砂漠のカジノⅤ
割れるグラス。こぼれるドリンク。倒れた椅子に、散乱したトランプ。
そして怖い顔をした男に胸ぐらを掴まれている、リオン。
(何あれ、何があったの!? 何があったの!?)
パッと見ただけでも分かるくらいただ事ではなさそうな様子に、ノゾムはダラダラと冷や汗を掻く。
男は2人組だ。リオンの胸ぐらを掴んでいる怖い顔の男の後ろには、暗い目をした男がいる。2人に睨まれたリオンは涙目だ。何があった。さっきまで女の子たちと遊んでいたじゃないか!
その女の子2人はといえば、カウンターの脇に寄って険しい表情を浮かべている。カウンターの奥には、困った顔をしたバーテンダーさん。
――無関係な人を巻き込むんじゃないよ本当にいったい何があったんだよ!!
「ラルド……」
「悪い。今、目が離せねぇ」
視線は台の上に固定したまま、申し訳なさそうにラルドは返す。その目の前には、対峙する2人がいる。
『バカラ』というゲームは、カジノの他のゲームとは違って、参加者が直接ゲームに手を出すことは出来ない。
『バンカー』と『プレイヤー』という2人の対戦の「どちらが勝つか」を予想して賭けるというゲームだ。
『バカラ』は決着がつくのがとても速いのだが、ちょうど今、再び対戦が始まったところ。だからこそラルドは目が離せないでいる。
それならばとナナミたちがいる方へ目を向けてみれば、ナナミとジャックはリオンの危機に気付いている様子もなく、ひたすらにスロットを回していた。
「悪いけど、ノゾムが様子を見に行ってくんねぇ?」
「えええっ!?」
「これが終わったら、オレもすぐ行くから……」
絶対いやだ。あんな厄介そうな場所へ自らおもむくなんて、よっぽどのお人好しか、よっぽどの馬鹿だろう。
ノゾムは狼狽したが、リオンの胸ぐらを掴む男が拳を振り上げたのを見て、思わず駆け出した。
ノゾムはどうやら馬鹿だったらしい。
「ちょちょちょちょ、ちょっと待ってください!!」
「ああ!?」
なんとか男が拳を振り下ろす前に間に合った。怖い目が今度はノゾムのほうへ向く。ノゾムはびくりと身を跳ねさせた。
「ノゾムくんっ!」
パァッと表情を明るくさせるリオンは、とりあえず後で一発殴らせてほしい。
「なんだテメェ? こいつの仲間か!?」
「う……まあ、そう、ですね?」
「なんでそこ疑問系なの!?」
ガーンとショックを受けるリオンのことは、ひとまず無視する。
今は事態を鎮静させるのが先だ。
「あの、何があったのかは分かりませんけど、お店の迷惑になることは、やめたほうが……いいんじゃないかと……」
男の怖い目がさらに鋭く尖っていくのを見て、ノゾムの言葉はどんどん尻すぼみしていった。ヘタレというなかれ。だってこの人、怖いんだよ。
クセのある赤い髪に、ターバンを巻いた、色黒の男。瞳の色は黄色だ。背はそこまで高くはないが(170くらいかな?)露出した腕の筋肉がムキムキですごい。強そうである。
色黒の男の後ろにいるのは、男とは反対に病的なほど白い肌にひょろりとした身体。クセのない長めの金髪に、ピンと尖った耳が見える。暗い目だと思ったのは、瞳の色が暗い緑色だったからだ。苔の色……モスグリーンというものだろうか。
「こいつがオレの女に手を出したんだよ!」
「うぅ、痴情のもつれ……!」
リオンがナンパした女の子……2人のうちのどちらかは分からないが、どちらかがこの男の恋人だったらしい。
――ゲームの中での恋愛って有りなのかな?
ノゾムにはそれさえ分からないのだけれど、恋人に言い寄る男がいたら、確かに良い気分にはならないだろう。
ここはさっさとリオンが謝るべきだ。そう思ってリオンを見ると、彼は涙目のまま首を横に振っていた。
なんだあれ。
何を訴えているんだ?
「いい加減にしてよ、エレン! 誰が誰の女だって!?」
カウンターの脇に寄って険しい表情を浮かべていた女の子たちのうちの1人……紺色の髪をポニーテールにした女の子が、まなじりをつり上げて叫ぶ。
エレンと呼ばれたターバンの男は、ぎくりと肩を揺らした。
「それは、その……フレデリカ、お、お前が、」
「今すぐその手を離しなさい! あたし、すぐに暴力をふるう男って、大っ嫌い!!」
「…………ッ!!」
ガーンとショックを受けるターバンの男。ノゾムは目を白黒させた。
(どういうこと……?)
リオンがナンパした女の子は、この男の恋人ではないということか?
それなら、恋人がいる相手をナンパしたわけではないということで。つまり、リオンは冤罪? だからさっきから首を振っている?
