第56話 きつねみみの少女と俺
そこにモンブランがいると聞き、俺は駐屯地へ急いでいた。りんぜとシルキィが抑えてくれており、街の通りには誰もいない。誰の姿も見かけないまま、目的の場所に到着する。
上階には窓を破られた部屋があり、見上げればそこにいる者と視線が合う。本来巫女姫がいたであろうその部屋には、モンブランがひとり、俺を見下ろしている。
「モンブラン。止めに来た」
「……諦めてはくれないんですね」
「君を見捨てられるわけ、ないだろ」
モンブランは窓から飛び降り、俺の前に立つ。彼女は変化魔法を使い尾を武器に変え、俺も闇の魔力で武器を作る。あたりに緊張が流れ、それを破るように地面を蹴って、戦いは始まった。
刃。電撃。刃。次々と使われる魔法は脅しでもあるのだろう。もはや説得もできないと判断されているらしく、モンブランはなにも言わずにただ飛びかかってくるばかりだ。
俺の目的は彼女を傷つけることじゃない。
モンブランが振るう尾の刃を逸らし、受け止め、弾いた。防御だけでは簡単に限界が来るのはわかっている。刃は絶えず俺を切り裂こうと迫ってくるし、モンブランだって止まろうとしていない。
だから、俺が彼女を止めるんだ。
二十と幾度目かの斬撃を流した後、俺はひとつ打って出た。尾や脚に闇の魔力を巻き付かせてバランスを崩す。そして一気に接近し、彼女の姿をしっかりと視界に捉えた。身体に傷はない。首筋を見ても、背中を見ても、ラジエルによる噛み跡は見当たらない。
彼女が転ぶ瞬間に使われ、次の瞬間には飛んでくるだろう電撃の魔法があった。俺は咄嗟に魔力を展開して相殺し、一旦距離をとる。
やはり、モンブランはラジエルの洗脳を受けていなかった。操り糸が伝える音で動いていた人々とは明らかに様子が違う。彼女は紛れもなく自分の意志で行動している。
再び距離を詰め、迫ってくるモンブラン。刃を受け止めながら、至近距離で顔を合わせた。やはり瞳は悲しげで、自分を見失っている。
「先程の一瞬。その剣なら、私の首を刎ねられたはず。どうしてそうしなかったんですか」
「言った通りだよ、君を見捨てられないって」
「……私にはこれしかないんです」
「あぁ、それは何度も聞いた。でもそうじゃない」
俺の言葉に押し黙るモンブラン。歯を食いしばり、目を逸らして、目尻からは一筋の雫を流していた。それを拭おうともせず、彼女は心の底から叫ぶ。
「だったら……なにがあるっていうんですか! 本当の家族も、故郷もなかった! 私の過去にはなんにもなかったんです!
ただひとつ残ったのは哀れむ気持ちだけです。私みたいに売られていく誰かがいる、そんな未来を変えたかった!
それじゃダメなんですか!? 私は、一瞬の希望を抱くなって言いたいんですか!?」
「なにもないなんて、違うよ。モンブランは俺と一緒に旅をしてきた」
「あなたはなにもわかってない。見たでしょう、あの映像を。私は出会いも別れも忘れて、またどこかにふらついてばかり。
いまここにいる『モンブラン』だって……いずれなくしてしまうかもしれないんです」
彼女は怖がっていたのだ。また別れさえ喪失してしまうかもしれないことばかり考えてしまっていた。
それを忘れられるように、代わりになにか世界に対してできることを探して。
見つけたのは、いつなくしてしまうかわからない思い出や仲間なんて捨てて、これから苦しむ誰かのために動きたいという願い。
そこに至った彼女の気持ちは、俺にはわからない。ただトラックに轢かれただけの一般人に、モンブランの気持ちがわかるはずがない。
でも、わかることはある。
それでは彼女は幸せになれないこと。彼女の本当の望みは違うこと。
そして──彼女だって、もう少し欲張っていいことだ。
「なくしたって、俺たちが覚えてる。何度だって君に名前をつけて、君と一緒に旅をして、新しいことを知って新しい景色を見て。思い出を作ろう」
「……いいん、ですか? 私は受け入れられて……いいんですか?
