今の自分に出来ること
このゲームの戦闘は、リアルだ。
血が出なかったり、切断面が黒くなっていたり、倒されたモンスターが青白い光になって消えたり、現実ではありえないこともたくさんある。
だけど攻撃が当たった箇所によって与えられるダメージが変わったり、急所を突くことで即死させることができたり。リアルな戦闘システムになっている。
胸を貫かれたラルドはピクリとも動かない。急所を突かれて即死するのは、モンスターだけではないらしい。
巨大な水晶蜘蛛は8つの目でノゾムを見下ろした。ガラスのような目に、茫然としたノゾムの顔が映る。ラルドを一撃で殺した脚が、ゆっくりと持ち上げられた。ノゾムはそれを、ただ見ていることしかできなかった。
「ああ、もう!」
ナナミがノゾムの腕を引く。水晶蜘蛛の脚は、ノゾムの頭があった場所を通過した。地面にグサリと刺さるその脚を見て、ノゾムは全身の血が引いていくのを感じた。
「『エスケープ』!」
ナナミが叫んだ瞬間、目の前から水晶蜘蛛の姿が消えた。背景も一変する。ノゾムたちがいたのは階段のそばだったはずなのに、なぜか今目の前にあるのは、巨大な扉だ。
「え? え?」
混乱するノゾムの腕を掴んだまま、ナナミはその扉をくぐり抜けた。扉の向こう側では、獲物を見失った水晶蜘蛛がキョロキョロと周囲を見回している。
ナナミは扉の陰に身を隠した。ノゾムも混乱しつつも、それに倣う。
「え? 今のは?」
「【盗賊】のセカンドスキル『エスケープ』よ」
「セカンドスキル」
各職業は、熟練度を上げることで新しいスキルを覚える。
そういえばさっきも言っていた。【狩人】のセカンドスキル『罠作成』を覚えれば、やれることはもっと増えると。
【盗賊】のセカンドスキル『エスケープ』は戦闘を離脱するスキルらしい。
「敵の背後に一瞬で移動できるの。敵はこちらの姿を見失ってくれる。でも、触れた相手しか連れて行けないのよ。ラルドを置いてきちゃった……」
「ラルドはこれから、どうなるの?」
「蘇生薬をかければ復活できるわ。でも、戦闘不能になってから時間が経つと、『死に戻り』してしまう」
『死に戻る』場所は、最後に訪れた町や村の教会だ。ラルドの場合、クルヴェットの教会に飛んでいくだろう。
ノゾムは蘇生薬を持っていないが、ナナミが持っている。
「だけど……」
ナナミは難しそうな顔して、扉の向こうを見た。ノゾムもそちらを見る。ラルドのそばには、あの水晶蜘蛛がいた。
あいつをどうにかしなければ、ラルドに蘇生薬はかけられない。
ノゾムは水晶蜘蛛の鋭い脚を思い出して震えた。
「あいつは、何?」
「……フロアボスの、クリスタル・タランチュラよ。このダンジョンには10階ごとにボスがいるの」
さっきまでノゾムたちは地下5階にいたはずだ。あの落とし穴でショートカットしてきたのだろう。全然嬉しくないけど。
「ナナミさん、倒せる?」
「前に来たときは、仲間と協力して倒したわ」
つまり、1人では無理だと。
「ラルドが死に戻りするのは諦めるしかなさそうね」
「そんな……」
「私たち2人じゃどうしようもないわよ。ラルドが死に戻ったら、『アリアドネの糸』で脱出しましょう」
「『アリアドネの糸』はラルドが持ってるけど」
「…………」
ナナミは盛大に顔を引き攣らせた。
「……それじゃあ、自力で戻らないといけないじゃない」
「そうなるね」
そしてラルドがいないので、2人そろって死に戻りする可能性が高い。
ナナミは頭を抱えた。「結局死に戻りするのね……」と呟いている。ノゾムは眉尻を下げて、扉の向こうを覗いた。
ラルドは相変わらず、ぴくりともしない。
分かってる。あれは本当に死んだわけじゃない。というかゲームの中なのだから、本当に死ぬわけがない。
だけど――
「……あのさ、ナナミさん」
あのまま見捨てるのは違う。
それだけは、ノゾムは確かに思った。
***
静かに息を吐く。隣ではナナミが、いつでも走り出せるよう準備をしている。
作戦はシンプルだ。遠距離攻撃ができるノゾムが、離れたところから水晶蜘蛛を攻撃して、その注意を引く。その間にナナミがラルドのもとへ駆け寄り、蘇生薬をかける。
……大丈夫。出来る。
倒すことが目的ではないのだから。
わずかに開いた扉の隙間から矢を向ける。しっかりと引いて、放つ。矢は水晶蜘蛛の背に向かってまっすぐに飛んだ。
背中の水晶に当たった矢は、あっけなく弾かれて地面に落ちる。ダメージはないようだ。しかし、水晶蜘蛛はこちらを向いた。
