第66話 暁の国と夜の国
──圭たちが暁の国へワープしてくるよりも前の話。
暁の王フェリアスと夜の王ラミカの会談は、暁の国にある会館で行われることになっていた。
創世からずっと互いに傷つけあってきた二種族間で対談など、先代の王であれば実現しなかっただろうが、今は違う。フェリアスとラミカは互いを憎しみあっていない。
これは未だかつて無い好機だと言える。魔王が定めた種族の理に、反逆する時が来たのである。
ラミカは数名の側近を連れ、久しぶりに暁の国に足を踏み入れていた。ヴァンパイアの苦手とする日光が燦々と照っているが、風景は懐かしく、見物にやってきたエルフたちの中には見知った顔もいる。
一番の側近であるダークエルフのエンディネに日傘を預け、ラミカは彼らからも顔が見えるように微笑んだ。
民衆はどよめき、中にはラミカ嬢ちゃん、と声をかけてくれる者もいる。その声はラミカを故郷に帰ってきた気分にさせてくれる。
いずれラミカだけでなく、ヴァンパイアがみんなこうしてあたたかく迎えてもらえるようになってほしい。
そのための第一歩がこの会談である。
中には怨みの視線を向けてくる者もいる。そんな青年が目について、ラミカは思わず目を逸らしてしまった。
彼はきっとラミカと同類だ。あれは凄惨な過去の結果で、憎悪しているのはヴァンパイア族すべてなのだろう。
その憎悪を取り除くことは、今のラミカにはできない。でもいつか、彼が笑って暮らせる国にしたい。
ラミカは自分の頬を叩いて気を入れ直し、会談場所へと急ぐ。
「エンディネ、兄さんはもう先に着いてるのよね?」
「はい。フェリアス様はしっかり時間を守る方ですから」
エンディネはフェリアスの同僚だった女性で、ラミカの育ての親だ。
ラミカのことを案じ、自ら闇の魔力に染まることでダークエルフとなって、ひとり夜の国へ行こうとしていたラミカについてきてくれた。夜の王になってからも、お仕事のサポートをたくさんしてもらった。
心から感謝しているけれど、ついついエンディネに頼ってしまうことは直さなければ。
「そうだ、エンディネ。もしエルフもヴァンパイアも関係なくなったら、またあの家で暮らしましょう? 家族は、一緒がいいもの」
「……ありがとうございます。私も家族として頂けるなんて」
「みんなそう思ってるわよ、とっくに!」
亡くした両親のことも思い出しながら、ラミカはエンディネに微笑む。エンディネもまた頬をゆるめ、笑ったように見えた。
周囲のヴァンパイアの側近たちには、日傘の下で面白くないといった表情をしている者も多い。
けれど、夜の王の力は現在ラミカにある。ラミカが率先してエルフと打ち解けていれば、やがて彼らも種族を気にするのをやめるだろう。
そうしてエンディネと話しながら歩いているうちに、予定のホテルに到着した。たくさんの警備員がいる中を通してもらい扉をくぐると、予想通りフェリアスたち暁の面々は既に待っていて、ラミカを見ると立ち上がる。
「本日はよろしくお願いしますね、夜の王」
「……こちらこそ、話し合いの場を設けていただき感謝の限りでございます、暁の王よ」
兄さん、と呼び掛けそうになったのを我慢して、できるだけ丁寧な挨拶をした。すると、フェリアスは一転してラミカのことを笑ってみせた。
「慣れない挨拶、ありがとうございます。夜の王になったとはいっても、ラミカですから微笑ましいというか。それに、妹にされるご丁寧な挨拶というのも新鮮です」
「なによ、あたしだって外交のときくらいちゃんとするわ」
「エンディネもお疲れ様です。手のかかる妹でしょう。同僚時代から私もご迷惑をかけてばかりで本当に申し訳ないのですが、ここまで妹の面倒を見ていただき……」
相変わらずフェリアスは饒舌だ。エルフ側の政治家たちなんかは慣れっこらしいが、ヴァンパイア側はそうもいかない。エルフのくせに、話が長い、と思っているに違いない。
