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奇策張郃

作者: 厠 達三

参考書籍

人間三国志  林田 慎之助 氏 著

孔明北伐考  練り消し 氏 著

爆笑三国志  光栄出版部

僕達の好きな三国志 宝島出版

 曹操麾下に、華も実もある五将あり。先鋒楽進、常勝于禁、武人張遼、逃げ徐晃。最後に得たるは奇策張郃。

 そのような囃し歌が魏国では謳われた。これは曹操軍に加わった順番であり、将の特性を謳ったものでもあった。


 年齢には多少、幅のある五人ではあるが、奇しくも最後に加わった張郃儁乂は年長の部類に入る。

 至弱と言われた曹操が天下取りの足掛かりとした官渡の戦い。その戦いの戦局もほぼ定まった頃、仇敵とも言える袁紹軍から投降してきたのが張郃であった。そんな経緯があったものだから五将に限らず、曹操軍ではそれなりに肩身の狭い思いもした。


 官渡の戦いでは後に筆頭格に挙げられる武人張遼と対陣して渡り合った。その名のとおり、自ら前線に立ち、軍を鼓舞する実戦型の将。その一騎当千の武力には苦戦を強いられたものの、まだ若さもあり、張郃とて決して後れは取らなかった。このときのしたたかな用兵が曹操の目を惹いたらしいことを張郃自身は後に知った。


 しかし戦いは結局、大軍を擁しながら袁紹のまさかの敗北に終わった。この一戦が時代の分水嶺と言っても過言ではない。もちろん、張郃も前線を張る将の一角として最善は尽くした。が、現場の声が届かぬ袁紹軍陣営にあってはその戦略眼も意味を成さない。いや、張郃自身、どこかそうなるような予感があった。


 それは参謀、田豊が的確な献策を常々行いながらも、それがほとんど容れられなかった現実を目にしてきたからであり、張郃自身、同じ思いをしたのも一度や二度ではない。

 そしてついに官渡での敗北。事、ここに至って張郃が袁紹を見限るに何のためらいもない。なるべくしてなったようなものだ、と。


 しかし大局が見えてからの投降はいかにも印象が悪い。何より張郃自身、そういう身の振り方が一番気に食わない。それでも現実は時として人に最も不本意な選択を強いる。

 斬首も覚悟しての投降ではあったが、「予の韓信である」と、曹操は張郃を絶賛し、帷幕に加えた。


 袁紹配下として曹操軍では忌み嫌われていた投降の将への気遣いの意味もあったのだろうが、曹操は人材獲得を素直に喜んだと言った方が正しいかもしれない。これを意気に感じない張郃でもなかったが、若干、嫌な気分も混じっていた。


「韓信の股くぐり」の故事でも有名な名将だが、主君、劉邦が天下を取った後、その名将をどうしたのか。知らぬ者はない。

 曹操がそこまで考えていたかは分からない。しかし張郃は、遠回しにそんな意を含まれたような気がした。自分は警戒されているのではないのか? と。


 曹操軍に加わった張郃は早くもその手腕を発揮。官渡の戦いでの逆転勝利の勢いに乗り、袁紹勢力を順調に駆逐。官渡での一戦で手痛い敗北を喫したとはいえ、袁紹軍にはまだまだ戦う余力はあった。が、張郃という名将が降ったことにより、曹操軍に帰順する軍閥が多かった。加えて袁紹の無理な徴発により、河北一帯に厭戦感が広がっていたのも拍車をかけた。

 古代中国の戦いは詰まるところ、民がその帰趨を握る。いかに広大な領地を得ようと、領主が民に見限られればオセロゲームのように残酷にひっくり返る。張郃はその事実を熟知していたが、袁紹やその息子たちは認識してさえいないようだった。

