シスカの誤算Ⅱ
転送陣を抜けた先にあるのは、ノゾムとラルドが購入した家の玄関だ。
外へ出ると、ルージュの首都カルディナルの郊外である。
首都とフィールドを隔てる壁が、よく見える。
「ナナミさんたちは!?」
「レッドリンクスのアジトだろ!」
「アジトってどこ!?」
「知らねぇ!」
「ギルド街のどこかじゃないかな?」
「「それだ!!」」
カルディナルの中は職人街や繁華街など、住民たちの目的ごとに区画が整理されている。ギルド街もそのひとつで、城のすぐ近くにあり、たくさんのギルドのアジトが立ち並ぶと聞く。
ノゾムたちは街へ向かって駆け出した。城があるのは北。ノゾムたちの家があるのは南。
広い街なので、結構な距離がある。
「ナナミさん、どうしちゃったんだろ?」
「分かんねぇ。ジャックに話したの、ヤバかったのかな?」
ラルドは余計なことをしてしまったのかと、心配しているようだ。
けれど、ナナミの抱える問題がギルド内の人間関係なら、ギルドのリーダーであるジャックならなんとか出来るんじゃないかと考えるのは、妥当なことだと思う。
あの兄妹がいったい何を抱えているのか、ノゾムは心底気になった。
***
「ナナミを追放しようとしている奴らを集めてくれ」
ジャックから告げられた言葉に、シスカはぽかんと口を開け、ややあって、苦虫をかみ潰したように顔を歪めた。
「ナナちゃん、告げ口しちゃったんだ?」
それはとても、残念なことだ。
ジャックはこんなでも一応、ギルドのリーダーだ。ナナミに不満を抱えているメンバーも、ジャックに言われたら、渋々ナナミを受け入れるかもしれない。
しかし、『渋々』だ。心から納得するのではない。必ず不満がさらに積もる。いつかどこかで爆発する。
だからこそシスカは、ナナミには自力で問題解決に当たってほしかった。オランジュで忠告したのだって、そのためだ。
ナナミがギルドのために何かをした実績があれば、シスカとてナナミの味方になれた。
『ほおら。ナナちゃんは人付き合いが下手だけど、ちゃんとギルドの役に立とうとしてくれているんだよ』なんて言って……。
ジャックがここでしゃしゃり出てしまったら、すべてが水の泡になってしまう。シスカはグッと表情を引き締めて、ジャックの顔を正面から見つめた。
「……ジャック。ナナちゃんのことが心配なのは分かるけど、今は我慢してほしい」
ジャックは器用に片眉を持ち上げた。
「どういう意味だ?」と言わんばかりに。
「今ここでジャックが割って入ったら、ギルド内の軋轢が酷くなっちゃうよ」
「そういうことか。不満があるなら出て行ってもらえばいいだけだろ」
「追放するってこと?」
「そうは言ってない」
残りたければ残れ。不満があるなら出ていけ。来る者を拒む気はないけれど、去る者を追いかけるつもりもない。いかにもジャックらしい言葉だ。
シスカは大きなため息をついた。
「それでほとんどのメンバーがいなくなっちゃったら、どうするの?」
「その時はその時だ」
「あのねぇ……」
この男は、今までのシスカの苦労を何だと思っているのだ。
今まで、何のために、『愚痴聞き係』をこなしてきたと――。
「そもそも、このギルドはナナミのために立ち上げたものだ」
「は……?」
「アイツは、帰る場所がないと、いつまでもふらふらするからな。ゲームの中でくらい帰る場所を作っておかないと」
それはどういう意味なのか。
シスカにはさっぱり分からない。
けれどもそれを聞いた瞬間、シスカの中で何かがプツッと音を立てて千切れた。
「文句があるのならシスカ、お前も――」
「待ってジャック!!」
「――――上等だよシスコン野郎ッ!!!」
飛び込んできたナナミに構わず、シスカは腹の底から叫んだ。
眉間にしわを寄せるジャック。真っ青な顔をするナナミ。それらをまるっと無視して、シスカは踵を返す。
「もう無理。もうやってらんない。ボクは抜けさせてもらう」
「シスカ、」
「不満があれば出ていけばいい、そうだよね?」
「……ああ」
硬い表情でジャックは頷く。部屋の外へ向かって歩き出すシスカを、本当に止める気がないようだ。シスカは唇を噛み締めた。
ナナミが開きっぱなしにしている扉の先では、ギルドのメンバーが何人か様子をうかがっている。さっきまでこの部屋にいた、盾役の男もいる。あいつらも全員連れて行ってしまおうか。
これからこのギルドがどうなろうが、もうどうでもいい。知ったことではない。
「待って……っ! 待ってシスカ!」
止めようとしない兄の代わりに、シスカの前に立ったのはナナミだった。
真っ青な顔で、小柄な体を震わせて、縋るような目を向けてくるナナミに、シスカはわずかに眉尻を下げる。
「ダメよ、シスカが出ていくなんて、そんなの絶対にダメ」
「……ナナちゃん」
「お願い、シスカ。抜けるなんて言わないで。ジャックも止めてよ。そもそも私のせいなんだし……」
確かに、ナナミがもっと積極的にギルドに馴染もうとしていたら、こうはならなかった。だがきっと、事はそう単純なことではないのだろう。
シスカは目を細める。ナナミは、どうにかシスカを留め置こうと必死だ。
『レッドリンクス』にはシスカが必要だと、そう思ってくれている。
ナナミは決して、ギルドのことを「どうでもいい」と思っているのではない。そう気付いた瞬間、シスカはナナミを抱きしめていた。
「し、シスカ……?」
「……ごめんねぇ、ナナちゃん。ボク、今までナナちゃんのこと誤解していたみたい」
『ナナミがジャックに依存している』のだと思っていた。
ギルドに興味がなさそうなのに籍を置いているのは、兄と離れるのが嫌だからだろう、と。
ひとりでダンジョンに潜るのも、兄に構ってもらうため、心配して追いかけてきてくれるのを期待しているからだろうと。
ジャックが毎回迎えに行くのは、そんな妹のことを気にかけてのことだろうと。
しかし、実際はきっと逆なのだ。
シスカはナナミを抱きしめながら小声で告げた。
「悪いことは言わないから、こいつとは距離を取りなさい」
息を呑む音がする。エメラルドのような瞳が、頼りなさげに揺れていた。
「……じゃあね」
シスカはそう告げて、ナナミを解放して去っていく。
真っ直ぐ伸びたその背中を、ナナミはただ黙って見つめることしか出来なかった。