弟に恵まれているようです
夢から覚めるように、意識が浮上する。
ゆっくりとまぶたを持ち上げてみれば、見慣れた天井が視界いっぱいに入ってきた。
頭のヘルメットを外して、上体を起こし、強張った体を入念に伸ばす。
毎度毎度、本当に夢でも見ていたかのようだ。夢にしてはあまりにリアルすぎる世界だけど、どこか現実感がないような、不思議な気分になる。
(いったいどういう仕組みなんだろうな、このヘルメット)
実は本当に夢だったのではないだろうか。
あの世界で出会った人たちは自分の夢が生み出した存在で、現実には存在しないのではないか。
藤堂駿はそんなことを考えて、思わず苦笑した。
(夢だとしたら、都合が良すぎる)
――あの兄の、面倒を見てくれるなんて。
(彼らの申し出は有り難いが、やはり押しつけることは出来ないな。まあ兄貴はすぐに落ち込むけど、復活するのも早い。どうせ今ごろは、平然とした顔で女の子と連絡を取っているに決まっている)
何ならこのクソ暑い中、ナンパに出掛けているかもしれない。
兄なら有り得る。
心配することなんて何もないと、心の中で呟いて、駿は自室を後にした。
「……って、まだ挟まってるうううううううううううっ!!?」
リビングへ入った駿は思わず叫んだ。
兄は、未だにソファーとソファーの間に埋まっていた。
「ああ……駿か……。ゲームをしていたんじゃなかったのか……?」
「プレイ時間が終わったんだよ! ていうか、ずっと挟まっていたのか? もしかして、抜け出せなくなっているのか!?」
「バカ言え、自分から入ったのに、そんなことがあるわけ……」
兄は「ふんぬ! ふん!」と声を上げながら、ソファーから抜け出そうとする。
が、しばらく待っても、まったく抜け出せる様子はない。
兄はちょっとだけ沈黙して、泣きそうな目で駿を見上げた。
「たすけて……」
「本当にアホだなお前!!」
駿は悪態をつきつつ、兄がソファーから出るのを手伝った。
「体中が痛いよぉ」と兄は泣き言を漏らすが、長時間あんな格好でいれば、そりゃあ痛くもなるだろう。
兄のあまりのアホさ加減に、駿は頭が痛くなった。
兄はソファーに身を投げ出して、大きなため息を吐く。
落ち込みは継続中のようだ。マジか。いい加減、立ち直ってもよくないか?
駿は眉間にしわを寄せた。
「兄貴……。事情は兄貴の仲間だった人に聞いたよ。でもさ、仲間と別れるなんていつものことじゃないか。いつまでも落ち込んでるなよ」
“オスカー”はソロプレイヤーだが、いつもソロだったわけじゃない。チームを組んでいたことも何度かある。
この兄が、ソロプレイを嫌がったからだ。
しかしせっかくチームを組んでも、オスカーはことごとくそのチームを追放されている。
その原因も兄だ。まったく、毎回尻拭いをする弟の身にもなってほしい。
「……今回は、いつもと違うもん」
兄はソファーに顔をうずめながら、子供のような口調で反論した。
「今までは、モンスターから逃げたりしたら、みんな怒ったけど。サスケたちは、笑って許してくれたもん」
「あの少年、サスケっていうのか……」
ナルトじゃないのか、と駿は少年の青い瞳を思い出しながらどうでもいいことを思う。
兄の行動を笑って許してくれるなんて、なんと懐の深い少年だろう。
「なのに……たった30分しか、行動を共に出来なかったんだぞ! こっちはまだ朝だっていうのに、向こうは深夜なんだって! 眠いんだって!」
「…………」
スペインと日本の時差は、確か7時間だったっけ。東京が午前7時のときに、バルセロナでは日付が変わる。
「こっちが夕方なら遊べるんじゃないか?」
サスケくんは今夏休み中だと言っていた。兄も同様だ。
1日中ずっと遊ぶのは難しいかもしれないが、夕方から夜までの間なら、普通に遊べるのではなかろうか。
日本時間が午後5時のとき、バルセロナでは午前10時だ。
「その頃には、他のメンバーが深夜を迎えている……」
「……本当にバラバラの国の人間がチームを組んでいたんだな」
まさに多国籍チーム。
いろいろな国からログインできるゲームだけど、そういうチームが出来ることもあるのか。
時差を考慮すれば、確かに一緒に遊ぶ時間は限られる。
「あんな気の良い連中とは、きっともう二度と会えない……ぐすっ……」
「そんなことないだろ。探せばきっと……兄貴のアホな行動を笑って許してくれる人がいるさ」
「気休めはよしてくれ!」
わんわん泣きじゃくる兄。本当に大学生か?
駿は心底から面倒に思った。
(兄貴のアホな行動……ジャックやラルドなら笑って許してくれそうだが……。でもだからって、コレを押しつけるのは……)
駿の中では、兄はすでに『コレ』扱いになっている。
(だが放置しておくと何をしでかすか分からないし……。彼らには悪いが、手綱を握っていてもらうと、助かるのも事実)
駿の中では、兄は獣扱いである。
(覚悟を決めるしか……ないか)
駿はキュッと表情を引き締めた。
「兄貴。兄貴を仲間にしてもいいと言っている奴らがいるんだ」
「へっ?」
「兄貴がストーカーをしていた女の子を覚えているか? 黄色の髪の、綺麗な顔をした……」
「女神!! え、まさか、女神がオレを!? そんな奇跡が!?」
「早とちりするな。それから『女神』はやめろ。恥ずかしい。仲間にしてもいいと言っているのは、彼女の仲間たちだ。まだ彼女に許可は取っていない」
ナナミが許可をしてくれるとは限らない。というか、ほぼ確実に、彼女は拒絶するだろう。
それでも、万が一ということもある。
「彼女が嫌がったら、潔く諦めること。それさえ守るなら、俺は兄貴を応援するよ」
「駿……!! お前はなんていい弟なんだ!」
すっかり感動した様子で、弟の手をがっしりと握る兄。
喜ぶのはまだ早いだろ……と、駿は乾いた笑い声を上げた。
(すまない、ナナミ。コイツが鬱陶しかったら、グラシオをけしかけて構わないから)
駿は心の中で土下座する。彼は結局、この兄を放っておくことなど出来ないのだった。