でも、獣のみなさんは革命を望んで──」
「サクラには話をつけてきた。レイジとモンブランとも一緒に、獣族が苦しまないように国を作ってくれ、そうしなきゃラジエル倒してやんないぞ、なんてさ」
彼女が刃にこめていた力が抜ける。そして、互いに武器を下ろし、魔法を解いた。彼女の涙はいつの間にか頬をたくさん濡らすほど流れていて、しかしそれは悲しみによるものではない。
「私は自分が何者かわかりませんし、いつ記憶がなくなるかもわかりません。
けど……どんな私でも、受け入れてくれますか?」
俺は答える代わりに、そっと彼女を抱きしめた。包容力に自信はないけれど、彼女が感じてくれるのならそれでいい。ありがとうございますと消え入りそうな声がして、しばらくそのまま、モンブランから離れずにいた。
そして、遅れて真の敵は現れる。
「なにいい感じになってるのかしら」
翼をはためかせ、俺たちの前にラジエルが降りてくる。目には敵意が宿っており、今までの余裕を含んだ表情とは違う。
モンブランにはすでにサクラを殺す気などないことをわかっているのか、仲間とみなしてはいない。怒り、というよりは、呆れているのか。
ラジエルはため息をつき、こちらを指さして話し出す。
「せっかく私が手を貸してあげてるのに……あなたの大義はその程度だったのね」
「私は見失ってました。でも今は違います。サクラさんと手を取り合う未来が、この目にしっかりと」
モンブランの言葉を受けて、二度目のため息が聞こえてきた。そして直後に彼女は身構え、殺気を放つ。
その気配は黎夢のものに近かった。女神に深く連なるものの、超越した光の力だ。
「あの、圭さん。一緒に戦ってくれますか」
「当たり前だ」
俺たちは互いに魔法をかけあった。闇の剣は変化によって雷を、刃の尾は魔力の操作で闇を纏う。
そして顔を見合わせ頷き、ラジエルへと向かっていった。
ラジエルは蜘蛛の身体から糸をばらまき、さらには洗脳の音色により、駐屯地から兵士たちが這い出してくる。彼らはみなラジエルに咬みつかれたらしい。
飛んでくる糸は切り裂ける。電撃の剣はさらに周囲に雷を迸らせ、裂いたと同時に焼き焦がすのだ。
さらには使い手である俺にも電流の恩恵はあるらしい。身体が軽く、兵士たちが放ってくる剣や魔法の回避も簡単だ。
自身の前に雷を出して、飛んでくる糸や火の玉を防ぎ、岩の魔法は足場にして飛んだ。
ラジエル目掛けて、上からの攻撃だ。一気に振り下ろして、蜘蛛の下半身を狙う。
「その程度、お見通しよ」
彼女はゆらりとかわし、反撃に俺の首筋を狙う。咬まれれば洗脳、つまり一巻の終わりだ。
平常時の俺なら蜘蛛娘の噛みつきなら一度経験してみたいとか抜かしていただろうが、これは戦場である。剣から放電して一瞬の隙を作り、なんとか離脱に成功する。
一度接近されたゆえか、ラジエルの注意はこちらにあった。続く糸や魔法の雨は、俺に向かって注がれる。
一方でモンブランはといえば、闇を纏った尾で兵士たちを無力化していた。
モンブランの持つ変化魔法に反応し、闇の魔力としての性質が強く出ている。侵食の力だ。金属の剣などはたやすく切り飛ばし、向かってくる兵から武器を奪ってゆく。
それは魔法や、また傷跡に集る蜘蛛においても同じだった。
振り抜いて生まれる闇の軌跡に触れた瞬間、魔法に類するものは闇に侵され急激に風化し、消失していく。
そうして洗脳されていた人々は次々に解放され、ばたばたと倒れていき、気がつけばラジエルの手駒はほとんど残っていなかった。
「生意気ね……貴方たちッ!」
ラジエルは琴の弦を弾く。残った数人の兵士たちに取り付いていた蜘蛛を散らす合図だ。ばらばらになった彼らは、さらにラジエルが奏でる音により魔力を注がれ、人間大となって一斉に襲ってくる。
「すごい数だな」
「はい。でも、私たちならやれますっ!」
モンブランが俺の手を取った。ふたりの魔力を集中させて、さらなる必殺技を放つのだ。闇の黒と雷の黄金に、炎の紅や鋼の銀が加わり、上空に剣の雨を作り上げる。そのひとつひとつが魔力を喰らう魔剣であり、この蜘蛛たちにとってはまさにすべてが必殺の一撃だ。
「『冥々ノ化粧──」
「──怪奇齧蝕』」
降り注ぐ剣たちに、蜘蛛たちはなすすべもなく破壊されていく。少しでも突き刺さった瞬間に魔力が食い尽くされ、圧縮されるようにして消滅する。
ラジエル自身はどうにか糸や近くにいた蜘蛛を盾にして凌ぎ切るが、もはや手先として使えるものはなく、残ったのは彼女ひとりだった。
「あとはラジエル、あなただけです」
「えぇそうね私だけだわ……えぇ、ならいいのよ、使いたくはないけれど、そんなに見たいのなら見せてあげるわ」
モンブランの言葉に、不機嫌そうな表情と哀れみの視線をみせるラジエル。彼女はぶつぶつと怨嗟の言葉を連ねながら、やがてその身体に宿す魔力を変質させ、姿を変えていく。女神の力が増幅され、翼に刻まれた『02』の刻印が青い輝きを放ち、ラジエルを包み込む。
「あぁ。私が理解らないなんて、本当に可哀想──哀れみのもとに、『理解』の黙示を授けるわ。
『第二の喇叭・全知なる鳴弦』」
できあがるのは、人々に本能的な恐怖を与える姿だ。
建物をいくつも覆うほど大規模な蜘蛛の巣の中央部に、大量の眼球が糸で吊り下げられており、それらが好き勝手にぎょろぎょろと忙しなく動いている。
そんなものに囲まれて、いままでのラジエルの上半身がぶらさがっていた。琴を抱いていて、常に涙を流し、しかし眼窩にはなにもおさめられていない。
どうやら、これからあんなモノに立ち向かっていかなければならないらしい。
勝てるのかはわからない。それでも、手離したくないものがある俺たちは、敵に向かって身構える。