 歴史の流れは確実に曹操に傾いた。いや、曹操自らが掴み取ったと言えた。


 その後も張郃は北方遠征戦でも活躍。騎馬民族の有力氏族を次々平定。千変張郃、奇策張郃などと呼ばれ始めたのもその頃である。正直、張郃は苦笑を禁じ得なかった。

 というのも張郃自身は正攻法を得意とする、自分でさえ面白みのない用兵家を自負している。戦いに奇策も妙手も必要ない。ただ、確実に勝てる兵力、物資を用意し、負けの要素を極限まで排除し、勝つべくして勝つ。それが張郃の用兵なのである。

 戦場での一番乗りにこだわる楽進や、個人の武力にしか興味のない張遼などは最も唾棄すべき例である。将軍としては尊敬するが、戦争に個人的な感情など持ち込むものではない。それが張郃なのである。


 しかし、現実となれば話は別になる。いくら曹操に絶賛されようが投降の将という現実は変わらない。しかも齢はいっていても新参者である。河北平定戦、北方遠征では副将として限られた兵力しか動かせない。そんな状況にあって結果を出すためとあらば奇策も妙手も使う。それもまた張郃という人物なのである。


 この頃から張郃は自身にある、意外な才能に気付き始めた。正攻法を尊ぶあまり、その崩し方もまた心得ていた。曹操軍という発展途上の勢力、そして特定の状況下で、正攻法で戦えない局面での勝ち方を着実に掴み、地道に武勲を重ねていった。

 ただあまりに地道だったので、他の将より若干、存在感は薄かったが、その薄さも将の才覚のひとつと、張郃はさほど気にしなかった。

 勝利を鼻にかける張郃でもない。というのも、袁紹軍で頭角を顕す者はとかく潰される傾向があった。手柄をいくら挙げようが、騒がず目立たず。それが張郃が袁紹軍で得た処世術であり、それは曹操軍でも一貫していた。

 が、所詮奇策は奇策。こんな際どい勝利を積み上げていればいつか身を滅ぼすな、という、妙な予感が常に張郃につきまとった。


 やがて時代は移り変わり、曹操の敵には劉備玄徳が台頭してきた。かつて袁紹のもとに逃げ込んできたあの劉備である。張郃は運命の不思議を感じずにはいられない。


 この頃には張郃もいい加減うんざりしていた。自分は正攻法で勝ちに行くタイプなのだ。それでも、韓信だ、奇策張郃だなどとおだて上げられ、自分の好きなようにやらせてもらえた試しがない。勝ち続けてこれたのは運が良かったからに過ぎず、楽に勝てたことなど一度たりとてない。常に綱渡りのような、後のない戦い、いや、人生を送ってきた。それなのに、人はまだ戦いをやめない。

 赤壁で周瑜なんぞが戦いを挑まなければ、あるいは袁紹が配下の言に耳を傾けていれば、今頃は楽隠居できたであろうに、と思わずにはいられない。

 将として非凡な才を持ちながらも、戦場を転戦しながらも、張郃は戦争にほとほと嫌気が差していた。なぜ、お前たちはまだ戦うのをやめない? そう、心の中で問わずにいられない張郃だった。


 定軍山に布陣した夏侯淵妙才の副将として張郃はいた。さすがに生え抜きの将軍。しかも曹操の血縁だけあって気位が高い。それを鼻にかけるタイプでもないが、投降の将である張郃には、やはりやり辛い。張郃は広石で劉備軍相手に奮戦するも戦局は一進一退。

 痺れを切らせた夏侯淵はあろうことか陽平関の救援に自ら出陣。持久戦で堪えればいいものを打って出た。もはや張郃は人事を尽くした。この時点で補佐するべき夏侯淵を見限ったと言っていい。


 今まで張郃は嫌というほど見てきた。いきなり大勢力となった者がいかに視野が狭く、傲慢になるのかを。それは曹操とて例外ではない。夏侯淵も人として尊敬に値する人物ではあったが、この傲慢の魔手からは逃れられなかったようだ。勝利を積み上げ続けると、人は自身の行動こそが勝利を呼び込むものと錯覚してしまうものらしい。だが、全てを失うのはあっという間だ。その現実も、張郃は嫌というほど目の当たりにした。

