迷宮図書館Ⅴ
世界は白いキャンバスだった。
海もなく、大地もなく、太陽もなく。
彩るものが何もない、キャンバスだった。
幼い神様は、その味気ないキャンバスに色を付けることにした。
情熱の赤。
まばゆい黄。
静かな青。
色が生まれた世界は、とてもにぎやかになった。
楽しくなった幼い神様は、さらにその原初の3色を混ぜてみることにした。
赤と黄からは陽気な橙が生まれ、
黄と青からは癒やしの緑が生まれ、
青と赤からは神秘の紫が生まれた。
世界は鮮やかで素晴らしいものになった。
幼い神様は、さらに思いついた。
「そうだ、すべての色を混ぜてみよう。きっとどの色よりも美しく、素晴らしい色ができるはずだ」
そうして生まれたのが、黒。
何物にも染まらぬ、黒。
赤も橙も、黄も緑も、青も紫も、すべてが黒に塗りつぶされた。
悲しくなった神様は、真っ黒なキャンバスを捨てて、新しいキャンバスを用意した。
そして――……
***
ノゾムはそっと本を閉じた。眉間にはしわが寄り、苦いものを口にしたような顔をしている。
その手には、1冊の古ぼけた本。表紙には『アルカンシエルの成り立ち』というタイトルが書かれてある。
このゲームのオリジナルの神話――いわゆる創世記だ。
「俺、ゲームの神話って本当に苦手なんだよね。ワケが分からなくてさ」
「クゥン?」
ロウはノゾムを見上げ、小首をかしげた。ノゾムはそんなロウの顔を優しく撫でた。
ワケが分からない、というなら、現実世界の神話も似たようなものである。どれもこれも、ツッコミどころが満載だ。
ただそれでも、ノゾムはゲームのオリジナルの神話というものが、それ以上に理解できなかった。ゲーム嫌いなノゾムの脳が、理解を拒んでいるのかもしれない。
世界がキャンバスって、何だよ。
「ここにあるのは全部、オリジナルの本みたいだね」
創世記を棚に戻して、ノゾムは改めて本棚に並ぶタイトルを眺める。
モンスターの生息地、各地で採れる薬草や毒草の見分け方、簡単な武器や道具の作り方など、ゲームを遊ぶ上で役立ちそうなものがとても多い。
こんな隠し部屋みたいなところじゃなくて、もっと人目に付きそうなところに置いておけばいいのに。そうすれば、きっとたくさんの人の役に立つだろう。
「魔法に関する本もあるけど……『グリモワール』じゃなさそうだ」
これがグリモワールなら、見つけた時点で《【学者】に転職できるようになりました》というテロップが出てくるはず。出てこないということは、この魔法の本は、ただの本ということになる。
ぱらりとめくってみると、どうやら魔法を系統別にまとめたもののようだ。
【魔道士】が扱う魔法以外にも、【僧侶】が使う『神聖魔法』や『特殊神聖魔法』、精霊と契約を結ぶことで使える『精霊術』、死霊を召喚し思いのままに操る『死霊術』など、その種類はさまざまだ。
「魔法がかかったものを見分ける方法……。魔法にかかったものは、淡い光を放っている。光の中では、光を見ることは出来ない。ゆえに魔法がかかっているかを判別するためには……」
何の役に立つのか分からない知識を吸収しては、本を閉じて、別の本を開く。
片っ端から開いては閉じを繰り返し、すべての本をざっくりと流し読みして、やがてノゾムは「さて」と、ようやく現実を見ることにした。
「出口を探さないとね」
「アン!」
ノゾムは迷子の真っ只中なのだ。たとえ本を読んで現実逃避をしてみたところで、その事実が消えるわけではなかった。
そんなことはもちろん最初から分かっていたけれど、ちょっとだけ現実から目を背けたかったのである。
ノゾムは重たい腰を上げて、読み散らかした本を元に戻して、部屋に唯一ある扉に手をかけた。……その時だった。
「「「キャハハハハハハハッ!!」」」
どこからともなく子供、それも複数人の声が聞こえてきたかと思ったら、通気口から勢いよく3つの黄色い頭が飛び込んできた。
同じ色の髪、目の形。同じ顔立ちに、同じ服装の3人は、一目で三つ子だと分かる風貌をしている。
華麗に床に着地した3人は、ワクワクした様子で自分たちが出てきた通気口を見上げ――長い長い沈黙ののちに、不満そうに唇を尖らせる。
「もう追いかけてこないのかなー?」
「「ねー」」
「つまんないねー」
「「ねー」」
ここにもヒントがあるのにねーと、ぶつくさ言う三つ子たち。
ノゾムはまばたきを繰り返しながら、顔を突き合わせる三つ子たちを眺めた。
そのうちのひとりと目が合う。トパーズのような色の瞳が、ノゾムを映すとキラキラと輝いた。
「お兄さんも探してるの?!」
「……何を?」
「グリモワール!!」
ノゾムは再び、ぱちくりと目をしばたかせる。
ノゾムを見つめる三つ子たちの目は、好奇心と――何故か悪戯心に満ちているようだった。
ノゾムは困ったように眉尻を下げて、かぶりを振った。
「俺は探してないよ」
「えええー? それじゃあ、なんでここにいるの?」
「なんでって、そりゃあ……ちょっと迷っちゃって」
「“ちょっと迷っちゃって”?」
三つ子たちは顔を見合わせた。
「こんなとこ、ふつう、迷って来るかな?」
「入口はぜんぶ、隠されてるのに」
「簡単には見つからないはずなのに」
この地下通路への入口は、塔の最上階に飾られた絵画の後ろ、大広間の左側の前から3番目の像の下、厩のエサ箱の下など、人が偶然迷って入ってしまわないような場所にある。
大広間の像なんて、体当たりでもしなければ絶対に動かないようになっているのに。
「えっと、その、本に夢中になっていたら、像にぶつかっちゃってね……穴に落ちて……」
「「「…………」」」
三つ子は「なんてこった」と思った。
偶然入れないはずの場所に、偶然入ってしまう人がいるなんて。
これは早急に対応が必要だ。
とりあえずは、像の下の通路を塞いでしまおうか。
「運がいいんだか、悪いんだか……。あのねお兄さん、ここにあるのは『ヒント』なんだよ」
「ヒント?」
「“自らの意思で探求する者のみが見ることのできるヒント”」
うっかり見たらダメなんだよ、と三つ子は困った顔をして告げる。
うっかり全部の本を見てしまったノゾムは、申し訳なく思った。
「とりあえず、ボクたちが出口まで案内してあげる」
「え、いいの?」
「うん。迷子を案内するのも、ボクたちの役目だもの」
以前も、ペーシュのからくり屋敷で同じことを言われた。
この三つ子たちは、どうやらあの忍者と同じ立場を持つようだ。運営の人間だろうか。
「君たちは、何?」
「秘書だよ!」
「司書だよ!」
「執事だよ!」
「……ヒツジ?」
なんだかよく分からないが、ここから出られるなら何でもいい。
三つ子たちが「もふもふだ〜」と言いながらロウを抱きしめる姿を見ながら、ノゾムは楽観的に思った。