第9話 きつね耳の少女、覚悟
旅の少年・レイジと出会い、俺と名無しの獣耳少女は村まで戻って彼を襲撃した犯人を探すことになった。
冒険者を歓迎しているふうではないどころか、旅人を襲い、魔物のいる森の奥地に放置する。
それは看過できる行いではなく、魔物から気合いで逃げ切るレイジでなければ死んでいただろう。
つまり、殺す気でやったことだと思われる。
もしかすると、ニワトリックたちが人の味を覚えたのも、そのせいなのだろうか。
そう考えると悪寒がして、まだ全貌の見えていない問題が怖くなってくる。
それは隣の少女も同じであるようで、獣の耳の元気がなく、すっかり垂れてしまっていた。
村にまでたどり着いても、俺たちの心の内は明るくはならなかった。
むしろ、そのものに立ち込める暗い空気のせいで、よけいに気が重くなってしまう。
相変わらず外出している者は誰もおらず、まず人の気配がほとんどなかった。
そんな村の状況を目の前にしても、レイジは堂々としていた。
どころか、平気な顔をして家屋の戸を叩き、誰もいないようならば次へ行くのを繰り返して、人を探し始める。
止める間もなく片っ端から探し回る彼。ほとんどが空き家なのか、あるいはいたとしても居留守なのか、誰も応えない。
だが、やっと戸を開けて応対してくれる人が現れる。その女性もレイジや少女と同じ種族であるが、やつれているようだった。
「はい……」
「突然の訪問、申し訳ない。いくつか聞きたいことがあるのだが……常に薄ら笑いを浮かべた男を知っているか?」
女性は首をかしげたが、俺と少女には心当たりがある質問だった。シャフリマの隣にいた青年、ジャリルだ。
そのことを伝え、彼は大きな屋敷で依頼主のおじさんと共にいるのではないかと聞くと、レイジは女性に対する質問を変えていた。
彼が続けてその女性から聞き出したのは、ここの村が獣の種族たちの暮らしている村であることと、そのリーダーが誰か。
あの屋敷に住んでいるおじさんがそうであるらしく、レイジは女性に感謝を示すと今度はそこへ向かうつもりのようだ。
そんな彼を、女性はなにかを思い出したとたんに呼び止めていた。
「あ、あの。失礼ですが、もしかしてあなたは『革命の獅子心』レイジさまでしょうか……?」
たしか、彼は王になるための旅をしていると言っていたが、そんな中二病っぽい通り名ができていたのか。
彼自身は首をかしげていたが、名前は間違っていないので肯定している。
すると、女性は彼にすがりつくように、言葉を続けた。
「お願いです、この村の民をお救いください……各地を渡り歩き獣族の村を牛耳る富豪たちを倒しているあなた様なら……!」
「あぁ、もとよりそのつもりでここに来た。檻はこのオレが壊してやる」
すでに同様の件に何度も首を突っ込んでいるらしく、しかも最初からそれが目的でここを訪れたという。
ただの旅人どころか、同じ種族の人々には英雄視されてもおかしくないだろう。
だが本人はそんなことはどうでもいいらしく、鼻にかけるでもなく、独裁者潰しには慣れた様子でいた。
女性と別れてからも、俺たちが驚いている一方で彼は質問を重ねる。
「ケイたちはリーダーに会ったことはあるんだろう、どんな奴だ?」
「お、おう、さっき会ったばっかだけど。太ったおじさんだった。あぁ、俺と同じ耳をしてた」
「なるほどな、やはりヒトか」
頷くレイジは最後に舌打ちすると、さっさと先に行ってしまう。
そんな彼を不安げに見つめる少女だったが、ある時耐えられなくなったのか、突然彼女の叫び声がした。
「だめです……あの人たちに逆らったら、だめなんです……!」
俺には彼女のことがわからない。どんな暮らしを送ってきたのか、異世界から来たやつにはとてもじゃないが察せない。
でも、その瞳と声色は必死の色で、彼女の心に傷があることはわかる。
「待ってくれ。この子の話を聞いてからでも遅くないんじゃないか?」
彼は呼び止められて、意外にも足を止めた。そうだな、と呟きながら、俺の隣にまで戻ってくる。
恐怖によって目を見開いてしまっている彼女を放っておくのは、俺だって気分が悪い。俺は少女の隣に屈み、なるべく優しく声をかけようとした。
はじめはうまく落ち着かないようで背中をさすっていたが、やがて少女は顔をあげてくれた。
それでも開かれた口は恐る恐るといったふうで、恐怖は拭いきれていないらしい。
話そうとしてくれているだけ、信頼されているのだろうか。
「聞いて、くれますか」
俺は頷いた。少女は意を決して、小さな肺に息をめいっぱい吸い込んで、吐き出して、消え入りそうな声を出した。
「わ、私は……どこで生まれたかもわかりません。気がついたらもう、お金で売られていたんです」
自らの故郷がどこなのか、両親はどんな人だったのか、彼女の記憶にはないという話だった。
物心ついたころにはすでに誰かの手に渡っていて、そこからさらに売られていって、何度も何度も鎖につながれ、その結果として今ここにいるのだという。
その瞳は、小さな女の子がしていいものではない寂しさに満ちていた。
どうやら最後に少女を買った者がジャリルであり、またレイジを襲ったのも彼と彼の従える獣族だという。
「買い手は私たちの生を握ってます。逆らったらどうなるかなんて、この目でたくさん見てきました」
