黄の首都イヴォワール
真っ暗な海へ向かってせり出した鉄の橋。橋に横付けされているのは、チカチカと点滅する光を放つ、巨大な飛行船。
昼間ならきっと、海の向こうに緑の大陸が見えるはずなのだが……残念ながら、このゲームの中の『夜』はもう少しだけ続く。
「『ヴェール』行きの定期飛行船は、1人2000ゴールドです」
橋の手前にあるチケット売り場に行くと、スタッフさんからそんなことを言われた。なかなかの大金だ。ノゾムは困ったように眉を下げて、後ろにいるナナミたちを見た。
「足りねぇなあ。ナナミがカジノで無駄遣いするから……」
「ラルドには言われたくないんだけど。あんたノゾムにお金借りたんでしょ?」
「ちゃんと返すって」
「当たり前でしょーが!」
ケラケラ笑うラルドにツッコミを入れるナナミは、ほんの少しだけ調子を取り戻してきたようだ。
「ギャンブルは良くないぞ……」
2人の後ろで呆れた顔をするのは、リオンではない。リオンと同じアバターを使用しているが、中身は別の人間だ。
「オレにポーカーを教えてくれたのはお前の兄ちゃんだぞ、オリバー」
「オスカーだ」
ここ、ジョーヌの首都『イヴォワール』へ向かう途中でプレイ時間が終わってしまったのをきっかけに、リオンは弟のオスカーと交代した。
今日の塾は無事に終わったらしい。夜に復習する時間を取るので、それまでは気分転換も兼ねてゲームの時間だそうだ。
遊んでいる間に学んだことを忘れてしまわないのかとノゾムが尋ねたところ、「忘れたということは脳に定着していなかったということだろう」と返された。
「忘れてしまった部分は、再び学び直す。反対に、遊んでいたのに忘れていなかった部分はちゃんと脳に定着しているということだから、軽く流す程度に済ませる」
『勉強』というと、教科書や参考書をひたすら書き写すことだと思っていたノゾムは、目から鱗が落ちる気分だった。
どうやらオスカーは、とても効率の良い勉強法をしているらしい。ノゾムに真似できるかは分からないが、来年はノゾムも受験生なので、この方法を実践してみようと思った。
「とにかく、金か……。ノゾムは『解体』を習得したんだろう? だったら、モンスターを何体か倒せばすぐに船代くらい貯まるだろう」
リオンとオスカーが交代したので、ここまでは久しぶりにヒッポスベックに乗って来た。道中のモンスターは全スルー。そのため、もちろん一銭も稼いじゃいない。
「『解体』を発動させるには、スキルの保有者がトドメを刺す必要があるんですよ」
ジャスマンでは、ノゾムがトドメを刺しやすいようにジャックがコントロールしてくれていた。ジャックがいなくなった今、うまくトドメが刺せるのか、不安なところがある。
もちろんナナミの前で、そんなことが言えるわけがないが……。
「そうか。お前がトドメを刺しやすいようにモンスターの動きを止める必要があるということだな」
「グラシオの氷の息吹で十分でしょ」
「間違ってオレがトドメ刺しちまったら、ゴメンなノゾム」
「…………」
まあ、とりあえずやってみるか。
ノゾムは肩をすくませて、再び街の外へ向かおうとする3人のあとについて行った。
うまく出来なかったときは、また別の方法を考えたらいいだけだ。
「ところで職業熟練度がちっとも上がってないんだが……。兄貴は『踊り』や『しらべる』をちゃんと使っていたか?」
「めっちゃ逃げて、いいオトリになってくれてたぜ!」
「……あの野郎……」
「見つけたぜクソヤロウ!!」
褐色の何かが勢いよくノゾムの横を通り過ぎた。かと思いきや、その『何か』は地面を強く蹴り、勢いよく跳んだかと思うと――オスカーの背中に、見事なドロップキックを食らわせた。
浅黒い肌に、クセのある赤い髪。頭に巻いたターバン。見覚えのあるそれらに、ノゾムとラルドは「あ」と声を上げる。
「な、なんだいきなり! 誰だお前!?」
地面に思いっきりダイブしたオスカーは、自分の背中に乗る人物に当然ながら見覚えはない。
が、黄色い目を憎々しげに燃え上がらせる男を見て、嫌な予感が込み上げているようだ。
「誰、だぁ? 人の恋路をさんっざん邪魔しやがったくせに、記憶にねぇってか!? この軟派ヤロウが!!」
オスカーの黒曜石の目がこちらに向く。『兄貴絡みか?』口には出さずとも、オスカーの訊ねたいことは伝わってきた。
ノゾムはこくりと頷く。
オスカーは拳を地面に叩きつけた。
「あんのクソ兄貴!!!」
「あ、でも、この人がフラレたのは自業自得というか……」
「とりあえず殴らせろやテメェぇぇぇぇぇ!!」
泣きべそをかきながら本当にオスカーを殴ろうとするエレンを、ノゾムとラルドは慌てて取り押さえる。エレンのレベルはなかなか高いようで、力が強い。
ナナミは奇怪なものを見るような目でエレンを見ている。その気持ちは、よぉーく分かる。
オスカーは兄に対して呪詛を吐き続けているが、さっきも言ったけれど、エレンがフラレたのは、ほぼほぼ彼の自業自得だ。
「落ち着いてくださいよ! この人はあなたとババ抜きをした人じゃな……」
「ああああああああああああああっ!!」
「こいつ、人の話聞かねーな」
ラルドが呆れた様子で言う。まったくだ。周りの注目も集めてしまっているし、いったいどう収集をつけたらいいものか。
心底辟易していると、ふとエレンの喚き声が止まった。黄色い瞳をまん丸にして、何かを見ている。何を見ているのかと視線を追って、ノゾムは目を点にした。
エレンが見ているのは、あからさまにドン引きしているナナミである。
「…………???」
視線の意味が分からなくて、ノゾムはエレンとナナミを交互に見た。エレンの褐色の肌がどことなく赤く染まっているような気がする。
ノゾムはハッとした。
「お前っ! フレデリカさんはどうしたんだよ!?」
「はっ!? あああ当たり前だろオレは一途な男だぜ!」
「どこがだよ!?」
こんなにも簡単に心変わりするなんて最低だ。カジノでの暴挙も、今現在オスカーに対して行っている暴力も、フレデリカへの想いが暴走した結果だと思えばまだ納得できるのに。
非難の目を向けるノゾムに、エレンは「違う違う!」と首を横に振る。
「オレはただ、こいつの目にキュンとしてしまっただけで……!」
「何が『違う』のかさっぱり分からないんですけど……。ナナミさんの目って、……え?」
エレンを見るナナミの目は、とても冷ややかだ。ああいう目には見覚えがある。つい最近までリオンが向けられていたものと、同種のそれだ。
エレンはそんな冷ややかな目を向けられてキュンとしてしまったらしい。変態だろうか。ノゾムにはちっとも分からない世界である。
「まあ、それはそれ、これはこれ。テメェをぶん殴ることに変わりはねぇけどなぁ、軟派ヤロウ!!」
「本当に何なのこの人!? おまわりさーーーーん!!」
胸ぐらを掴まれてガクガクと揺さぶられているオスカーは、魂が抜けたような顔をしている。
残念ながらこの世界にお巡りさんはいないが、兵士の格好をした運営の人はいる。たまたま近くを巡回していたらしい兵士さんたちが駆け付けてくれて、無事にオスカーから引き剥がすことが出来た。
そのままエレンがどこへ連れていかれるのかは分からないけれど……出来ることなら、もう二度と会わないことを祈るばかりである。