敗北者たち
バトルアリーナからほど近い場所にある、青い屋根の大きな教会。
「蘇生料は3000ゴールドになります。……と言いたいところですが、バトルアリーナからは多額の寄付を頂いておりますので、大会参加者の皆さんの蘇生料は無料となっております」
ベッドがたくさん並んだ広い部屋の前で、しゃあしゃあと告げるのは、この教会に務める神官だ。どの町の教会もそうだが、聖職者のくせにがめつい人が多い。
この部屋にはバトルアリーナで敗北したプレイヤーたちが集まる。個人戦では多くて7人だが、チーム戦の後には何十人もやって来るので、まるで野戦病院の一室のようだ。
「あの野郎、ぶち殺してやる!」
「わああ! バジルさん落ち着いて!」
「そうよ。面倒くさいわね」
目を覚まして早々に暴れるのはバジルだ。ネルケとローゼが2人がかりで押さえている。バジルなら簡単に2人を投げ飛ばせるだろうに、そうしないのは2人が女子だからだろうか。
粗暴なバジルの意外な一面である。
「なんっでいきなりヴィルヘルムの近くから始まるんだよ……ほんっと最悪……」
暴れるバジルの隣のベッドでウジウジしているのは、見たことがあるようなないような、痩せぎすの男だ。
ここにいるのはバトルアリーナの参加者と、その関係者だけのはず。ベッドを使っているということは、敗北した参加者だろう。
ジェイドは「誰だっけ」と首をひねって考えて、思い出した。
彼は今回の試合でヴィルヘルムに最初に倒された男だ。戦闘不能になった後に頭を踏まれ、蹴られ、散々な目に遭っていた。
名前は知らない。
「あのぉ……アル、アルベルトさんはいないんですか? 長い黒髪に、赤い目をした人なんですけど……」
ふいにそんな声が聞こえてくる。見れば、困惑したように眉尻を下げたミーナが神官に尋ねていた。
「黒髪、ですか?」
首をかしげる神官に、心当たりはないようだ。
それはそうだろう。
「アイツは犯罪者なんだろ? だったら、教会へは飛ばされずに、監獄に戻っているはずだ」
「え、そうなんですか?」
神官に代わって答えたジェイドに、ミーナは目を丸くさせる。
ジェイドは頷き、面倒くさそうにベッドに寝転んだまま続けた。
「面会は出来るはずだから、行ってみれば? バトルアリーナのスタッフにでも聞けば分かるだろ」
「……そうなんですね。分かりました」
ミーナは礼を言って去っていく。入れ替わるようにやって来たのはセドラーシュだ。
セドラーシュは暴れるバジルを見て呆れた顔をした。
「予想はしてたけど……。バジル、ヴィルヘルムはもう犯罪者じゃなくなったから、今殺したらお前のほうが犯罪者になってしまうよ?」
「知るかァ!」
セドラーシュの忠告をバジルは一蹴する。どうしてもヴィルヘルムにやり返さなければ、気が済まないようだ。
「セド、アイツの弱点は見つかったの?」
「そうだねぇ。『物理より魔法が効く』ってことくらいかな」
セドラーシュはバジルたちから少し離れたところに座って、ローゼの質問に答えた。わざわざ離れたのは、バジルの癇癪に巻き込まれたくないからだろう。
バジルは盛大に眉を寄せた。
「そいつは無理だ。オレは魔法が使えん」
「そうだね。それに魔法を育てていたとしても、当てるタイミングを考えないと『聖盾』で防がれる」
「あの野郎『聖盾』まで持ってやがんのか!?」
バジルは驚愕の表情で叫んだ。バジルはヴィルヘルムが『聖盾』を使う前にやられてしまったので、奴がそれを使うところを見ていないのだ。
ただでさえ防御力が高いのに、物理・魔法を完全に防ぐ盾を持っていること。それがヴィルヘルムの厄介なところの1つだ。
「そう。そして【騎士】のスキルを持っているということは、必然的に【僧侶】と【槍使い】のスキルも持っていることになる。
アイツは魔法防御力は低いみたいだから『キュア』の回復量は大したものじゃないだろうけど、状態異常はすぐ回復されてしまうし、槍の扱いは相当のものだったよ」
「槍? アイツ素手で戦ってたじゃねぇか」
「最後に使ってたんだよ」
誰もが驚いた顔をしているのを見て「してやったり」とばかりに笑っていたよと、セドラーシュは肩をすくめて言う。
バジルは額に青筋を浮かせた。ジェイドもその時のことを思い出して、めちゃくちゃ腹が立った。
「エーシューくん」
場の空気に似合わぬ気の抜けた声が聞こえてくる。ジャックだ。ジェイドの隣のベッドにいたはずのジャックは、馴れ馴れしい態度で、例の横槍少年の肩に腕を回していた。
横槍少年ことエシュは、そんなジャックにおっかなびっくり固まっている。
「ななな、なんだよぉ? ぼ、ボクは、あやあや、謝らにゃいぞ!?」
自分がしたことは不正ではない。怒られる道理はないのだと、エシュは震えた声で主張する。
「そそそそ、それに、キミが盗られた薬のせいで、アイツが全回復して、たたた大変だったんだから……っ!」
瀕死の状態のときに、回復量の多いアイテムを使うのは当然だろう。
ヴィルヘルムに奪われたのは確かに痛かったが、ジャックが責められることではないとジェイドは思う。
「そうだったのか? それはすまなかったな」
けれどもジャックは素直に謝った。まさか謝ってもらえるとは思ってもいなかったのか、エシュは大きな目を丸くさせて、ぱちぱちと瞬きをする。