獣族には魔力への耐性がほとんどなく、ニワトリックの石化のように簡単な魔法だとしてもかかってしまうことが多い。
それがある程度修練を積まれたものであればなおさらで、ジャリルたちはそれを利用して拘束魔法や昏睡魔法を使うそうだ。
拘束や昏睡を受けてしまえば、もう抵抗はできない。処分も売却も、思うがままだというわけか。
そんなの、許せるはずがない。
少女が俺たちにはジャリルと関わってほしくないと思っていたとしても、そいつは一発殴ってやらないと。
思わず拳に力が入るなか、レイジは俺の肩に手を置いて、真剣な眼差しを向けてくる。彼も俺と同じ気持ちであるらしい。
「あの男を倒し、オマエたちを檻から解放する。安心しろ。ケイ、彼女を頼む」
少女の話を聞き届け、微笑みながらも闘志の炎を瞳に宿すレイジ。彼はきっと、悪党の顔に強烈な拳をたたき込める男だ。
少女に寄り添っていることが、今の俺にできることであり、今の俺がしたいことだと思う。
彼の後ろ姿を再び見送り、やがて見えなくなって、あとは彼に任せて安心していることにした。
「レイジさん、大丈夫でしょうか」
「きっと大丈夫だよ。あいつの目は本物だった」
「……ですよね」
それは誰かに肯定されるための呟きだった。不安が残るというより、少女は彼が無事でいてくれるように祈っているみたいだ。
これで彼女が解放されるなら、一番いいことだ。自由になれたら、いつか故郷も家族も見つけ出して、幸せに暮らせるはず。
そんな幻想を打ち砕こうと、悪意の影は忍び寄ってくるが。
「こんなところで何をしてるんだい、ふたりとも」
現れたのは、薄ら笑いを浮かべた男。ジャリルだ。俺は咄嗟に少女をかばい前に出る。
それが気に障ったのか、へらへら笑いのなかに血管が浮かんだ。
「なに調子乗ってんの? やっと邪魔者がいなくなったと思ったのにさぁ。
そいつの所有者、お前じゃなくて俺なんだけど。さっさと渡せよ」
ジャリルはそういって俺の手に触れると、呪文を唱えた。その呪文とは『バインド』、つまり拘束の魔法であり、俺の身体はとたんに自由がきかなくなってしまう。
全身の筋肉がこわばって、まるで金縛りにあっているかのようだ。
なんとか口だけは動かせるが、身体は無理だ。ジャリルが軽く蹴っただけで、俺の身体は地面に転がされてしまった。
それよりも、彼の怒りは少女に向いている。
俺と同様にバインドの魔法をかけ、動けなくなった彼女を殴り、そして蹴り始める。
消え入りそうなか細い悲鳴があがり、それでも少女の柔らかなお腹と頬に拳や膝がめり込む。
「このッ、生意気にも魔法なんて使えるっていうから手元に残しといてやったのによ、あんなガキにそそのかされやがって」
「かはっ、や、やめてくださっ……!」
目の前で少女は暴行され、口の端には血がにじみ、瞳には涙が浮かんでいる。それでも、ジャリルは怒りのままにやめようとしない。
なのに、今すぐにでもあいつを止めたくても身体が動かない。拘束された手足は自分の言うことを聞かず、精一杯できることは叫ぶだけだ。
「このクソ野郎! 女の子を殴って恥ずかしくないのかよ……!」
「こいつが悪いんだぜ? 自分の立場もわかってねぇような奴がよ。こいつは俺の所有物、モノなんだよ!」
「違う、彼女の人生は彼女のものだ! まだ家族にも会ってない、まだ自分の生まれた場所さえ見てない……彼女はまだ幸せじゃないんだ!
それなのに、お前なんかが支配していいわけがない!」
柄でもないしかっこつけたことを叫んでしまった。でも、ジャリルは俺の事をやかましい奴だと睨みつけていて、その手は止まっている。
つまり、少女から注意を引きつけることには成功している。矛先は俺に変わっているのだ。
ジャリルは俺を殴るために、掴んでいた少女を投げ捨てた。
かわりに俺の服の襟に掴みかかり、その怒りの視線を向けてくる。
「さっきからお前も立場がわかってないみたいだな、新人さんよ。今から教えてやるよ」
拳を振りかぶるジャリル。不気味な薄ら笑いはとうにただの怒りの形相に変わっていて、目の前しか見えていないようである。
これは好機だ。俺なんかを殴ろうとして隙ができた今なら、彼女は心を決められるはず。
「……いいんですか。私なんかが、幸せになろうとしても。どんなに悪いことをさせられても、逆らえなかった弱い私なのに」
俺は頷いた。
すると少女も頷いて、彼女は深く息を吸う。少女の獣耳の毛並みが逆だって、魔力が動き出す。
それはバインドに対する抵抗であり、自らに対する回復魔法だった。
俺しか見えていなかったジャリルは彼女がバインドを解除したことに気が付かず、対応が遅れる。
その瞬間に、少女はすでに飛び出し、握りしめた拳を振り抜いている。
乾いた音が響き、俺を掴んでいた力が抜け、青年の身体が飛んでいく。
同時にこちらにかかっていた拘束の力もなくなって、地面に叩きつけられた彼が痛みにうめく中、俺は立ち上がることができた。
「がっ、お、お前、こんなことしてどうなると思って……!」
「私が自由になります。あなたの支配から逃れて、幸せを掴みに行くんです」
今まで彼女が拘束を解かなかったのは、怖かったからだ。その恐怖を乗り越えたとき、少女は大きな世界へと踏み出していく。
誰かの手のひらの上だなんて小さな世界ではなく、もっと大きな自由と幸福へと。
いまの彼女の瞳には、確かな決意が宿っていた。