第1話 ヤンデレ幼馴染み、俺、異世界
晴れ渡る空に、さえずる小鳥たち。
通学途中の生徒たちが行き交うなかでひとり立ち止まって、ふとそんな爽やかな光景を見上げる。
何の変哲もない見慣れた空の色。
そのなかに輝く太陽は、まるで俺の平凡な人生を象徴しているようでつい歩みを止めてしまった。
俺の名前は『奈浪 圭』。どこにでもいる高校二年生の冴えない男子だ。
栄誉ある帰宅部のエースで、成績は真ん中ちょっと上くらい。
今まで彼女ができたことなんて一度もなく、専らネット上で好きなキャラクターを自分の嫁だと主張する日々を送っている。
特に三次元にトラウマがあるとかそういうのじゃないんだが、やっぱり美少女ってのは二次元じゃないとな。
「どうしたの、圭くん」
隣で歩いていた少女は、突然立ち止まった俺を不思議がって、こっちのほうを振り向いた。
オタク仲間の男子は多少いても、下の名前で呼んでくれるほど仲のいい女子なんてただ一人しかいない。
ここは、正直どこにでもいる高校二年生ではないと思う。
なにせ受験や引越しを経ても学校が一緒で、さらに家が近所である幼馴染がいるのだ。
彼女の名前は『伊勢神りんぜ』。
異世界転生って単語と名前の響きが似ている、と俺は勝手に思っている。
素朴ながら優しげに整った顔立ちと、黒のセミロングが特徴だ。
そして、クラスでは目立たないが密かに人気がありそうな女の子である。
「あぁごめんな、なんでもない」
「もう、早く行かないと遅刻するよ?」
まだそんな時間じゃないが、こんなことを言ってくれる幼馴染がいるだけ、俺はきっとものすごく恵まれているはず。
自分が平凡だとわざわざ意識しておきながら、自分を慰めつつ、俺は少し遅れて再びりんぜの隣を歩き出した。
周りの生徒たちは仲良さそうに談笑しながら横を通っていくが、俺たちのあいだに会話はほとんどない。
気まずいような、でも話題がないし、と自分に言い訳しつつ、通学路の変わり映えしない景色が流れていく。
「あ、あのさ、圭くん」
「どした?」
りんぜから話しかけてきて、俺は彼女のほうに顔を向ける。
いつものように下を向くりんぜだったが、なにか言いたげで、呼吸を整えているらしかった。
「その、今年の学祭、ふたりで回らない? ほ、ほら、こういうイベントでいっしょにいたこと、あんまりないしょ」
これは。まるで、デートのお誘いではないか。
男を勘違いさせてくる女がいるとはたまに聞くけれど、りんぜがそういう奴でないのはこの数年来の付き合いで知っている。
よって、これは、どこにでもいる冴えない男子高校生にあるまじきリア充爆発案件ではないだろうか。
ついに嫉妬される側に回ったのだと心の中で全力のドヤ顔を決めながら、俺はもちろんいいよと答えを返した。
悪いな、オタク仲間たちよ。今年の俺はひと味違うんだぜ。
「や、やくそく、だからね」
そっと小指を差し出してくるりんぜ。
もうここで死んでも悔いはないくらいの優越感が心に湧き上がり、俺は歩きながら自分の小指で応えようとした。
さて、その瞬間にトラックが突っ込んでくるとは、いったい誰が考えようか。
指切りをする直前に、耳をつんざくようなブレーキ音が聴こえ、向かってくる大型車両が目に入る。
避けられる速度じゃないと脳が認識したせいか、俺の視界に映る世界がスローモーションになっていく。
りんぜ、危ない。
その一言を発するより先に彼女を突き飛ばして、彼女までもが犠牲になる事態は避けようとした。
突き飛ばされた少女は短い悲鳴をあげて、少し離れたところに倒れ込む。
りんぜはきっと助かるだろう。なら、まだマシだ。
しかしまさか、こんな急展開で人生終了なんて。
さっきの約束が死亡フラグだったとしても、これはさすがに回収が早すぎるだろ。
まるで、俺がよく読んでるネット小説の導入みたいだな。