「ナナミさん、頼んだ!」
ノゾムは扉を開けて走り出す。走りながら、矢を放った。変なところに飛んでいった。走りながら射つのは無理があった。
ナナミもまた扉をくぐる。ノゾムとは逆方向へ走り出した。【盗賊】を最初に選んだだけあって、とても速い。まっすぐにラルドのもとへ向かう。
水晶蜘蛛はナナミにもすぐに気付いたが、ノゾムを狙うことにしたらしい。当たらずともヘロヘロの矢を次々に放ってくるノゾムが、鬱陶しかったのだろう。
迫ってくる水晶蜘蛛の姿に、足が震える。
(……こわい)
正直に言うと、めちゃくちゃ怖い。今すぐにでも回れ右をして逃げたい気分だ。
ゲームの中とはいえ、水晶蜘蛛はとんでもなく大きくて、脚は鋭いし、口から見える牙も凶悪だ。作り物であると理解できても、その見た目は十分に恐怖を与える。
(でも、ラルドにはたくさん助けてもらった)
借りは返す。当たり前のことだ。
ノゾムは恐怖に負けそうな心を叱咤し、背中の矢筒に手を伸ばした。
その手は空を掴む。
「んんん??」
――このゲームにおいて、最も不遇な武器といえば間違いなく弓だろう。
練習しなければまっすぐに飛ばない。狙い通りに飛んだとしても、動くモンスターにはなかなか当たらない。
そして何より――『矢』が消耗品だ。
「嘘だろ!?」
ここへ来て、まさかの矢が尽きた。辺りを見渡せば、先程まで射っていた矢が地面に転がっている。折れて使い物にならなくなったものもあるが、使えそうなものもある。
早く回収しなくちゃ――いや、その前に蜘蛛から逃げないと――慌てるノゾムは足をもつらせて、転けた。
「ノゾム!!」
ナナミの声が聞こえる。水晶蜘蛛が鋭い脚を持ち上げた。頭を貫かれる――と思った、その時だった。
「『ブースト』ォォォォ!!!」
聞き覚えのある声が響く。次いで聞こえたのは、水晶が砕ける音。異形の者の呻く声。
ノゾムは目を見開いた。ナナミも口を開けて固まっている。その手には、まだ使われていない蘇生薬。ナナミはまだそれをかけていなかった。なのに、巨大な剣で水晶蜘蛛の脚を砕いたのは間違いなく。
「ら、ラルド……?」
戦闘不能になっていたはずの、ラルドだった。
「大丈夫かノゾム!?」
「え、いや、……は?」
ノゾムの頭の中は疑問符で埋め尽くされた。
「ラルド……なんで生きて……あれ……?」
「フッ。オレは不死身の男、ラルド・ネイ・ヴォルクテット」
「真面目に答えようか?」
無意味に片手で目を覆いカッコつけるラルドに、ノゾムは真顔で言う。
ノゾムと同じようにポカンとラルドを見ていたナナミは、ややあって呆れた顔をした。
「あんた……『身代わり人形』を持っていたのね」
ノゾムはハッとした。そうだ。たしかにラルドはそれを手に入れていた。『アリアドネの糸』と共に、入っていた。
持ち主の戦闘不能を肩代わりしてくれる、木製の人形だ。
思い出したノゾムは思わずラルドに詰め寄る。
「なんですぐに起きてこなかったんだよ!?」
「いやー、この蜘蛛がすぐそばにいたからさー。起きるに起きられなかったっていうか……」
「めちゃくちゃ心配したんだぞ!?」
「おうよ。ありがとな」
ノゾムが注意を引いてくれて助かったぜ、とラルドはニカッと笑った。ノゾムは何も言えずに、ただ口を開閉させるしかなかった。
脚を1本失った水晶蜘蛛は、8つの目でラルドを睨む。ラルドは笑みを崩さない。大剣を構えて、やる気まんまんといったところだ。
ノゾムは急いで地面に落ちた矢を回収した。折れた矢もあって、3本しか拾えなかった。
「ちょっとあんた! 復活したんなら『アリアドネの糸』で脱出しましょうよ!」
「いやいやいや。こんな明らかな強敵、挑まないわけにはいかないだろ」
「無理よ! 回復役も盾役もいないのに!」
なんとか説得しようと試みるナナミだが、ラルドは言うことを聞かない。
ノゾムとしてはナナミに大賛成だが、モンスターの群れに嬉々として飛び込んでいくラルドを知っているので、止めても無駄だろうなと思った。
「ノゾム、援護は任せたぜ!」
「……矢が3本しかないんだけど」
「じゃあ3本で片付けよう!」
「ムチャクチャだぁ……」
「……ああもう!」
ナナミは前髪をクシャリと掻き上げて、短剣を構えた。
「おっ、手を貸してくれるのか?」
「『アリアドネの糸』を持ってるのはあんただけなんだから、仕方ないでしょ!?」
本当だよ。
プンスカと頬を膨らませるナナミを見て、ノゾムは深く頷いた。