 奇しくもこの年の建安二十四年はさらに大きな出来事が起きている。荊州では樊城救援に向かった于禁が不運にも関羽に生け捕りにされ、その関羽も背後を突かれ敗れ去った。軍神とまで言われた武人の、あまりにもあっけない最期だった。しかもその関羽を仕留めた呉の呂蒙までもが病没している。

 関羽、夏侯淵、于禁、龐徳、呂蒙。巨星とも呼ぶべき名将、良将が一度に世を去った。于禁は正確には虜囚になったのみで死んだわけではないが、軍人としての命脈は事実上、断たれたと言ってよい。魏の常勝将軍とまで言わしめた名将だったが、たった一度の不運に見舞われての脱落であった。

 その中に自身が加わらなかっただけ、まだ恵まれていたと、後に張郃は安堵せずにはいられない。


 幸い、張郃は処罰されることもなく夏侯淵の後任に就く。上司を見捨てての敵前逃亡。もちろん、傍目にそうと分かるような撤退の仕方をする張郃でもないが、心の内では斬首に等しい背信行為ではあった。もう、張郃はいい加減戦争から開放して欲しかった。が、優秀な将の引退を許すほど時勢は安穏ではない。

 この張郃の夏侯淵見限りを、遠く離れた場所で看破した男がいたのだ。


 その後も張郃は各地を転戦。時に呉に、蜀にと、その働きぶりは千変万化とさえ言えた。そんな張郃を再び漢中地方に呼び戻したのは劉備の衣鉢を継いだ諸葛亮孔明。もはやかつての君主、曹操はすでにこの世におらず、孫の曹叡が皇帝の位に就いていた。

 その諸葛亮の迎撃の任に張郃を指名してきたのが司馬懿仲達。張郃にしてみれば親子ほど齢の離れた若い上司である。


「張郃将軍ですな。名将の誉れ高き将軍にお目にかかれて光栄です」


 仲達は見え透いた社交辞令を交えつつ拱手した。表情は穏やかであり目にも親愛の光をたたえている。が、どこか人を値踏みするようなところが誰かに似ている。張郃はハテと思った。


 仲達は張郃の実戦経験、作戦遂行能力を高く評価しており、漢中から長安目指して進撃する蜀軍迎撃に骨を折ってほしいと、要はそういうことらしい。このとき張郃はもう七十の坂を超え、老境に入っている。得物を担いでの実戦はさすがに無理だが、戦闘指揮ならまだまだやれる自信はある。が、戦争など自尊心を満足させるためにやるものではない。張郃は適当に固辞することもできた。が、仲達は細い目を開き、張郃の言を遮るように一言、


「あの定軍山での敗北を気にしておられるなら、それは将軍自身の過小評価というものですぞ」


 仲達が一体何を言っているのか張郃はすぐには分からなかった。定軍山での一件を忘れたことなどないが、ここで持ち出す理由が分からない。仲達はさらに畳み掛ける。

「あの戦は両軍が正面切ってぶつかりましたからな。あれでは奇策の誉れ高い将軍でもどうにもなりますまい。むしろ将軍があの敗戦から見事、生還なされた手腕にみどもは驚嘆したものです」


 全て分かった。この忌々しい男は曹操に実によく似ている。遠く離れた場所にいながら、自分の行動に気付いていたのだ。夏侯淵を見限った事実を。それを取り立てて言うそぶりもない。ただ、こちらの心臓でも握ったような状況を作り上げ、有無を言わさず従わせるところがそっくりだ。張郃に固辞する選択肢はなかった。


 かくて孔明の北伐、魏国から見ればただの侵略なのだが、蜀の丞相自らの大規模軍事遠征ともなれば手をこまねいてもいられない。万一、長安まで脅かされる事態になっては呉が動く。諸葛亮は中華全体を俯瞰した空前の侵攻作戦に打って出たのだ。


 太和二年。幸いにも街亭の戦いでは不思議な勝利を収め、蜀軍を撤退に追いやることに成功。同時多発侵攻の芽は潰すことができた。もちろん、これに張郃の作戦遂行能力が大いに寄与したことは疑いようがない。

