やっぱり彼は底抜けのアホです
「普通に嫌なんだけど」
ナナミは、実に予想通りの反応を見せてくれた。
あまりに予想通りだったので、ノゾムは思わず「デスヨネー」と返してしまった。
「というかなんで、私に何の説明もなく話が進んでるわけ?」
「だってお前、弓矢作りに没頭してて、また周りが見えなくなってたじゃん。俺たちが目の前を横切ったことにも気付かなかっただろ」
唇を尖らせて不満を口にするナナミに、ジャックは淡々と反論する。見事な正論だ。ナナミは「うぐぅ」と言葉を詰まらせた。
オスカー兄はそんなナナミを見ると、そっと目尻の涙を拭って、静かに踵を返した。そのままどこかへ行こうとする彼に、ノゾムは慌てて声をかける。
「どこに行くんですか!?」
「『女神に断られたら潔く諦めろ』と、弟に言われているから……」
「サスケと再会できただけで満足さ」と、とてもじゃないが満足には見えない顔をして、オスカー兄はトボトボと歩いていく。
ナナミはそんなオスカー兄を、気色の悪いものを見るような目で見た。やめたげて。その目、たぶん精神的に、すごくくる。
「ちょっ、ナナミ! 考え直せ! 彼を仲間にしておけば、彼の弟の知恵をいつでも借りられるんだぞ!?」
「私はジャックみたいに、損得だけじゃ動かないから」
キッパリと言い放つナナミに、ジャックはガーンとショックを受ける。
「俺だって、損得だけで動いているわけじゃ……」とジャックは言い訳するが、だいたいジャックは損得や利害を考えて行動しているように見える。
「なあナナミ、オレたち、オリバーの世話になったじゃん」
続いて口を開いたのはラルドだ。ナナミは「む」と唇を尖らせて、ラルドを見た。
「オリバーがいなかったら、オレたちここまで辿り着けてないぜ? そのオリバーが、この兄貴のことを放っておけねぇって、頼んできてるんだぞ」
「むぅ……」
損得で動かないなら、義理人情で説得しようということだろうか。そしてラルドのその作戦は、手応えがありそうだ。
ナナミは悩ましげに細い眉を寄せている。
「ノゾムはどう思っているの?」
難しい顔をしたまま、ナナミはノゾムに投げかけた。ノゾムは困ったように眉尻を下げる。
「俺は、ナナミさんが本気で嫌がるなら反対するって、オスカーさんにも言ってるよ。……ただ、」
ちらりとオスカー兄を見る。
トボトボと中庭を後にするオスカー兄は、どうやら本当に諦めているようだった。
正直、もっとごねるかと思っていた。
「ナナミに断られたら諦めろ」という弟の言葉を、彼があんなにも律儀に聞いているなんて、ちょっと意外だった。
オスカー兄はこちらを振り返りもせずに、城の中へ消えて行こうとしている。
まあ何にせよ、
「ナナミさんが決めたらいいと思うよ」
「……あ〜〜〜〜っ」
ナナミは両手で顔を覆って、空を仰いだ。
「とっっっっっっっても! とっても不本意だけど、アイツには借りもあるのよね!」
「借りって?」
「ペーシュで変なやつに絡まれたときに、助けてくれたのよ」
ペーシュというと、オスカー兄とサスケが出会った、オランジュにあるからくり屋敷のある村だ。
ノゾムとラルドがからくり屋敷に向かっている間、ナナミはロウと共に村の入口に残り、弓矢作りをしていた。
弓矢作りに没頭していたナナミは、そこでまた周りのことが見えなくなり、気がつくと何故か腹を立てている男が目の前にいたのだそうだ。
「それを、あの人が助けてくれたの?」
「そう。その場でログアウトして、弟くんを呼んできてくれたの」
「それじゃあ、実際に助けたのは、オスカーさん?」
「まあ」
オスカー兄は、弟を呼びに行っただけ。けれどもそのおかげで、ナナミはあっさりと窮地を脱した。
オスカーが男に話をつけてくれたのだ。
「オスカーは気にしなくていいって言ってくれたし、それどころか私がアイツに付きまとわれてるって知って、『それじゃあ俺がログインしている間に逃げろ』って言ってくれたの」
「……それであの時、やたらと急いでたわけか」
なるほどなー、と頷くラルド。
ノゾムは何とも言い難い気分になった。
それが事実なら、オスカー兄はせっかく助けた相手に感謝の言葉ももらえずに、逃げられたということだ。もちろん原因は、オスカー兄がストーカーをしていたせいなのだけど……ちょっと可哀想。
「じゃあさ、ナナミ、その恩を返すためだと思って!」
ジャックは再び説得する。「う〜〜〜」と唸り声を上げるナナミは、まだまだ葛藤中だ。
「ていうか、アイツいなくなってるぞ!」
「あ、そう? じゃあこのまま、サヨナラってことで……」
「ナナミ!」
「あーもう、分かったわよ!!」
ナナミはついに観念した。
「ただし、私の半径5メートル以内には近付けないでよ!!」
じゃないとグラシオに凍らせてもらうんだから、と叫ぶナナミを見て、ノゾムは「やっぱりあの人可哀想」と思った。
まさかストーカーに同情してしまう日が来るとは……人生というのは分からないものである。
***
「え……オレを仲間にしてくれるの?」
大広間で捕まえたオスカー兄に話をすると、オスカー兄は黒曜石の瞳を揺らして、ノゾムたちを見回した。
ナナミは一番後ろで、グラシオの背にしがみついたまま、オスカー兄の姿を見ないようにしている。
「まあ、そうなんだが、ちょっと条件付きっていうか、何ていうか」
「……」
歯切れの悪いジャックと、ムスッとしたナナミの顔を交互に見て、オスカー兄は何かを察したらしい。
仏のような顔をして、こう言った。
「女神が無理をする必要があるなら、オレは行けないよ……。弟との約束を破ることになってしまう……」
「いや律儀か!」
言動のアホさ加減に隠れてしまっているが、実はこの人、悪い人ではないのかもしれない。
「別に無理なんかしてないって。ただちょっと、ナナミとは距離を取ってもらえれば……」
「言われなくても畏れ多くて、女神には近付けないさ……」
「うーん……コイツはそんな高尚な奴じゃないんだがなぁ」
オスカー兄は、なんだかおかしなふうにナナミのことを崇拝しているようだ。
兄としてナナミの本性を知っているジャックは、どうしてもそこが気になってしまうらしい。
ただ確かにナナミの見た目だけは、女神や天使と称されても仕方ないとノゾムは思う。それくらいナナミの見た目は完璧だ。
オスカー兄は意外にも意固地である。こっちを説得するのも大変なんじゃないかなと、ノゾムは思ったのだが、
「ごちゃごちゃうるさいわね。ついて来たければ、ついて来たらいいでしょ!」
「はい! どこまでもお供します!」
ナナミに一喝されたオスカー兄はあっさりと陥落した。崇拝するにも程がある。
ジャックは口元を引きつらせながら、そんなオスカー兄を見た。
「なんかコイツ、姫プレイに引っかかりそうだな」
「姫プレイ?」
「可愛い女の子には気をつけろってことだ」
真顔で告げるジャックにノゾムは首をかしげた。
よく分からないが、あまり良くない言葉のようだ。ひめぷれい、なんて、可愛らしい語感なのに。
ちなみにオスカー兄は、実際に姫プレイをしているプレイヤーに貢いでいた過去がある。
そのプレイヤーは、見た目はとても可愛い女の子だったのだが、リアルではいい歳をしたオジサンだった。
オスカー兄にどでかいトラウマを植えつけた男である。