ゲームの中の神話
【僧侶】の転職条件は、教会で神の教えを聞くこと。
どこの町や村にも、必ず教会はある。そのうちどこの教会に行ってもいい。中にいる神官にお願いすれば、いつでも『神の教え』とやらは聞くことが可能だ。
チュルコワーズの教会は海辺にあった。オシャレな町並みの雰囲気を損ねないような、白壁に青の屋根が特徴的な大きな教会だった。
入ってすぐ正面に設置されたステンドグラスには、白い翼を生やした天使たちが描かれている。
神官は、優しそうな面差しをした亜麻色のロングヘアのお姉さんだった。
「分かりました。長い話になりますので、覚悟してくださいね」
にっこり笑顔で言うお姉さんに、ノゾムの口元は引き攣った。長い話になることは知っている。何しろラルドが【僧侶】の転職条件を満たした時には、1時間も教会に拘束されて、出てきた時にはヘロヘロに萎びた姿になっていた。
(なんであのとき、一緒に受けなかったんだろ……)
パーティーの中に回復手段を持つ人間は複数いたほうがいいに決まっている。ノゾムはそんなことにすら、今の今まで気が付かなかった。
「それではまず、この世界の成り立ちから……」
(がんばれ、俺)
ラルドいわく『神の教え』とやらの内容は、このゲームのオリジナルの神話と、『人には優しくしましょう』『盗みを働いてはなりません』などといった極々当たり前の道徳だという。
道徳はまあ、我慢できるけど。オリジナルの神話というのは、ノゾムには辛いかもしれない。
(ゲームの神話って、わけ分かんないのが多いんだよなぁ……)
しかし聞かねばならない。ノゾムは腹をくくった。
――のだが。
「――……黒く染まった世界に神様は嘆き悲しみ、世界を一度手放し、新たな世を作ることを選ばれたのでした」
『神話』とやらは、以前ジョーヌの迷宮図書館で読んだ本の内容と、ほぼ同じものだった。
世界はもとは『白いキャンバス』だった。
神様がそれに色をつけて、世界を作った。
2つ以上の色を混ぜて新たな色を作る楽しさを知った神様は、「ならば全ての色を混ぜてみよう」と思い立ち、“黒”を生んだ。
何にも染まらぬ“黒”を。
全てを塗りつぶす“黒”を。
神様は嘆き悲しみ、黒く染まったキャンバスを捨てて、新たなキャンバスを用意した――。
その本を読んだとき、ノゾムは思った。
(意味が分からない……)
嘆き悲しむも何も、自分でやっちゃったことでしょうが。
そもそもキャンバスが世界って何?
このゲームの中の地名がすべて色の名前なのは、それが理由なの?
現実世界にある神話だって、わけの分からない要素はたくさんある。日本神話だってツッコミどころが満載だ。
しかしノゾムにとって、『ゲームの中の神話』というのはそれに輪をかけて意味が分からない。ノゾムのゲーム嫌いな脳が、理解するのを拒んでいるのかもしれない。
「この“黒”というのは、“魔王”のことではないかと言われています」
「え?」
ノゾムは目を見開いた。魔王というのは確か、『常闇の国ヴィオレ』の王のことだったはずだ。
この『ヴィオレ』は世界地図には載っておらず、存在することは仄めかされているが、どこにあるのかは謎な国である。
「神様は魔王を、黒く染まった大地ごと封印しました。しかし魔王の邪なる意志は今なおこの世界を蝕んでいます。世界中に存在する魔物は、魔王の意思に支配された生き物たちなのです」
「…………」
「いつか、必ず、魔王は復活します。その時に必要なのは、人と人とが団結すること。憎み合わないこと」
人には優しくしましょう。盗みをしてはいけません。嘘をついてはいけません。その後に延々と続く道徳の授業を右から左に聞き流しながら、ノゾムは今聞いた言葉を反芻する。
……魔王は、必ず、復活する。
今はどこにあるのか分からない『ヴィオレ』はその時に出てくるのだろうか。
これは、ゲームの新たなアップデートを示唆しているのだろうか。
バグの修正だとか、細かなアップデートは日々おこなわれている。大きく仕様が変わるような場合には、あらかじめ告知があるらしい。
以前にもたしか、レベルの上限が解放されたり、バトルアリーナに『チーム戦』が追加されたりした時に告知があったはずだ。
魔王の復活という大きな出来事があるなら、それこそ必ず、前もって告知されるだろう。
(ラルドやジャックさんは、挑みそうだな……)
ノゾムはどうだろう? 以前なら「絶対無理!!」と徹底拒否していたが、今は不思議とそこまで思わない。バトルに慣れてきたからかもしれない。
ちょっとくらいなら付き合ってもいいかなーと、そう考えられるくらいには、今のノゾムは余裕が出てきた。
***
長々とした道徳の授業を終えると、目の前に《【僧侶】に転職できるようになりました》という文が浮かんできた。
あとは役所で【僧侶】に転職すれば、僧侶のファーストスキル『神聖魔法』を取得することができる。
教会の外に出ると、花壇の縁に腰掛けたラルドが出迎えた。
「おかえりノゾム〜! どうだった?」
「めっっっちゃ長かった」
「だよなぁ。神様の教え、長すぎるよなぁ」
おかげで『プレイ時間』が終わりそうだ。
「オレはシプレに店を案内してもらってきたぜ。木材を加工する店とか、金属を加工する店とかもあってさ、切った木材とか採ってきた鉱石とかをそこに持っていくと、好きな形に加工してくれるんだって」
「へぇ、自分でやらなくてもいいんだ?」
「作業場を作れば自分で加工もできるようになるんだけど、プロに頼めば綺麗に作ってくれるし、失敗もないんだって。それとほら、シプレが言ってた、組み立てるだけで簡単に家が作れるキットってやつも買ってきた。いろんな種類があったぞ!」
こーんなに小さいのに細かいところまで作り込まれててすごいんだ、と手で大きさを表しながら楽しそうに語るラルド。
組み立てるだけなら自分にもできるだろうかと、ノゾムはちょっぴり考えたが、その小さな部品を組み立てようとして壊してしまう未来しか浮かばなかった。
「シプレさんは?」
「また飛行船が到着する時間だって、行っちゃったぞ」
初めてこの国に来たプレイヤーがいる時には、案内を。
それ以外の時間には採集地や各開拓地を見回りながら、困っているプレイヤーたちのサポートを。
自分のやるべき仕事をきっちりこなすシプレは、やっぱり他の王様とは大違いだ。