪だるまみたいな姿。体の色は光と同じ黄緑色。背中に昆虫のような羽根が生えている。
何だこれ、と凝視していると、また『クスクス』と笑い声が聞こえた。光る黄緑色の雪だるまからだ。雪だるまには小さな手足が生えていて、その両手は口元に当てられていた。
……まさか、この雪だるまが?
「なに、こいつ……」
「雪だるまのオバケかな?」
「オバケなんかいるわけないだろ」
オバケ説はオスカーがすぐさま否定した。まあ、雪だるまのオバケって何だよって感じだしな。雪だるまだったら白だろうし。
「じゃあ妖精か?」
「妖精だったら、小さな人間の姿をしているんじゃないの?」
確かに、ファンタジー小説の挿絵などに登場する妖精といえば、羽根の生えた小さな人間だ。決して、羽根の生えた小さな雪だるまではない。
エレンが怪訝そうな顔をして「うーん」と唸る。
「どっちかってーと、妖精っつーより……」
エレンが最後まで言い終わる前に、光る雪だるまはパッと姿を消した。慌てて探すけど、もうどこにも見当たらない。
笑い声は消え失せて、再び鳥と獣と虫の声が聞こえる。キツネに抓まれたような気分だ。マジで何だったんだろう、あの雪だるま。
「……そういや、このゲームには【精霊術師】という職業もあったな」
ふいにオスカーが思い出したように言った。
そういえば、とノゾムたちは目を瞬かせてオスカーを見た。
「転職条件は確か……『精霊と仲良くなること』」
「さっきのアレが精霊だっていうのか?」
「それは分からないけど」
精霊という存在がどんな姿をしているのかは、誰も知らない。つまり、あの黄緑色の光る雪だるまが精霊なのか、違うのか、誰にも判断はできない。
エレンが「ふーん」と呟く。
「【精霊術師】か。レアな職業だな」
レアな職業ということは、非常に便利なスキルを覚えるということである。
「でも、仲良くなろうにも、あの雪だるまはどこかに行っちゃったわよ?」
「……また出てくるかな?」
「どうかしら?」
出てこなかったら、その時はその時だ。せっかくなので、探しながら進もうという話でまとまった。
魔王の復活イベントの前に、持てるスキルはできるだけ増やしておいたほうがいい。このアンディゴで生き残るためにも、きっと。