ジャックはそんなエシュを見てにっこりと笑った。
「それに、お前を怒るつもりもない。解説のショタじじいが言ってただろう? あれは俺の油断が原因だ。お前が悪いわけじゃない。むしろ、お前のことは凄い奴だって思ってるんだぜ!」
「す、すごい、だって……?」
困惑した顔でジャックの言葉を繰り返すエシュ。ジャックは「そうさ」と頷いた。
「息を殺して、ずっとタイミングを窺ってたんだろ? 俺たちがヴィルヘルムと戦っている間も、ずっと。そしてまさに、あの攻撃は絶妙のタイミングだった! 本当にすげぇよ!」
目をキラキラさせてエシュを褒め称えるジャック。ジェイドはそんなジャックを胡乱な目で見た。なんか裏がありそうだと思ったからだ。
「……そうだね。あそこで手を止めずに、ジャックもろとも追撃していれば、君の勝ちだったろうにねぇ」
「セドラーシュくん。ちょっと黙っていてくれるかな?」
嫌味っぽく言うセドラーシュを、ジャックはピシャリと咎める。
エシュは目を見開いたまま、瞳を揺らした。
「ボクの、勝ちだった……?」
『収縮』からの『アイシクル』で、ジャックたち2人を同時に瀕死に追いやったあの時。あの時にもし、魔法で追撃をかけていたら。
“もしも”の話なんて言い出すとキリがないけれど、確かにエシュは、ヴィルヘルムから勝利をもぎ取っていた可能性がある。
「ああ。お前の勝ちだった!」
ジャックは力強く肯定した。あれは間違いなくエシュの勝ちであったと。
「いや、事実として負けているじゃないか。それに、もう同じ手は通じないと思うし」
「セドラーシュくーん」
だ、ま、れ、と。にこやかな顔でセドラーシュを睨みながら、ジャックは口パクで言った。
幸いなことに、エシュには今のセドラーシュの言葉は聞こえていなかったようだ。
「ボクの勝ち……。そっかぁ……」
幼い顔がへにゃんと緩まる。これを好機と見たジャックは、一気に畳み掛けた。
「そうさ、お前の勝ちだ! 凄い奴だよ、お前は!」
「い、いやぁ、そんなに褒めないでくれよ、照れるじゃないか〜!」
「そんなそんな」と言いつつ体をくねくねさせて、締まりのない顔を見せるエシュは、たぶん褒められるのに慣れていない。
それをあえて煽るジャック。太鼓持ちに徹して、ひたすらにエシュを、褒める、褒める。
本当に何を考えているのやら。
「ところで、エシュくんに聞きたいことがあるんだけど」
さんざんエシュを褒めちぎったあとで、ジャックはそう切り出した。ググイッとエシュに顔を近付けて、猛禽のように目を光らせる。
「エシュくんが使っていた『収縮』――【学者】のスキルだっけ? どこで手に入れたんだ?」
(それかーーーーっ!!)
ジェイドはベッドからころがり落ちそうになった。
魔法の範囲を極端に狭め、威力を爆発的に上げるスキル、『収縮』。実況者たちいわく、とてもレアだというそれ。
ジャックがやたらとエシュを持ち上げていた理由は、どうやらその入手方法を聞き出すためだったらしい。
(いやいや、無理だろ! 教えてくれるわけねぇだろ!)
何しろジャックとエシュは『ヴィルヘルムに勝つ』という目的の上でライバル関係にあるのだ。
「あの無敗の王者に最初に黒星を付けるのは俺だ」という気持ちは、きっとここにいる誰もが持っているに違いない。
ライバルを強くしたいと思う人間が、いるわけがない。
「あ、図書館迷宮だよ」
エシュはあっさり吐いた。ジェイドは今度こそベッドからころがり落ちた。
褒められて気を良くしているのか、エシュはニコニコ笑っている。
「図書館迷宮……って、ジョーヌにある?」
「そう。遺跡の中に作られた、巨大な図書館! 世界中の本が集められていて――あ、世界中っていうのは、現実世界のことね。――その蔵書量は何十億とも、何百億とも言われてるんだ」
巨大な遺跡の中には隠し通路や隠し部屋がいくつも存在し、その中にもたくさんの本が保管されている。海外の本であっても、自動的に自国の言葉に翻訳されて読むことが可能。
読書家にはたまらない施設だろう。
「図書館の中に、『グリモワール』っていう魔導書が隠されていて、見つけ出せた者だけが【学者】に転職できるようになるんだ」
「へぇ……。木を隠すなら森の中、本を隠すなら図書館の中……ってことか」
巨大な図書館の中でたった1冊の本を見つけ出すことが、どれだけ大変か。しかもグリモワールは、誰かが発見すると、保管場所がランダムに変更されてしまうらしい。ダンジョンの宝箱と同じように。
なるほど、レアな職業なわけだ。
「凄いなエシュくん」
ジャックが真顔で言った。今までと違い、本心からの言葉だと分かる。
「え? いやいや、たまたま運が良かっただけだよぉ〜」
えへへへと顔を緩ませる彼が、本当にただのラッキーボーイなのか、それとも謙遜から言っているのかは分からない。
ジャックは口元に手を当てて黙り込む。それを見て、ジェイドは(そうだよな)と思った。
(負けたからって、終わりじゃねぇもんな)
ヴィルヘルムはきっとまた戻ってくる。これまでもそうだった。あいつが何の問題も起こさずに、平和にプレイを楽しむわけがない。
ならば、それまでに強くなるまで。
レベルはカンストしてしまっているから、あとは強力なスキルを身につける以外に方法はない。