だけど男が怒っている理由は、彼女をナンパされたからということに間違いはなさそうだ。
いくつもの疑問符を浮かべるノゾムに答えをくれたのは、エレンの後ろにいる、暗い目をした男だった。
「つまり、エレンの片想い」
「ああ、なるほど」
「ぶっ殺すぞテメェら!!」
なるほど納得、と頷くノゾムにエレンはリオンを投げつけてきた。もう一度言おう。リオンを投げつけてきた。
頭をごっつんことぶつけ合ったノゾムとリオンは、2人そろって床の上に転がった。
「ちょっと、エレン!!」
「うるせぇうるせぇ! どいつもこいつもうるせぇ!!」
お前が一番うるさい、というツッコミは、しないほうがいいだろうか。痛覚はオフになっているので痛みはないものの、人に向かって人を投げつけるなんて、お前はヴィルヘルムかと言いたい。
エレンは続けて後ろにいる男に拳を振るうが、男はそれをひょいと避けて、怒った顔をしている女の子たちのほうへ向かった。
ポニーテールの子の隣にいる、おかっぱ頭の茶髪の女の子の肩に気安く手を回す。
「ちなみに僕は正真正銘、彼女の恋人。大丈夫だったかい、リディア? 変なことはされてない?」
「ただお話をして、一緒にトランプで遊んでいただけよ。リアーフも少しはエレンを諌めてよ」
「ごめん。でも、君が他の男に笑顔を見せているのが、悔しくって」
「もう、リアーフったら……」
リディアと呼ばれた女の子はぷっくりと頬を膨らませる。でも、どことなく嬉しそうだ。周囲にはピンクの花が舞っているように見える。
エレンは発狂した。
「テメェら全員、ぶち殺してやる!!」
――なんでそうなる。
彼の意中の彼女は「暴力をふるう男は嫌いだ」とハッキリ明言したというのに、逆効果になるとは考えないのか。
それとも、考えることも出来ないくらいに、頭に血が上っているのか。
リオンは尻もちをついて「ひええええ」と喚いている。
ポニーテールの女の子が「やめなさい!」と叫ぶが、エレンは聞く耳を持っちゃいない。
エレンの拳は赤く輝いて、何かのスキルを発動させようとしていることは明白だ。
ノゾムは眉間にしわをつくり、弓に手を伸ばした。
「あらあら、物騒ですこと」
場違いにゆったりとした口調が、場に割って入る。その声を聞いてノゾムの手はピタリと止まった。
バーカウンターの横にある『関係者以外立入禁止』の扉が開いている。そこに立っているのは、豪奢なマスクで顔を半分隠した、白いドレスの女性――ミエルだった。
「イカサマ女……!」
エレンが犬歯をむき出しに叫ぶ。ホール中がざわりとした。
まとわりつく、決して好意的とは言えない視線の数々に、ミエルはほんちょっとだけ口をヘの字に曲げて、それをふさふさの羽根つき扇子で覆い隠した。
「失礼ですこと。わたくし、イカサマなどしておりませんわ」
「よく言うぜ。イカサマを咎められて、オーナーに連れて行かれたんじゃないのか?」
「彼はわたくしの知己ですの。少しばかり、お話をしただけですわ」
ツーンとそっぽを向くミエル。姿がなくなったからてっきり帰ったのかと思っていたが、どうやらカジノのオーナーに呼び出されていただけらしい。
ミエルは「そんなことよりも」と、スキルを使用しようとしているエレンを見た。
「ここはカジノでしてよ。勝負をなさりたいのであれば、暴力ではなく、ゲームをしなさい」
「ああ!?」
「それともあなたは、暴力でしか物事を解決できないお馬鹿さんなのかしら。そんなお馬鹿さんに好意を寄せるお嬢さんが、果たしていらっしゃるかしら」
この人はいつから話を聞いていたんだろう。エレンがポニーテールの女の子に好意を寄せていることも、彼女に嫌われていることも、把握しているようだ。
エレンは「うぐぅ」と胸を押さえて呻く。ミエルの言葉は、エレンの心にちゃんと刺さったようだった。
リオンは相変わらずガタガタ震えているが、暴力をふるわれるのではないなら、たぶん大丈夫だろう。
ゲームって、何をするのか分からないけど。
ミエルは床に散らばったトランプを集めて、綺麗に整えた。テーブルの上で一度シャッフルして、再び揃える。
「カジノといえば、やはりアレですわよね。『ポーカー』」
ポーカー。詳しいルールは知らないが、確か、トランプの数字や絵柄を揃えて『役』をつくるゲームだ。『ロイヤルストレートフラッシュ』というのが、一番強い役だったはず。
ミエルはエレン、リオン、ポニーテールの女の子、そしてノゾムを丸テーブルに座らせると、4人にカードを配り始めた。
「ん……?」
「なんで、あたしも?」
エレンとリオンの勝負ではないのか。なんで自分たちまで、と困惑するノゾムと女の子に、ミエルは答えてくれない。
「カジノですもの。やはり、何か賭けなければね」
マスクに隠れていない口元がにんまりと愉悦に歪む。出た。親父にそっくりの笑い方。
嫌な予感がヒシヒシとする。顔を引きつらせるノゾムに気付いているのかいないのか、ミエルは笑顔を浮かべたまま、爆弾を投下した。
「最下位の人は牢に入れましょう。ええ、それがいいわ」
「「「えええええっ!!?」」」