 この勝利を魏国は大いに喧伝。智の司馬懿、武の張郃と、民は沸き立った。曹操、曹丕が相次いで世を去り、曹叡の代になって、しばらくなかっためでたいニュースをプロパガンダとして大いに利用。魏国の人々は奇策張郃の名を再び思い出した。また当時の儒教教育の影響もあって、年老いた張郃の活躍に民は胸のすく思いがした。張郃自身、まんざらでもなかった。

 この頃には魏の五将のうち四人がすでに他界しており、張郃一人となっていた。それがますます魏国においての張郃の存在を押し上げた。

 曹叡も張郃を頼みとするようになり、呉国への対応として荊州に派遣。その留守を突いて諸葛亮は陳倉を急襲。曹叡は慌てて張郃を呼び戻し陳倉救援に派遣。が、張郃が到着する前に蜀軍は撤退。張郃にさしもの諸葛亮も恐れをなしたと、また魏国では沸き立った。この年、張郃は車騎将軍に任命され、やっと他の四将軍と肩を並べたのである。


 余談だがこんなエピソードがある。曹叡が張郃を招いた時、こう尋ねた。将軍が間に合わなければ陳倉は落ちるであろうか? と。張郃は答えた。

「諸葛亮の軍勢の規模から兵糧を逆算しまするに、みどもが到着する前に引き揚げるでしょう」と。事実、そのとおりになった。

 実はこれとほぼ同じことを司馬懿も後の公孫淵討伐で言っており、実行している。


 太和五年。孔明は第二次北伐の軍を起こす。賢人とも呼ばれる諸葛亮がなぜ、ここまで無理とも言える遠征を行うのか張郃は理解ができない。が、あの男、司馬懿仲達ならあるいは、とも思えた。

 案の定、またも仲達率いる迎撃軍の将軍として張郃は出陣。が、今回の戦は妙な気配が漂っていた。

 守りに徹して敵の損耗を待つ仲達の戦術に変わりはない。諸葛亮もしきりに仲達を挑発して戦闘に引きずり出そうとする。正攻法で戦う者同士が対陣すれば自然、そうなる。張郃とて望むところではあった。が、何故か仲達は下からの突き上げに折れて出陣。大敗を喫し、守りを固めることになる。


 しかし予想通り、蜀軍は兵糧が底を尽き撤退。これの追撃を張郃は命じられた。仲達らしからぬ下策である。逃げる敵軍を追うのは禁忌とされる。しかも敵は木門谷という隘路を縫っての撤退である。いかに奇策張郃とはいえ、自殺行為にほかならない。張郃は訥々と正論を述べるもついに容れられることはなかった。


 敵の殿軍を追う張郃。そこへ木門谷に伏せられた蜀兵の存在を認めた時、張郃は得心した。

 この戦いは仲達の地ならしだったのだ。先の敗戦で討ち取られた魏の将は皆、曹叡の信任厚い者達だった。司馬懿もこのまま出世を重ねればいずれ必ず魏国での立場が危うくなる。仲達はこの敗戦を奇貨として、彼にとって不都合な人間を一掃することにしたのだ。その総仕上げとして自分が生贄に選ばれたと考えれば、実に仲達らしい、この上ない正攻法である。まさに韓信だな、と、張郃は思わず苦笑した。


 曹操麾下に、華も実もある五将あり。先鋒楽進、常勝于禁、武人張遼、逃げ徐晃。最後に得たるは奇策張郃。


 崖の上から雪崩のように石、矢、丸太が降ってくる。最後の一人、奇策張郃は木門谷でその長い戦いの人生に幕を閉じた。


「……以上が、儂の知る限りの、魏国の内情じゃよ」

 枯木のようにしわがれた老人はにこやかに言った。

「へえ。じいさん、ずいぶん詳しいな。その奇策張郃にでも仕えてたのかい?」


 年端のいかぬ少年は興味深そうに訊いた。周りにいる少年たちも目を輝かせている。皆、遊牧民特有の衣服を身に着けている。

「そうさな。仕えていたわけではないが、奇策張郃のことは誰よりもよく知っておる、そんなところだ。さあ、さあ、昔語りは終わりだ。訓練を再開するぞ。司馬懿仲達とて永遠に生きられるわけではない。その時こそ、お前さんたち北方の民が中華に攻め上るのだ」


