女王のイカサマⅡ
まだ『プレイ時間』は残っているはずなのに、リビングへ降りてきた弟が「助けて欲しい」と言った時、藤堂理央は寝転がっていたソファーから転げ落ちてしまった。
弟は1人で抱え込むタイプの人間だ。問題が起きた時は、必ずまず自力での解決を目指す。勉強でもゲームでもそうだ。横からアドバイスでもしようものなら、ものすごく睨まれる。
今だって、「助けて欲しい」という言葉が本心からのものではないことくらい分かる。それくらい、彼は苦渋に満ちた顔をしていた。
本当は自力で解決したいけど、それはどうやら難しい……。そう判断したからこそ、こうして渋々、嫌々、兄に助けを乞うているのだろう。
(オレは何をやらされるんだ?)
弟が助けを求めてくるなんて、よほどのことだ。
とりあえずソファーに座り直して、弟にも座るよう促して、事情を聞く。弟はどうやら、あの美しい女王陛下とポーカーで対決していたらしい。しかも、何故か賭けまでして。
巨大な迷路? とやらに強制的に入れられたノゾムを助けるためだったようだが、負けたら弟だけでなく、ラルドやナナミまで迷路に入れられてしまう。そして今まさに、弟は敗北の一歩手前だという。
理央は「ほえ〜」と間の抜けた声を漏らした。
「あの女王様、ただ者じゃなさそうだったもんなぁ。そんなにポーカーが強いのか……」
「いや、どうやらイカサマをしているみたいなんだが……」
「イカサマ」
「何をどうやっているのか、俺には全然見破れなくて……」
――え、じゃあそのイカサマをどうにかしなきゃ、オレだって負けちゃうんじゃないの?
理央は唖然と弟を見た。弟はめちゃくちゃ凹んでいた。
「俺だけが迷路に入れられるなら、良かったんだけど……ラルドとナナミを巻き込むわけにはいかない。頼むよ兄貴、俺の代わりに女王と対決してくれ」
「ええー? でも、女王様、イカサマ使うんだろ? オレが代わったところで……」
「俺よりはずっと勝算がある。兄貴はアホだけど、バカじゃないから」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる」
「褒めてるか〜」
あんまり褒められてる感じがしないんだけど、まあいいか。
「たとえ負けたとしても、兄貴が責任を感じる必要はない。悪いのは、バカなことをした俺なんだから……」
しょぼんと項垂れる弟。なんとなく頭を撫でてやると、払い落とされてしまった。昔はおとなしく撫でられてくれたのに。
まあ、とにかく。モンスターと戦わされるわけでもないし、ビックリはしたけれど、弟に頼られて嬉しくないわけもない。
迷惑ばかりかけているという自覚もあるので、少しくらいは役に立とうじゃないかと、理央は思った。
「オーケー、分かった。でもログインする前に、確認しときたいことがある」
「ああ、ルールのこととか?」
「それも聞いておきたいけどな」
同じドローポーカーでも、ジョーカーを使ったり使わなかったり、スートの序列の順番だったり、ゲームによってルールはまちまちだ。その確認ももちろんしておきたい。
けれどそれよりも、今一番問題なのは、『女王様のイカサマ』である。
それを見破らない限りは、勝算などあるはずもない。
「弟が引いたカードの種類、女王様が出したカードの種類。弟が覚えている範囲で、聞いてきました。そうしたら、どうも偏りがあるように感じられまして」
「あらまあ。それでわたくしが、カードを隠していると? 証拠はありますの?」
少しも崩れない女王の微笑み。小首をかしげて問いかけてくる彼女に、リオンは一拍間を置いて、「ないですねぇ」と笑った。
隣でラルドが「ないのかよ」と声を上げる。ナナミは心配そうだ。
リオンは手札を3枚交換する。ツーペアができた。次は女王が交換する番だ。女王は手元のカードを2枚出した。
ディーラーからカードを受け取る瞬間、
「手のひらを見せてください」
リオンが鋭く、女王に告げた。
カードに伸ばしていた女王の手が止まる。
「……こうかしら?」
女王は微笑みを携えたまま、伸ばした右手のひらをリオンに向けた。白魚のような手。長い指。そこには何もない。
「左手を」