いくつもの思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えて、考えているあいだにもトラックは無情にも迫り来る。
そして、避ける暇もないままに、俺の身体は大きな衝撃を受ける。
視界は一瞬にして白になり、それから赤になり、やがて真っ暗にフェードアウトしていく。
いつの間に地面に叩きつけられたのやら、恐ろしいほどに冷たいコンクリートの感触があった。
死ぬってこんな感じなんだな、と意識しながら、どうしても瞼が重くて、閉じざるを得ない。
あぁ、せっかくなら、来世は二次元に生まれてハーレムを築き上げたいな。
そんなくだらないことを考えながら、俺の意識は暗い死後の世界へと旅立ってしまった。
◇
はずだったのだが。
「聞こえますか……勇者よ、聞こえますか……」
次の瞬間、何者かの声と姿が、暗転したはずの意識へと現れてくる。
俺がイメージする女神そのままの見た目で、そのままの優しげな声だ。
しかし、声を張り上げて返事をしようにもできないので、心の中に念じてみた。
「よかった。聞こえていますね。
では、単刀直入に。あなたはトラックに轢かれて死にました」
まぁ、そうだろうな。
死を体感しても、なんだか実感がない。死人なのにこうして考えたり、女神っぽいこの人と話をしているせいだろうか。
「ですが、それはある意味試練だったのです。あなたに異世界へ転生する資格があるかどうか」
はた迷惑すぎる試練だ。トラックは壊れるし、俺にだって遺してきた家族や、りんぜだっているのに。
「申し訳ございません。しかし、あなたは咄嗟に幼馴染である彼女を救った。やはり、あなたに目をつけた私の目に狂いはありませんでした」
……ん? と、いうことは?
「はい。あなたに頼みがあります。
剣と魔法のファンタジー世界に転生して、世界を救う勇者になってほしいのです」
まさかの依頼だった。
自分が神様から助けて欲しいだなんて言われるほどの人間ではないのはわかっているけれど、もう死んでるし、またのないチャンスなのも間違いない。
しかも、転生先はファンタジーときた。つまり異世界ハーレム状態へと持ち込むことも可能なのではないだろうか。
りんぜたちのことは心残りだが、死んでしまった今となってはどうしようもない。
なら、断る理由もない。
「本当ですか。ありがとうございます。はい、では今すぐにでも転生させますね」
話の早い女神様だ。
いや、ちょっと待てよ。その前にチート能力とかどうやって世界を救えばいいのか助言とか、そういうのはないんだろうか。
「そうですね……魔王を倒せば、きっと世界は救われるでしょう。えぇ、ではそのための力をお渡ししましょう。なににいたしましょうか?」
どんなに強い力でも与えていいと言い出す自称女神。せっかくだから、無双できるくらいに強いものがいいだろう。
全てのステータスがぶっ飛んでいるとか、逆に一点特化でそれだけは神様レベルとか。透明化、時間停止とかもロマンがある。
異世界転生なんて一度目でさえも貴重で、二度目なんてまずない経験だ。ここは慎重に、じっくり考えないと。
「ちょっと待ったぁ!」
しかし、俺の考えがまとまらないうちに、女神でも俺自身でもない声が思考に混ざってくる。女神に対して人差し指を突きつけている誰かの姿が脳裏に浮かんだことで、本当に何者かが乱入してきているらしい。
それは角の生えた少女で、背中には悪魔的な羽がついている。
また、両瞳にはそれぞれ泡と触手の塊のような不定形の紋様があり、不気味にゆらめいていた。
「魔王……あなた、いったい何を」
「それはこっちの台詞だよ女神様、勝手なことされちゃ困るんだよね」
女神は乱入してきた少女のことを魔王と呼んだ。いや、女神と魔王だとしても、人の思考の中で喧嘩を始めないでくれるだろうか。
「あっ、ごめん! ほらー、彼困っちゃってるしょ!」
「私のせいですか、明らかにあなたのせいですよ」
