罠かもしれないけどスイッチは押す
つくづく思う。
彼はノゾムと、正反対であると。
『悪魔の口』という名のダンジョンへ向かう途中。クルヴェットの森の中にて。
出来得る限り戦闘を避けたいノゾムとは対照的に、ラルドはとにかくモンスターに突撃しまくっていた。
狼の群れがあれば飛び込み、ハチミツを持ったクマを見つければ飛びつき、飛びかかってくる猿がいれば覚えたばかりだというスキル『精神統一』からの魔法を試したり。
サッカーボールくらいの大きさの火球が猿を襲うのを見て、ノゾムは目を丸めた。
「これが魔法……。あれ? ラルドって【魔道士】なの?」
それにしては、手にしている武器は大きな剣だけど。
「メインは【戦士】だぞ。でも一応、初期職業には一通り転職してて、ファーストスキルは習得済みなんだ」
「転職……? あ、そういえば職業はあとで変えることができるって言ってたな」
天使の言葉を思い出しつつノゾムは言う。ラルドは、ノゾムが『転職』を知らなかったことに驚いていた。
「一度でも転職すれば、ファーストスキルは手に入るんだよ。『ブースト』とか便利だし、ノゾムも覚えておいたほうがいいぜ?」
「へぇ〜。うん、まあ、そのうちね」
父親に会ったあとはゲームを辞める気でいるノゾムは、曖昧に言った。
ちなみに転職できる職業は条件を満たすと増えていく。それも天使が言っていた気がする。先ほどラルドが使った『精神統一』も、【釣り人】という職業のスキルらしい。
「魔法の威力を一時的に上げるスキルなんだ。たしかに少しは上がった気がするけど……本職の【魔道士】には敵わねぇな。ま、魔法に弱いモンスターになら効くだろ」
「モンスターに弱点ってあるんだ?」
「そりゃあな」
炎に弱いモンスター。斬撃に弱いモンスター。剣での攻撃には強いけど、ハンマーとかで殴られるのには弱いモンスターなどなど。いろいろなモンスターがいるらしい。
「自分の武器がどういう特徴を持ってんのかってのも、ちゃんと把握しておいたほうがいいぜ。ノゾムの弓は『刺突系』だな。攻撃範囲が狭いけど、その代わり攻撃力が高い」
「当たれば大きいってことだね。当たらないけど」
「当たらなくても攻撃しろよ。戦闘行為をしなきゃ経験値が入らないぜ?」
弓の練習にもならねぇしさ、とラルドは言う。
まったくもってその通りだ。
「ほら、また出たぜ! ひゃっはー!!」
「あ、ラルド!」
発見した猿の群れに飛び込んでいくラルド。猿たちはすぐに迫りくるラルドに気付き、飛びかかってきた。
まずは横に一閃。2匹まとめて斬り伏せる。
くるりと身をひるがえし、背後に迫っていたもう1匹も倒す。
「オレはセンスの塊だから〜」と言っていただけある。ラルドの戦闘センスは、素人目に見ても高いと言わざるをえない。
「ほら、ノゾム!」
呼ばれたノゾムは仕方なく弓を構えた。放った矢は1週間前のように明後日の方角へ飛んでいくことはなかったけど、猿には当たらなかった。
「おらよ!」
最後の1匹をラルドが斬る。
モンスターたちは青白い光となって消えた。
戦闘を無事に終えたラルドはいつものように片手で目を覆い、フッと笑う。
「またつまらぬものを斬ってしまった」
それ、いちいち言わなきゃ気が済まないのかな? 疑問が口をついて出そうになったけど、ノゾムは寸でのところで呑み込んだ。
こんなに気持ちが良さそうなんだ。
そっとしておくのが人情というものだろう。
***
『はじまりの国ルージュ』の中央平原を西に向かうと、海に出る。陸と海との間に白浜は存在せず、ただ波が打ち付ける断崖がどこまでも続いているだけだ。
巨大地下ダンジョン『悪魔の口』は、その断崖の中腹にある。
一歩足を踏み外せば海へ真っ逆さま。そんな無駄に細い道を降りていった先に、ダンジョンの入口がある。
ぱっくりと開いた穴は上下にギザギザの岩が連なっていて、なるほどまさに、巨大な悪魔が口を開けているみたいだ。
ノゾムはごくりと唾を飲み込む。ラルドは平然と中へ入っていった。こいつに恐怖心は存在しないのか。
ダンジョンの入口は長い階段になっていた。海のそばだからか、なんだかジメジメしている。壁には青く光る謎の水晶が生えているけど、それでも薄暗い。2人の足音だけが、辺りに響く。