「どうぞ?」
女王は続けて左手の手のひらを見せた。そこにも何もない。リオンは口元に手を当てて、考えるような仕草をした。
女王はフフッと笑う。
「言いがかりはよして欲しいですわぁ」
「そのまま両手を裏返してください」
「…………」
女王は笑顔のまま固まった。リオンはジッと、女王を見る。ラルドとナナミも同様だ。少しの沈黙のあと、トトが「陛下」と声をかけた。
女王を見下ろすトトの目は、咎めるようであった。
「…………」
女王は無言のまま、両手をくるりと翻す。左手の甲に、1枚のトランプが隠されていた。
「いやすげぇな!? マジシャンかよ!」
ラルドが思わずといった様子で声を上げる。確かに、まるで手品のタネ明かしのようだった。
その時リオンの目の前に、突然文字が浮かんできた。
――『マジシャン』に転職できるようになりました。
リオンはぱちくりと目をしばたかせた。
「マジシャンとは?」
「うふふ! 驚いたかしら? わたくしのイカサマを見破れた者だけが転職できるのよ。この条件を満たしたのは、あなたが初めてだわ!」
女王は、わざとらしいくらいに嬉々として叫ぶ。
『マジシャン』の文字はリオンにしか見えていないので、ラルドとナナミは「え、転職?」「どういうこと?」と目を白黒させていた。
「カジノでもいろいろな手を使ったのだけど、だぁれも見破ってくれなくて。残念でしたわぁ」
「よく言いますね。見破らせる気などなかったくせに。というか『学者』といい『ギャンブラー』といい、この国で取得できる職業は難易度が高すぎですよ」
「あらトト、簡単すぎてはつまらないでしょう?」
「あなたがつまらないんでしょう?」
そういうところですよ、とトトは辟易とした様子で言う。
なるほど。この『マジシャン』とやらはなかなかレアな職業らしい。どんなスキルが使えるのかは分からないけど、弟へのいい土産になった。
ラルドがキラキラした目を向けてくる。ナナミもまた、感心したような眼差しをリオンへ向けた。それらがちょっと、こそばゆい。
今まで本当に役立たずだったから、少しでも力になれたら嬉しい。けれど、まだ終わりではないのである。
「では、勝負の続きを……」
「その前に確認しておきたいのですが、女王様、まだカードを隠していませんか?」
「もちろん、もうないわよ」
「すみません、トトさんでしたっけ? デッキを確認してもいいですか?」
女王は再び固まった。トトは快諾して、手にしていたトランプの束をリオンに渡した。
結局、女王は5枚のカードを隠し持っていた。すぐにでも『ロイヤルストレートフラッシュ』が作れるカードである。まともに勝負する気は端からなかったということだ。思わず睨んでしまうと、女王はそれはそれは美しい笑みを返した。それで許されると思っているのか。リオンは許そうと思う。
***
ノゾムたちは迷路内を行ったり来たりした。一度行った場所が分かるように、ノゾムのワイヤーを活用する。ワイヤーはエレンたちにも見えるように設定した。
赤く光るワイヤーを見て、エレンが「まさか……」という顔をしたのには気付いたけど、ノゾムはもちろん無視する。
壁を叩いてみたり、壁の上のほうに通路がないかと確認してみたり、逆に下のほうに道があったりしないかとうつ伏せに探してみたりしたけれど、どこにも『先へ続く道』はない。
どうしたものかと、ノゾムたちは本当に困り果ててしまった。
「いっそ壁を壊してみるか?」
「最初に試してみたけど、ハンマーで殴ってもビクともしなかったよ〜」
さらりと言うピンクマリモにノゾムはびびる。壁を壊すのもダメ、ということは、やっぱりちゃんと出口があるはずだ。でも見つからない。
「……おい、あれ見ろよ!」
ふいにエレンが何かを指差して叫んだ。ついに扉が見つかったのか!? ノゾムたちは慌ててエレンの視線を追うが、そこに扉はなかった。しかし、代わりに、壁に何やら絵が描かれていた。
それは、長い体で円を描き、ぱくりと自分の尾をくわえた、奇妙な姿のヘビの絵だった。
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