「女神様が転生トラックぶつけたせいに決まってるじゃん! ほんとごめんねー、うちのぽんこつ女神様が」
「誰がぽんこつですか!」
突然賑やかになった。仲がいいのはよいことだが、俺のことを忘れていないだろうか。
そう思っていると、いつの間にか俺の視界は光に包まれており、女神はこちらに少しだけ申し訳なさそうな視線をやった。
「ごめんなさい、なんでも与える話はナシです。今すぐ転生してもらいますから」
「あっ、私これ止めに来たんだった! 抜けがけはルール違反だよ!」
魔王も俺の身体になにかの力を使い始めた。そのせいで両側から全力で引っ張られるような感覚が俺の事を襲い、全身がちぎれそうなほどに痛む。
女神と魔王が俺の取り合いをしているなんてわけのわからない状況だが、この引っ張る力は異世界へと俺を送ろうとする力だというのはなんとなくわかる。
「ほらこっち来なよ、夢と冒険がいっぱいだからさ!」
「いけません、私の世界ならば秩序と平和が……!」
「人魚もいるしハーピーも吸血鬼もいるよ!」
人魚。ハーピー。吸血鬼。
あぁ、ファンタジー世界ならもしかしてとかすかに期待していたが、そういった人外の女の子たちには興味がある。むしろ大好きだ。
引っ張り合う力は次第に均衡が崩れていき、片方に偏りはじめる。おもに俺の趣味嗜好に影響されて。
「なっ、なんでそれでそっちに傾くんですか! て、天使ならこっちにもいますよ!」
「ほらほら、けもみみ美少女とかエルフとか興味無い!?」
ある。とてもある。女神様には申し訳ないが、これは魔王のほうについていくほかない。
そう念じると、女神がショックを受けているのか引っ張ってくる力が片方なくなった。
「そんな……私の築き上げた秩序の世界が、魔王の悪趣味な混沌に負けるなんて……」
女神様の表情は明らかに沈んでいる。一方、魔王は勝ち誇った顔で、目が合うとウインクまでしてきた。
「いやぁ、選んでくれてありがとう! ちょっとサービスもしちゃうから、楽しみにしててね!」
チート能力をもらったわけではないが、異世界ならではのハーレムを作り上げ、第二の人生を楽しまなければ。
期待を胸に、俺、奈浪圭は光に意識を溶かしていった。
◇
その一方で、遺された少女にもまた、不思議な声が訪れていた。
目の前でトラックにはねられ、頭から血を流して動かなくなってしまった幼馴染を抱え、必死に声をかけ続けていたその時だ。
りんぜの目の前に、まるで悪魔のように禍々しいオーラを纏った少女が現れ、脳内に直接語りかけてきたのだ。
「魔王と相乗りする勇気、ある?」
いきなりされたのはわけのわからない質問だった。
理解出来ないでいると、目の前の少女は続けて話す。
「幼馴染の彼ね。女神様がいろいろやらかしちゃって、魂が異世界に送られちゃってるんだ。
なんとか私の管轄に引っ張りこんだけど、こっちには戻せない。
申し訳ないんだけど、彼と一緒に生きられるのは、もう異世界しかないってコト」
女神とやらのせいで異世界とやらに彼がいて、そこにいけば彼に会える。
りんぜにとって、情報はそれでじゅうぶんだった。
まだ想いも伝えてないし、まだ約束を果たしていない。
このまま死ぬまで彼無しで生きていくなんて、りんぜに耐えられるかどうか。
せっかく今まで、彼が引っ越してもちょっと遠い学校に通うことを決めてもそばにいようとしたのに。
こんなところでお別れなんて絶対に嫌だったし、彼がいるのならどこへだって行ってやる。
「ってことは、私と一緒に来てくれるの?」
りんぜは迷いなく頷いて、魔王の誘いを飲んだ。
それを見た魔王は喜びから満面の笑みを浮かべると、彼女のシルエットがりんぜを巻き込んで歪み、混じりあっていく。
「嬉しいことに乗ってくれたから、私の魂を貸してあげるよ! 魔王パワーで意中の彼を助けてあげてね!」
こうして、りんぜもまた、圭の後を追って異世界へと転移していく。
なんでもないはずの日、少年少女の運命の歯車が回り出したのだ。