階段を下りきったところには、広い空間が広がっていた。
「おおー。みんな、やってるなー!」
そこにはたくさんのプレイヤーがいた。ざっと見た限りでも50人以上はいるだろうか。それぞれがモンスターと戦ったり、採集をしたりしている。
天井が高くて、とにかく広いので、人がたくさんいても狭くは感じない。
この真上には平原があるはずだけど、いったいどういう造りをしているのだろう。ゲームの中なのだから、深く考える必要はないだろうけど。
「さてノゾム、ここからどうやって父ちゃんを捜す?」
「プレイヤー検索機能を使う」
レイナのお店で、オスカーという青年に教わった方法だ。ノゾムはさっそくリングを操作して、レーダーを出した。表れた円い板には、たくさんの光る点と名前が表示された。
真ん中のひときわ大きな青い点がノゾムだ。隣には『ラルド・ネイ・ヴォルクテット』の名前もある。
「えーっと、Ko-ichi、Ko-ichi……」
「これだけ人がいると、捜すのも大変だな」
ラルドは苦笑して肩をすくめた。
ノゾムは捜し人を見逃してしまわないように板を注視しながら、少しずつ進んでいく。
ダンジョンの地下1階は入口にめちゃくちゃ広い空間が広がっているほかは、ほぼ一本道だ。道に迷う心配はない。
階段を下りて地下2階に向かう。ここからは少し道が複雑になって、罠があちこちに点在するようになった。
落とし穴はもちろんのこと、大きな岩が転がってきたり。
出現するモンスターはラルドが倒してくれた。
レーダーを注視しながらの索敵は困難なので、ラルドがついて来てくれて良かった――と、
……そう思っていたのだが。
「ちょっと待って! 今、何を押した!?」
ノゾムの叫びにラルドは「ん?」と振り返る。その右手は壁の窪みに触れていた。
次の瞬間、頭上から降り注ぐ槍の雨。
慌てて避けようとしたけど、そのうちの1本がノゾムの腕をかすめる。痛覚をオフにしているので痛みはないが、HPが10も減ってしまった。
「おお、すっげー」
「すっげーじゃないよ! なんでそんなあからさまなスイッチを押すんだよ!?」
明らかに怪しいスイッチである。ノゾムなら絶対に触らない。
ラルドはキョトンとした。
「スイッチはとりあえず押してみるのが常識だろ?」
「……そうか、どうやら俺とお前の常識は食い違っているみたいだな……」
「宝箱が降ってくるかもしれないし」
「そんなバカな……って、言っているそばからまた押す!」
今度は何が起こるのかと、ノゾムは身を強張らせた。
ピロリロリーンという間の抜けた音が鳴る。天井から降ってきたのは、木と鉄で作られた箱。上部に丸みのあるそれは、どう見ても宝箱である。
「嘘だろ……」
「ほらな! オレの言ったとおり!」
ラルドは得意げに胸を張った。警戒のけの字もなく宝箱を開ける。おいおい、中にモンスターがいたらどうするんだ。
そんなノゾムの心配をよそに、宝箱に入っていたのは木を削って作ったのだろう人形が5体と、クリーム色の布袋だった。
「なにこれ?」
「これは『身代わり人形』だな。戦闘不能になった時に一度だけ肩代わりしてくれるアイテムだ。こっちの袋は……」
袋の中にはキラキラ輝く糸が入っていた。ラルドは糸を見つめて「うーん」と唸る。ラルドも知らないアイテムらしい。
「こういう場合は、一旦アイテムボックスに入れて、と」
糸が入った袋を左腕のリングに近付けると、袋はリングの中に吸い込まれていった。
吸い込まれたアイテムはメニューの『アイテム』から取り出すことができる。アイテムのリストからは、そのアイテムの説明を読むことが可能だ。
「『アリアドネの糸』……脱出用のアイテムだな。これを使うとダンジョンの入口まで一瞬で移動できるんだって」
「へぇ、便利」
ラルドはドヤ顔でノゾムを見た。ノゾムは眉を寄せた。
認めたくはないが、認めざるを得ないだろう。
目についたスイッチは、とりあえず押すべきだ、と。
「でもやっぱり、罠にかかるのは……」
カチリ。
ノゾムが動かした足が何かを踏んだ。足元の地面がパカッと開く。ノゾムの体は真っ逆さま。
――お前はいちいち罠に引っかかるねぇ。
記憶の中で親父が笑った。
「嘘だろォォォォ!!?」