「ねぇ、暁の王様。あたし達の未来がかかってるのよ、早く始めましょう?」
この兄のお喋りはだいたい言ってやらなきゃ止まらない。言われて始めて、ああそうでした、と改めてラミカを案内するために背を向けた。ラミカも彼に続けて歩き出す。
この時、ラミカもフェリアスも数ヶ月ぶりの再会に気を弛めていた。ここにいるのは憎しみあう種族の君主同士だということを、忘れていた。
「ラミカ様ッ!」
突然、誰かに突き飛ばされた。エンディネだ。振り返ってはじめて、なにが起きているか理解した。
ラミカに憎悪の目を向けていたあの青年が立っている。手には返り血の付着した鉈が握られていて、エンディネの腹部には深い刺し傷があった。
彼女は青年からラミカを庇って刺されたのだ。
咄嗟に魔力を具現化させた闇で傷を塞ごうとするも、何らかの術式がそれを拒む。
あの鉈には傷への魔法の行使を拒むなにかがあるらしかった。見れば、返り血の間からわずかに光を放つ紋様が見えた。
皆が呆然とする中、血の滴る鉈を持った青年はラミカを狙って近寄ってくる。彼の狙いは間違いなくラミカだ。エンディネは庇ってくれたのだろう。
それを理解したとたん、ふつふつと怒りが込み上げてくる。おまえが殺したのは、おまえのような者たちを助けようとしていたエルフだったんだ。
「……ふざけないで」
青年が鉈を振りあげようとする瞬間、ラミカの激情は彼女の魔力から槍を編み上げ、彼の顔面を貫いた。鉈が床に落ち、糸が切れたように脱力する。誰がどう見たって即死だった。
闇は血を啜り尽くしており、槍が引き抜かれても一滴の体液が滴ることすらない。干からびた残骸が地面に落ちた。
「……まさかフェリアス様の眼前で同胞を殺すとは。これは宣戦布告かな、ヴァンパイアの諸君」
「ラミカ様を殺そうとしたのはこのエルフの青年であろう。戦争がしたいのはお前たちじゃないのか」
暁軍の重役であろう人物が口を開き、それに対して軍部のヴァンパイアが声を荒らげた。その間にも、目の前で倒れているエンディネからは急激に体温が失われてゆき、出血が止まることは無い。
「無辜の民を殺しその血を啜っておいて、国民を守る責務のある我々に黙って見ていろと言うのか」
「そこまでに──」
自らの部下の発言を止めようとしたフェリアスだったが、今度は彼を狙った投擲物が発言を遮った。それは粘着質な糸の塊で、同時に何者かが姿を現す。
彼女は金髪の小さな少女の姿をしていたが、下半身が蜘蛛になっているという異様な姿だった。ラミカの見たことの無い種族である。
「せっかくいい事を言ってるのに、邪魔しないであげて。かわいい貴方の部下でしょう?」
「天使ですか……なぜここに」
「そんなことよりも。ほらほら、やるべきことをしなさいな」
フェリアスには知られていたらしい蜘蛛の少女は、軍部のエルフを促し、術式を用意させた。それは広範囲に声を届けるための魔法道具で、暁の国である島全域に繋がっている。
そこへ、彼はこう叫んだ。
「我らが同胞、ひとりの青年が夜の王に殺された。よって、我らエルフ一丸となってヴァンパイアを排除する」
フェリアスも望まない開戦の合図だ。すぐさま撤回させるために動き出すが、蜘蛛の少女はその邪魔をし、その間に一斉に動き出したエルフの兵たちが早くもラミカの周りを包囲し始めていた。
まるで、はじめから示し合わされていたかのように。
「……たすけて」
ラミカの砕けかけた心が絞り出した声は掠れていた。
「たすけてよ……おねえちゃん」
涙がひとりでに頬を伝っていくのを感じながら、ここにはいない姉に助けを求める。それしかできなかった。
──だが、その声は届いている。殺せという号令がかかった直後、時空を裂いて人影が現れる。ラミカへ剣を振り下ろそうとする兵士たちを双剣で蹴散らし、耳に馴染んだ優しい声で語りかけてくれる。
「もう大丈夫だよ、ラミカ。お姉さんが助けに来たんだから」