 仲達はあれから約二十年後、クーデターを起こし魏の全権を掌握。曹操の一族、配下がこれを内から突き崩すのは事実上不可能であろう。もちろん、蜀、呉にもそんな余力はない。だが、外からの力であればあるいは。まるで現実味のない話ではあるが、全くないと言い切れる根拠もまたありはしない。


 これこそ、奇策張郃が最後に仕掛けた、一世一代の奇策であった。

                                                                                        

                                          〜了〜


 曹操麾下に、華も実もある五将あり。先鋒楽進、常勝于禁、武人張遼、逃げ徐晃。最後に得たるは奇策張郃。

 これは作者が個人的に考えた賛美の言葉であり、実際にそんな歌や二つ名が存在したわけでもないのでくれぐれも裏取りとかしないでください。(笑)


 拙作、于吉仙歌と審判、遼かに、で先鋒楽進、常勝于禁、武人張遼は登場させられたのですが、最後の張郃のみ、奇策の二つ名を付けたものの登場させる機会がなく、今後も書く予定がなかったので短編で書くことにしました。でも、ぶっちゃけ有能すぎて小説にはし辛いんですよね、この人。


 あ、一番思い入れのある逃げ徐晃に関しましては、いつか長編をやりたいと構想を温めてる最中です。


 と、前置きはさておき、張郃が木門谷で落命? したのは史実としても、解せない人は多いと思います。撤退する軍を追うのが兵法で忌むべきところなのは定石のはずです。それを司馬懿が知らないはずもありませんし、あえて退却する蜀軍を無理に追撃するメリットもよく分かりません。しかも張郃はその命令に対してきちんと意見具申したにも関わらず、司馬懿はゴリ押しで張郃に追撃させ、伏勢の矢を腿に受け、それが原因で落命したと伝わります。どんな状況下で息を引き取ったのかははっきりしません。


 そもそも張郃ほどの職業軍人がこれはヤバイぜと分かっておきながら、敵の伏勢にみすみすやられたというのも不自然です。

 年寄り特有の癇癪でも起こしたか、司馬懿に対する影腹か、はたまた当てつけか。いずれにせよ百戦錬磨の将軍が死に場所に定める所とは思えませんし、そこまでするほど司馬懿に対する忠誠心など毛ほどもなかったでしょう。

 司馬懿がいずれ張郃を除くつもりだったなら、それに気付かぬ張郃でもないとも思うのです。

 不幸なことに三国志では地味ながらも有能なだけに、張郃は引き立て役を演じさせられることが多いようです。木門谷の死も、結局のところは諸葛亮の天才ぶりの彩りにされてしまっている感があります。


 本作のラストは、そんな多くの人の釈然としない想いを形にしてみました。

 しかし最後のオチのみの短編なのに、妙に長くなってしまうのが困りもの。三国志通な方なら言わずもがなの説明がやたら長い。筆力のなさって、こういうところで出るんですよね。


 これが真・三國無双の張郃みたく「美しい!」なほどキャラ立ちでもしてれば面白い作品にもできたのでしょうが、作者にはそこまでのセンスありませんて。それこそ三国志通な方が読んだらお叱りでももらいそうなバカ小説にしかならない気もします。そもそもあんな張郃を超えられる張郃像なんて、誰もできないと思うんです。


 その難しい張郃作品にあえて挑んだ作者のチャレンジ精神をこそ、評価していただきたいなと、図々しくも考えてたりするわけです。


 そんな拙作を読んでいただいた方がおられましたら、心より御礼申し上げます。


                                                                               2019 8 4


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